1-12 黒き復讐のアセイラント
■ 3rd person/フェンリット
【風ノ衣】。
それは、フェンリットが自分の正体を隠す為にオーダーした装備だった。身体全体を覆う、しかし機動性には優れている巨大な外套。シアが狐である事から、狐を意識したお面と尻尾。木の葉形の尻尾は、これだけで狐人族だと偽装しやすくなる。全ては、【御嵐王】=フェンリットだとバレないようにするための偽装だ。
故にその正体を知るのは、シュトルムとシア――身内を除いて誰一人としていなかった。
だからこそ。
彼が正体を曝け出したこの場所で、それを目撃した二人の驚きは相応のモノだった。
「フェンリットさんが……【御嵐王】……?」
アマーリエは拘束された身体を気に寄り掛け、眼を見開きながら呟いた。
もし、単純に目の前に【御嵐王】が現れたと言うだけなら、多少驚きはすれど愕然とすることは無かった。
しかし、その正体が自分と同世代の青年であったこと。そして、そんな人物とこれまで何度か会い、話、食事を共にし、二度も助けられたという事実。それらが相まって、「信じられない」という感情が増していく。
何せアマーリエとその仲間二人はてっきり、【御嵐王】は女性だと思い込んでいたのだ。その上、狐人族だという情報も信じ込んでいる。
その正体が、フェンリット――人族の男性だなんて、欠片も考えはしなかった。
彼の目論見はそれほどまでに上手くいっていた。
「貴様、貴様が……ッ!!」
対して、ノルマンドの感情はアマーリエ程純粋なものではなかった。
確かに驚愕はあった。
その上で、彼の表情に浮かぶのは圧倒的な怒り、憎しみだった。
「候補者フェンリット……いや、【御嵐王】!!」
ノルマンドは怒鳴り声をあげると同時、【無定の大鎌】を振るった。伸縮自在の術式鎌は、開いていた間合いを一瞬で詰め、その刃をフェンリットへ届かせる。
「――ッ」
【風ノ衣】に備わる役割はいくつかある。
まず一つは、その存在を隠蔽する事。顔を隠し、狐人族を偽装し、フェンリットが【御嵐王】だと分からなくするための偽装だ。
そして二つ目。
この装備は、物理特化の【力ノ帯】とは対角――魔術特化であるという事だ。
感情に身を任せたノルマンドの攻撃筋は読みやすかった。
身体強化の術式を掛けたフェンリットは、その斬撃を回避して距離を開く。
そう。
術式を使わずに肉体レベルを上げ、高レベルのパフォーマンスを実現するための【力ノ帯】。
しかし【風ノ衣】は、フェンリットが全力で術式を使う事を可能とさせる。
そして彼が全力で術式を行使すれば、その肉体性能は【力ノ帯】装備時を軽く凌駕する――つまり。
フェンリットは、紛うことなき魔術の天才だった。
「――ああ、もう面倒くさい」
吐き捨てる様に。
フェンリットは言った。
「そこの女の人、アマーリエさんを気にかけて戦うのはもうやめます」
狐の面の奥で、一瞬視線をアマーリエに向けてから彼は肩を竦める。
「別に彼女は仲間という訳でも無いし、何が何でも助けたいって人でもない。たまたま知り合って、少しだけ話をした程度の間柄ですから」
その言葉を受け、アマーリエは呆然としていた。
無理もない。
少なからず今まで、自分たちに真摯な対応をしていたフェンリットが、突然冷酷な言葉を放ったのだから。
ショックを受けて当然だ。
傷付いて当然だ。
この最悪な状況で、敵に拘束されて下手すれば簡単に命が散ってしまうような惨状で、最低限気にしてもらう事さえやめられる。
見捨てられる。
それは死と同義であり、死そのものだった。
だがそのうえで、アマーリエは笑った。
「……そう、ですね。今の私は、足手まといでしかありません」
悲しげな笑みだった。
しかし、覚悟を湛えた笑みだった。
「一つだけ教えてください」
問いかけがあった。
何を聞かれるのかと考え、フェンリットは【御嵐王】についての事だろうな、とぼんやり思った。
そんな、くだらない事ではなかった。
「アリザとリーネは、無事ですか?」
ああ、と。
フェンリットは息を漏らす。
彼女達は、この三人は、誰もが皆互いを想い、互いのために戦っている。仲間の為に命を賭す事さえ厭わない。仲間の命が最も大事なものだと、心に決めて戦っているのだ。
声を出さず、小さく頷き返す。
すると彼女は、「そう、ですか」と心底安心したような表情を浮かべた。
そして、告げる。
「こちらの事は気に掛けず、存分に戦ってください。その結果、私が死のうと構いません。それでその男を倒せるなら……町を、救えるなら」
「……、」
地力で拘束を解く事も出来ない彼女は、フェンリットの足枷にしかならない。例えここで助かったとしても、町へ襲いゆく魔物達とまともに戦うことも出来ないだろう。
自分を犠牲にする事で、フェンリットが満足に戦えるなら。
あの男を倒し、魔王を倒し、町を守れるなら。
全てを終わらせて、本当の意味でアリザやリーネを助けられるなら。
自分の命はいらないと、そういう言葉だった。
それが、フェンリットの心を削る。
(あなたの様な人が、自己犠牲なんてしてはいけない)
そもそも彼は、この状況でアマーリエを見捨てるつもりなどさらさら無かった。
むしろ救う気でしかない。
(ごめんなさい、アマーリエさん)
辛辣な言葉を浴びせてしまった事を内心で謝りながら、フェンリットは冷徹な表情を崩さない。
これは、必要な事だった。
(おそらく――あの魔王にかけられているのは『類感魔術』の一種)
いつの日か、フェンリットが冒険者ギルドで酔っ払いにかけた術式。あれは感染魔術としての側面も含んでいたが、どちらかと言えば類感魔術に含まれる。
魔王にかけられているのも、それと同種のものである。
類似する者同士が互いに影響し合う。
つまりこの魔王は、アマーリエの身体状況に呼応して肉体を復元しているのだ。
アマーリエの頬にある傷。
それと同じものが、修復せずに魔王の頬に残っているを見て気が付いた。
フェンリットがここに駆け付けた時、魔王にもアマーリエにも頬に傷なんてなかった。
戦いの余波でアマーリエに傷が出来たから、影響されて魔王の頬にも傷が出来たのだろう。
アマーリエが五体満足の限り、魔王も同様に五体満足でいられる。いくら体を吹き飛ばされて消失しようと、アマーリエさえ無事ならば再生する。
逆にアマーリエが腕や足を欠損した場合、問答無用で魔王もそれらを失うだろう。
だがそんなことは起こりえない。
起こらないだろうと、ノルマンドは踏んでいた。
彼はドラゴニュートと共に街を襲撃した際、フェンリットあアマーリエと話しているのを見ていた。故に二人は知り合いであると考えた。
そんな相手をむざむざ大怪我させる――ましてや死なせるようなことがあるはずない。フェンリットは精一杯アマーリエを傷つけないように、人質でありながら魔王の『不滅』の要であるアマーリエを助けるために戦うだろう、と。
だからこの魔王は永久機関。
アマーリエが死なない限り、魔王も死なない。
魔王を殺すためにはアマーリエを殺さないといけない。もしくは術者であるノルマンドを倒し、アマーリエと魔王を結びつける術式を強制的に終了させる必要がある。
――まずは、その根幹を打ち崩す。
「貴様……貴様は何を言っている? その女は知らない仲ではないのか?」
憎悪の表情を一層強めたノルマンドが、地獄の底を這うような声を上げた。
対してフェンリットは、あくまで軽い調子を装う。
「ええ、そうですね。確かに僕と彼女は知り合いです。ですが別に、そこまで大切な人というわけでもないので――」
言いながら悟る。
間違いなく、アマーリエはノルマンドにとって『人質』以外の価値もある存在だった、と。
そしてフェンリットがアマーリエを見捨てる――という発言をした――ことにより、その価値は最底辺に転がり落ちた、と。
ノルマンドの反応がそれを物語っていた。
フェンリットを呼び出すためだけの人質ならば、今になって死のうとノルマンドには何の痛手にもならないはずだ。
気にかける必要がない。
だが、ここでフェンリットの選択に疑問の声を上げるということは、つまりそういうことなのだろう。
「――彼女を庇ってあなたに負けるくらいだったら、僕は彼女を気に留めない」
直後、ノルマンドの威圧が度合いを増した。
思わず眉を顰める。
人質が機能しなくなり、優勢でなくなったことから覚悟を決めたのか。
そう考えたフェンリットとは裏腹に、ノルマンドの口から出たのは問いかけの言葉だった。
「貴様はそうして、また全てを見捨てて戦うのか」
「……なに?」
キン、と頭の奥に鋭い痛みを覚えながらも、なんとか言葉を返す。
ワケが、分からない、言葉だった。
「自分が生き残るために、自分以外の全てを殺して戦うのか」
まるで仇を見るかのような鋭い眼光が、ノルマンドから向けられる。
「な、にを……」
「ヌルの町。自分が滅ぼした町の名を、忘れたとは言わせないぞ。御嵐王」
ノイズが走っているかのように頭が痛い。突然眩暈に襲われ、足元がふらつく。呼吸が乱れ、冷汗が浮かび上がり、立っているのさえ辛くなる。
全てを見捨てて戦う?
自分が生き残るために、自分以外の全てを殺す?
ヌルの町を滅ぼした?
ワケが分からない。
全部――忘れるわけがない。
分からないのは、ノルマンドがなぜそれを知っているのかという事。
そして、それが御嵐王が行った所業だと勘違いしている事だった。
「俺の家族は貴様に殺された」
一切の冗談を抜きにして、フェンリットの心臓が止まりかけた。
息が、思考が、身体の動きが止まった。
「俺は貴様を――赦さない」