1-09 贖罪
その日は町の喧騒を感じて目を覚ました。
嫌な雰囲気が漂っているのが気になり、僕とシアは急いで身支度を済ませて宿を出た。
ドラゴニュートと黒ずくめが町中に現れたのが二日前の出来事である。昨日は一日中平和そのもので、僕も療養に時間を回していた。
そして今日。
外を出歩いている人はほとんどいない。
完全武装した冒険者がちらほら見える程度だった。そして彼等全員が、顔に真剣な表情を貼り付けている。
きっと只事ではない何かが起きているのだろう。
「何だか……天気もあまりよくないですね」
隣のシアが空を見上げながら言った。
彼女の言う通り、今日は曇り模様である。青空は何処にも見えず、ひたすらに灰色の雲が広がっている。それなりに強い風が吹くので、髪が靡いて鬱陶しい。
「そうだね。……非常にきな臭い」
溜息交じりに呟くと、シアも落ち込んだ声音で言ってくる。
「また面倒事でしょうか?」
「どうだかね。可能性として高いのは、あの黒ずくめが何かを仕掛けてきたってところかな。……もしくは」
「もしくは?」
「……いや、取りあえずはギルドへ急ごう。考えるのは状況説明してもらってからでいい」
「分かりました」
黒ずくめの襲撃、山道の方角に感じた悪寒、冒険者がギルドへ収集されるような事態。
これらの要因から仮説が成り立っていく。
「……ッ」
いつかの記憶が頭をよぎり、鋭い痛みが走りぬける。
僕はそれを振り払い、冒険者ギルドへ向かう足取りを速めた。
大丈夫だ。
天気は悪い。
だが、こと戦闘時の僕にとって天候の悪さはプラスに働く。
風が吹けば、雨が降れば、雷が落ちれば、その分だけ僕の"嵐型"の性質が強まっていく。
だからきっと、大丈夫だ。
冒険者ギルドに辿り着く。
扉を潜った先には、町の外よりも濃い緊張感が張りつめた空間が広がっていた。
冒険者達は誰もかれもが落ち着きを無くしている。
冷静さを保っている人もいるにはいるが、その数は少ない。
もし『魔王』なんていう一種の化物が現れれば、安全に駆逐することは難しいだろう。
ドラゴニュートとはわけが違うのだ。
扉を開ける音に反応する冒険者を無視し、僕は受付嬢の元へと歩み寄る。
ちなみにシアは、人目につかない場所で【力ノ帯】になってもらっている。
冒険者ではない彼女が、緊急時の冒険者ギルドにいるのは流石にどうかと判断したのだ。
近づく僕に気付いた先日の受付嬢さんが、少しだけ表情を明るくした。
「フェンリット様!」
「何が起きているのか説明をお願いします」
返す言葉でそう尋ねると、一瞬呆けた受付嬢さんが気を取り直して教えてくれる。
「はい。現在、イーレムの冒険者全てに緊急収集が掛かっております。原因は町の外。魔物が群れを成している、という情報を受けて冒険者ギルドから役員を派遣したところ、それが事実だったため、こうして冒険者の皆様に待機してもらっています」
打って変わって真剣な表情になった彼女の言葉に、僕は小さく呟く。
「緊急収集ですか……」
つまり、冒険者という身分である僕も、今はギルドに拘束されるという訳だ。
「魔物の数は不明。種類に関しては、ここ周辺に生息しているモノ以外にもいる可能性があります。戦力は未知数。先日、ドラゴニュートが【魔物払い】を破って入ってきたという事例もあるので、攻めに出るのではなく守りを固める形となりました」
「なるほど」
この町のギルドマスターの指示だろう。確かに、道理にかなっている。
しかし大量の魔物が群れを成している、か。
昨日の昼間はそんな様子を感じなかった。僕自身が町の外に出た訳じゃないが、冒険者達の様子を見れば分かる。
つまり、昨日の午後から今日に掛けて何らかの要因で魔物が集められた、と考えるべきだ。
と、すると――
「原因は分かっているんですか?」
「いえ、今のところは分かっておりません。ただやはり、近辺に『魔王』が出現した――というのが可能性としては一番高いかと」
きな臭いとは思っていたが、ここまで予想が的中してしまうと何とも言えない。
あの時、山道の方角に感じた悪寒は『魔王』によるものと考えていい。
大方、あの場所で死んでいった山賊達から、瘴器が溢れ出たのが原因で発現したのだろう。意識が無いまま死んでいけば、瘴器の発生は少ないはずだが……運悪く死に際に目が覚めてしまったか、もしくは『あの黒ずくめに起こされ拷問のような所業を受けた末に死んだ』か。そうすれば大量の瘴器が発生する事だろう。まあ、この件にあの黒ずくめを関連付けるにはまだ少し気が早いかもしれないが。
ともあれ、魔王どもには魔物を統率する能力がある。
厳密に言えば、能力というより習性と言った方が正しいかもしれないが――奴等は意のままに魔物を操り、人間を襲う。
「ちなみに方針は?」
「冒険者の皆様にはパーティ単位で行動してもらう、デフォルトの態勢をとってもらいます。フェンリット様はおそらく相当な実力をお持ちだと思いますが、出来ればギルドの方針に従っていただければ幸いです」
「……、」
受付嬢さんは申し訳なさげな表情でそう言ってきた。
僕の位階は、冒険者ギルドにおける最高位のものである。
その数は圧倒的に少なく、各地のギルドマスターと同等程度の権威を持つのだ。
だからこの収集を辞退して逃げる事も出来るし、方針に従わず自由に行動することも可能だ。無論可能なだけで推奨はされないが。
考えどころだった。
僕はこの権威を振りかざしたくないのだが、かといってここの冒険者ギルドには知り合いが全然いない。
パーティ単位の行動とは、つまり三人から六人のグループを作って対応しろということ。
ちなみに二人ではコンビ、それ以上がパーティとなっている。
こういう場合、僕は全く知らない人達のパーティに加わる事になるのか。
別にコミュニケーションに難がある訳じゃないしいいんだけど、やりづらそうだし一人で遊撃したいところだった。
「――あぁ」
ふと、あの女性三人組のパーティを思い出す。
彼女らに混ぜて貰えば、多少は融通が利くだろう。
そうと決まれば早めにお願いしておくか。
僕は受付嬢さんにお礼を言ってから、ギルド内にいるはずの三人組を探し始める。
だが……、
《……見つかりませんね》
【力ノ帯】と化しているシアが落ち込んだ声音で言った。
ギルド内はそれなりに広い。
受付嬢さんが立つカウンターのある広間、そこと連結された昼間っから酒を呑む冒険者が集う酒場フロア、ギルドの役員のみが立ち入る事の出来る二階の三フロアだ。
二階に入れない冒険者は一階に集まる。
僕らと同じ冒険者であるあの三人もこの場所にいるはずなのだ。
可能性としては、収集の情報が伝わっておらずこの場に来ていない、というのがある。
勿論、冒険者ギルドとて全ての冒険者の動向を把握している訳ではない。
ようは『バックレる』ことも可能なのだ。
ただし、後に収集を放棄したのが発覚した場合は冒険者の身分を剥奪されるので、リスクを伴う事になるが。
だが、彼女等はそんな事をしないはずだ。
個人的な考えでしかないけれど、そうであってほしい。
《もしかすると、収集を受けて何かしらの準備をしに行った、とか?》
僕の内心を読み取ったシアの声に心の中で返す。
(その可能性もあるか……。もしそうなら、このままギルドで待っていればその内帰ってくるだろうけれど……)
最悪なのは……一番最悪なのは別の可能性だ。
もし彼女らが町の外に出てしまっていたら。
町の外で起きている事態に気付かず、緊急収集が掛かる前に出掛けてしまっていたら。
きっと山賊に襲われた時のように魔物の群れに囲まれて、今度は全方位から容赦のない攻撃を受けているかもしれない。
この前の一件とはワケが違う。
三人の身体を欲するだろう山賊とは違い、魔物にそんな欲求は無い。
あるのは殺人衝動ただ一つ。
利益を感じて生かしておく、なんて判断は下さない。
実力者であろうアマーリエさんが事前に魔物を察知して危機を逃れている可能性もあるが――いや。
いくら憶測を重ねても仕方がない。
僕には僕が出来る事をしよう。
「受付嬢さん」
「……? どうかしましたか、フェンリット様」
「先日、山賊討伐の件を伝えに来てくれた三人の冒険者を見かけてないでしょうか?」
カウンターに引き返した僕が尋ねると、彼女は一度キョトンとしてから首を傾げる。
「私は見ていませんね。彼女達のパーティに参加させてもらうのですか?」
「そのつもりなんですが……どうやら、冒険者ギルドの中にはいないみたいなので、行方を知らないかなと」
「……緊急収集が掛かってからそれほど時間は経っていません。私はここにいたので、その間に見ていないという事は、もしかすると」
「可能性は二つに絞られる……」
僕の呟きに彼女は頷いた。
「収集に逆らい町のどこかに潜んでいるか、既に町の外へ出てしまっているか。前者の場合は冒険者資格の剥奪。後者の場合――」
「――最悪、魔物の大群に襲われるという事だね」
懸念事項はそれだけではない。
僕はこの事態を引き起こしたのがあの黒ずくめの魔術師だと思っている。
もしかすれば、彼女らを襲うのは魔物だけに留まらない。
「受付嬢さん。僕は少し、ギルドの方針とは別の行動をしても良いでしょうか?」
「えっ? そ、それは一体、どういうことでしょうか……?」
「まだ憶測にすぎないのですが、この状況を作り出した元凶に心当たりがあります」
僕がそう告げると受付嬢さんは息を呑み、真剣な表情で言う。
「それは……まさか、この前のドラゴニュート襲撃の際にフェンリット様に攻撃したという『黒ずくめの魔術師』の事でしょうか?」
「はい。もしこれが全て奴の仕業だとすれば。アマーリエさん達三人組が町の外に出てしまったとすれば……より一層、彼女達の命が危ない」
今はまだ昼間時。
外は多少曇っているけれど、前の時ほどあの男に有利な戦場ではない。
むしろ強い風が吹いているため、僕のフィールドとも言えるだろう。雨が降りだし、雷が落ちでもすれば完璧だ。
なにより――町の外で、何にも憚らず戦うことが出来る。
受付嬢さんは少し考えた後、
「分かりました。おそらく、ここで私が留まって欲しいと言っても『位階』による権限を使うでしょうから」
「……すいません」
彼女の言葉に僕は静かに謝った。
自分でも言うのもなんだが、冒険者ギルド的には位階の高い冒険者がいてくれた方が安心できるのだ。
これから僕がやろうとしているのは自由行動。
ギルドの関知しないところでの行動である。
心配になっても無理はない。
それに……あの男は僕を何かと勘違いしている節があった。
もしもこの戦いが、その人違いを正すためのものだとしたら。その意図があるのだとしたら。それは僕が呼び起こした戦いだとも言えよう。
なおさら、放って置く事は出来ない。
「その黒ずくめが全ての元凶ならば、そいつだけはなんとかしてみせます。余裕があれば防衛にも回るつもりなので」
「分かりました。ご武運をお祈りします」
頷き返してからギルドを出る。
外に出てみると、どんよりした空が僕らを見下ろしていた。
不穏な雰囲気。
これから起こる不吉を予兆するような天気に顔を顰める。
《さて、あのお三方はどこにいるのやら》
「分からない。けれど見つけ出すしかない」
吐き捨ててから、僕は強く吹く追い風に乗って街中を走る。
目的地はひとまず、三人と初めて会った場所。山賊達が死んでいったであろうあの森だ。
そう決めた時だった。
町の入口。
二人の門番へ何かを懇願する、見覚えのある女性たちを見つけた。
そこにいたのは、僕が探していた人達だった。
その内の一方、門番へと縋り付くようにしていたリーネさんが僕を見つけて弱々しい声を発する。
「フェン、リットくん……」
意識はあるものの、彼女の状態は最悪だった。
何も考えずにひたすら逃げてきたのか、ローブはボロボロ。
おそらく、木の枝やらなにやらに引っ掛けても無視して突っ切って来たのだろう。
彼女の顔は涙で濡れていた。
既に一度泣いた後なのか、乾いた涙の跡も見える。
目は真っ赤に晴れていて、絶え絶えの息が彼女の辛さを物語っていた。
アリザさんの表情は前髪に隠れていて見えない。
だが、尋常ではない様子は伝わってきた。
まず意識が無い。
鎧はボロボロであちこちに傷が出来ている満身創痍。
地面に倒れて、浅く胸を上下させるだけだ。
そして。
この場所に、アマーリエさんの姿はなかった。
「……、」
《状況を考えるに……一番の実力者であるアマーリエさんが敵を引き付け、二人を逃がした。そんな所でしょうか》
シアの声に軽く頷く。
なんとか活路を開いてもらった二人はその後、何とか逃げ延びてこの場所に辿り着いたのだろう。もしかすれば、既に気を失っていたアリザさんをリーネさんが背負って来たのかもしれない。
今にも倒れてしまいそうなボロボロのリーネさんは、震える涙声で伝えてくる。
「フェンリット君、お願い、助けて。お願い……!」
「アマーリエさんは、この先ですか」
僕の問いかけに、彼女は残り少ない体力を振り絞るように叫んだ。
「いきなり黒ずくめの男に襲われて! 辺りには魔物がたくさんいて! リエが私達に逃げろって!! 今もきっと戦っているはず……!! お願い、フェンリット君……リエを助けて!!」
嘆願の言葉だった。
とうに限界を迎えているはずなのに、それでも大切な仲間を助けてほしいという、願いの言葉だった。
――だから、僕は。
小さく頷き、答えた。
「分かりました。アマーリエさんの事は……後の事は僕に全て任せてください。彼女は必ず助け出します。だから二人は、町でゆっくり休んでください。ここまでくればもう大丈夫です」
安心を与えるために優しい声音でそう言う。
僕の言葉を聞いたリーネさんは、泣いていたその顔をいっそう悲しそうにしてから、泣き笑の表情を浮かべた。
「あり、がとう……」
彼女は静かに意識を失った。
門番の人に介抱される彼女を目で追ってから、僕は前へと進み出る。
《優しいんですね》
不意に彼女はそう呟いた。
《既に、アマーリエさんの魔力は感じないはずです》
――森の方から、アマーリエさんの魔力は感じられない。
人間は活動している間、どうしても魔力が滲み出てしまうものなのだ。
無論、駄々漏れになっていればすぐにガス欠になるため、出てくるのはほんの微量だが。
そして、魔術の道を究めていけばその『ほんの少しの魔力』を感じ取ることが出来るようになるのだ。
人が多い町の中で、ある一つの魔力を探査するのは不可能。
でも、似たような『感じ』の魔力――つまり魔物達のものだ――ばかりの森の中で、一人の魔力を感じ取るくらいは出来るわけだ。
だというのに。
《あの時戦った黒ずくめの魔力は感じる。しかし、アマーリエさんのものは一切感じない》
「気を失っているという可能性がある」
《希望的観測ですね。確かに意識の無い状態では魔力が漏れ出る事は無いですが、だとしても黒ずくめの魔術師が『アマーリエさんを生かしておく理由』には覚えがないのでは?》
「もしかすれば、やはりあの黒ずくめの目的は僕で、あの時僕と会話をしていたアマーリエさんが知り合いだという事を知って、だったら彼女を人質にすれば僕をおびき出せると考えたのかもしれない」
《無用な問答はやめましょう》
切り捨てる様にシアは言った。
《貴方は全て背負い込むつもりであんな事を言ったのでしょう? あのタイミングでアマーリエさんが死んでいるかもしれないと告げれば、彼女達は自分を責める。復讐を考える事もあるかもしれないですね。でもあの二人では黒ずくめには勝てない。精々無駄死にでしょう》
「……、」
《なら希望を残したうえで、もしダメだったとしても『フェンリットの力が及ばなかった』という事にすれば、あの二人は『フェンリットでも無理だった』と考えるか、『必ず助け出す』などとのたまったフェンリットを心の底で恨むだけに終わる。実際、自分で呼びこんでしまったかもしれない禍だから因果応報。――そうでしょう? フェンリット》
「だからさ、僕は……」
予想以上に溜め息のような声が出た。
全て彼女の言う通りだった。
アマーリエさんが生きている、なんていうのは希望的観測でしかない。
僕をおびき寄せるのに、彼女を生かしておく必要なんてない。
殺してしまっても問題は無い。
万が一の時に全てを背負い込むつもりだったことを否定できない。
アリザさんとリーネさんではあの黒ずくめには勝てない。
恨まれたって仕方ない。
――だってきっと、これも全て僕が悪いのだから。
「優しくなんてないんだよ」
ただ、言葉を続ける。
「優しく見えたのならそれは偽物。偽善だよ」
《……、》
「アリザさんやリーネさん、そしてアマーリエさんを助けようとするのも、全て自分のため。心の底から彼女達に生きていてほしいだとか、純真無垢に困っている人を助けたいだとか、そんな感情からじゃない。少なからず話したり、ご飯を食べたりして関わった彼女達が、自分のせいで死ぬ。そんなことで罪悪感を感じるのが嫌なだけなんだ」
ああ、そうだ。
だから僕は優しくなんてない。
誰かに「優しい」「良い人だ」と感謝されるような人間ではない。
あの時、山賊に襲われていたキャラバンとアマーリエさん達を助けたのも。
ドラゴニュートとの戦闘の余波で危険な目に遭いそうだった少女を助けたのも。
そして今、生きているかすら分からないアマーリエさんを、そしてアリザさんとリーネさんの脆くなった心身を助けようとしているのも。
全ては自分のためだ。
僕が赦されるためだ。
「……行こう」
森へと駆けだす。
この戦いを、終わらせるために。
ストック切れました。次回からは書き終わり次第更新という形にします。