1-08 甘くて苦い
■ フェンリット
ドラゴニュートとの戦闘による民家への被害はそれほど大きくなかった。
僕とシアは黒ずくめの男に掛かりきりで見ていないが、応戦した冒険者たちが巧く対応したらしい。
現在、町中で戦闘を行った冒険者達は、僕を含め半壊した広場に集合していた。
その中には勿論、ドラゴニュート戦で活躍したらしいアマーリエさんや、町民を逃がしていたアリザさんとリーネさんの姿もある。
噴水は半壊。
石のタイルに水たまりが出来てしまい、噴水だったモノの根元からは頼りない水流が零れ出ている。
人的被害はほとんどなく、建物も建築術式を使えばすぐに直りそうとはいえ、これは酷い。
そもそも町に魔物が入ってくる、なんてことが今までなかったからだろう。
人々の混乱、恐怖は相応のモノだったようだ。
今は町長が【魔物払い】の結界の動作を確かめているらしい。
その間僕たち冒険者は、規約とギルドの指令により、半壊した広場の簡単な後片付け中という訳だ。
ちなみに、シアにはまだ【力ノ帯】でいてもらっている。
装備モードは彼女へ掛かる負荷も大きいのだが、なかなか解除するタイミングがとれなかった。
それ以上に、【力ノ帯】によって身体強化が為されている方が、片付けが早く終わるというのもあるが。
「フェンリットさん」
声と同時に近づいてくるのはアマーリエさんだ。
彼女の装備には真新しい傷がいくつか見えた。
ドラゴニュートは魔物の中でも強い部類に入るので、大勢で囲んだとしても全員が無傷、という訳にはいかなかったらしい。
「アマーリエさんは大丈夫でしたか?」
「私の方は特に問題ありません。一人、ずば抜けて戦闘力の高い冒険者がいたので」
「へえ」
興味を引き付けるワードだった。
「ですが……ここにはいないようですね。もう帰ってしまったのでしょうか」
「そうですか」
一目見たかったが、いないものは仕方がないか。
「それよりも、フェンリットさんの方が厳しい戦いだったようですが」
なるほど。
こちらを伺う余裕すらあったのなら、アマーリエさんは本当に実力者なのだろう。
「ええ、少し苦戦しました」
「そんなに強い相手だったのですか」
「魔術師としての格は相当高いでしょう。その上、初見の術式だったり何故か攻撃が当たらなかったりと大変でした」
そもそも、人間相手に本気で殺し合いをするなんていう経験は人生でそう多くないはずだ。
僕自身、どちらかといえば対魔物ばかりを意識して幼い頃から鍛錬してきたし。
ともあれ、次にやり合う事になったらもう少し上手く立ち回れる。
それは確実だ。
「攻撃が当たらない……そういえばフェンリットさん。あの雷の術式はやはり貴方のものだったのですね」
アマーリエさんが、クールな雰囲気に似合わない『人差し指を顎に当てて考える仕草』を取りながらそう言った。
あの時の光景を思い出しているのだろう。
すると、その言葉に反応するようにリーネさんとアリザさんが歩み寄ってきた。
「あの術式、やっぱりフェンリット君だったんだ! 雨の日でもないのに雷術式を使えるなんて凄いね!!」「あたしは魔術はあんまりだけど、雷の術式って難しいんでしょ?」
二人の言葉に頷きを返す。
「属性魔術を使うためには必ず器が必要になりますからね。炎器は火のある場所、水器は水のある場所、そして雷器は電気……雷のある場所に発生することになります。雷なんて落ちる日の方が少ないので、必然、雷器の滞留量は少なくなる訳です」
もっとも炎器の場合、太陽が出ている間は光器程ではないにしろその量を増やすし、風器なんてちょっとした風にも影響を受けて発生するわけだから、色々とアバウトなのだけれど。
「へえー。要するにまた、フェンリットが凄いって話よね?」
「うん。私なんて雷が頻繁に落ちてる日とかじゃないと雷術式なんて使える気がしないよ」
まあ、雷属性の術式自体、使おうとする事が一種の博打みたいなものだ。
少しでも集中が乱れたりすれば術式はすぐに霧散するからね。
術式を補佐するために、あらかじめ器を詰め込んだ器晶という代物もある。
割と高値だから、それを買ってまで雷術式にこだわる人も少ないだろうけれど。
僕の場合はちょっと雷器への適性が高かったから、他の人より少量の雷器でもそれなりに術式を組み立てることが出来る訳だ。
「ですが――」
器晶は今どれくらいで売られているのだろう、と考えているとアマーリエさんが口を開いた。
「その攻撃は、当たらなかった?」
「……はい」
アマーリエさんの言うとおり、僕の雷術式【雷撃の大槌】は当たっていなかった。
だが、当たったはずだった。
あの雷撃の本流に飲み込まれていくのを、僕はこの目で見たはずなのだ。
でも実際は……、
「無傷でした。あれを雷術式に対する術式抗力がかなり高かったと考えるか、身に纏うローブにその力があったのか、または別の方法で術式そのものを無効化したのか。……なんにせよ、厄介なのは確かです」
「あの黒ずくめ……確か、ドラゴニュートを倒そうとするフェンリットさんに襲い掛かりましたよね。どういう意図があったのでしょう?」
アマーリエさんが考える様に腕を組む。
それに続くようにアリザさんが言った。
「もしかしたら、あの竜人種を連れてきたのもその黒ずくめなんじゃないかしら? 街で騒ぎを起こしたかったのに、その騒ぎの中心を倒されそうになったから出てきた、とか」
「その考えは僕にもありました。なによりタイミングが物語っています。あれはたしかに、僕からドラゴニュートを守る動きだった」
「でも、だとしたら今回の騒動は全てその人の仕組んだことになるけど……一体どうやって魔物を連れ込んだの? 魔物って、町に張られた【魔物払い】の結界があるから中々近寄ろうとしないんでしょ?」
リーネさんの言葉にアマーリエさんが続く。
「ですが、【魔物払い】は本来『近寄ろうと思わせない』程度の効力です。それを上回るほどの『近寄りたい衝動』がある、もしくは『近寄らなければいけない』『中に入らなければいけない』という強制力が働ければその限りではありません」
彼女の言う通りだった。
そして、それを可能とさせる存在で最もメジャーなのは――
「――魔王。魔王が、近くにいるのかもしれない」
もし魔王がいるならば、魔物は町へと入ってくるだろう。
「これまでの歴史において、魔物が町へと襲撃してきた事件には必ず魔王という存在がありました。ならば今回もそうと考えるのが妥当でしょう」
「……でも、それにしては様子がおかしかったよね」
そうなのだ。
アマーリエさんはかつての事例を出してきた。
だけどそれは、今回の出来事と同一視しても良いのだろうか?
違う。
だって、さっきの戦いには魔王もいないし魔物の軍勢もいない。
ドラゴニュートの個体と、その騒動を後押しするように現れた正体不明の魔術師だけだ。
その事実に、ドラゴニュートへ強制力を働かせる要因は見当たらない。
誰もが口を閉ざした。
ドラゴニュートの侵入方法。黒ずくめの目的。攻撃が当たらなかった理由。
分からないことだらけだった。
そして。
「――今回の襲撃は、失敗に終わったも同然です」
アマーリエさんは言った。
不確定だが、無いとは言い切れない未来を。
「『次』がある……そう考えていた方がいいでしょう」
あの黒ずくめは再びやって来るだろう。
何らかの力を用いて魔物を引きつれ、この町を襲うために。
理由は分からない。
僕達には、その可能性を考慮しておく事しか出来ないのだ。
《フェンリット……》
心配するようなシアの声が頭に響いてきた。
(大丈夫。次に奴と戦う時、遅れを取るつもりはない)
今のところ、懸念事項は攻撃が当たらなかった事だけだ。
あれさえなんとかすれば勝てる見込みはある。
全力で戦ってみなければ分からないが。
そして僕が全力を出す為には、シアの存在が不可欠である。
(力を借りるよ、シア)
《お任せを》
周りの雰囲気は暗く、三人とも難しい顔で黙り込んでいた。
僕はその沈黙を晴らすために言う。
「先の話で悩んでいても仕方がありません。僕らに出来るのは、この作業を早く終わらせて、その時のために万全の備えをしておくことです」
僕の考えを察してくれたのか、アマーリエさんが小さく苦笑して続く。
「……それもそうですね。悩んだところで可能性が変わる訳じゃない。早く帰って体を休めましょうか」
その言葉にいつもの調子を取り戻したアリザさんとリーネさんが、再び作業の手を動かし始める。
僕もそれに倣おうとしたところで、女の子の声が耳に飛び込んできた。
「あ、あの!」
振り返る先に立っていたのは、足を挫いて動けなくなっていたウェイトレスの子だった。
足元を見ると、挫いた足は包帯を巻いて応急処置をしたのが分かる。
彼女は顔を赤くして僕の傍までやって来ると、頭を下げた。
「あの、先ほどは危ない所をありがとうございました!」
「……気にしなくていいですよ」
純粋無垢なまでの謝意・好意に、表情の裏側で苦虫を噛み潰しながら僕はそう返した。
《……、》
「それで、その、お礼がしたくて……粗末なものですが、どうぞ食べてください!」
目一杯顔を赤くしたウェイトレスの女の子は、振り絞るような声で隠し持っていた小さなバスケットを差し出してきた。その様子はお世辞抜きで可愛らしい。普通ならば胸を打たれるような仕草だった。
バスケットからは香ばしい良い匂いがする。
「……これは?」
「や、焼きたてのパンで作ったサンドイッチが入っています!」
ギュッと目を瞑って言うウェイトレスさんの声は震えていた。
……きっと、勇気を出して持ってきてくれたのだろう。
その気持ちはとても嬉しく、そして申し訳なかった。
僕は笑みを浮かべて、
「ありがとうございます。丁度、お腹が空いてきた所だったんです。いただきますね?」
「っ! お、おおお口に合えば幸いです!!」
僕がバスケットを受け取ると、ウェイトレスさんは「で、では失礼します!」と礼をした。振り返り、足を引きずりながら去っていく。
彼女のいく先には、仕事仲間と思われる女の人達が集まっていた。
ウェイトレスさんが合流すると同時に始まる談笑。
僕はただ、その光景を無言で眺めていた。
《……よかったですね? フェンリット》
「……ああ」
両手で抱えるバスケットに視線を落とし、その蓋をあける。
香ばしい薫りが溢れだし、空腹が訴えを主張しだす。
中には彩り豊かなサンドイッチがいくつか入っていた。
それは、苦しいくらいに、とても美味しかった。