【前篇】想う2人は恋をする。
それは1つの傷の物語。
プロローグ
「どうしてっ・・・」
柘榴拓也は病院にいた。目には涙を浮かべ、あまりにも突然の出来事に気持ちの整理ができずただ「どうして」という言葉だけが口から溢れる。彼の視線の先には月永葵がベッドの上で静かに眠る。その様子はまるでおとぎ話のお姫さまが王子様の魔法のキスを待っているかのように幻想的に見えた。そこが、ICUの中でなければ。
「どうしてこんなことに」
壁にもたれ力なくしゃがみ込む。
「どうして葵が・・・くそっ!どうしてだよ」
拓也の悲痛な叫びが病院内に響くが誰もその問いには答えてくれず、無機質にピッピッと機械の音が鳴り続けるだけだった。
第1章
空が茜色に染まり、どこかでお寺の鐘の音が聞こえる。柘榴拓也は武道館を後にした。
「今、稽古終わったところ?」
部活後の喉の渇きを満たそうと近くにある自販機に向かおうとしていたところを呼び止められる。振り返ると、セーラー服姿の見慣れた顔がいた。
「なんだ葵か。お前がこの時間まで学校にいるなんて珍しいじゃないか」
月永葵は小学校3年生のとき、東京からこの土地に引っ越してきた。父親同士が同じ会社に務めておりすぐに意気投合してか昔から何かと会う機会があり、今では俗に言う腐れ縁というやつである。
「うん。まぁちょっとね。久しぶりにさ、一緒に帰りたいなーって」
葵はこの日ある決意をしていた。
「なんだそりゃ。なんか用事でもあんの?」
自販機にコインを入れ、ポカリのボタンを押す。
「はぁ。全然乙女心が分かってないなぁ。はい、剣道終わるの待ってあげてたんだからジュース奢って♪」
「いや、お前が勝手に待ってただけだろ」
拓也が自販機からポカリを取り、振り返ると葵が笑顔で手を差し出していた。
「ね!いいでしょ?」
その時、風が吹き、葵の前髪がふわりと風になびく。葵の額に切り傷のような痕が見えた。拓也にはその傷に見覚えがあった。
「はいはい、分かりました葵お嬢様。仰せのとおりに。何を飲まれますか?」
「ぷっ。なにそのキャラ。じゃあ、私これ」
ガタンと音を立てて出てきたジュースを自販機から拓也が取り出し葵に渡す。
「えへへ。ありがと拓也」
くずれた前髪を整えながら葵は礼を言う。
「へいへいどういたしまして」
葵の笑顔に少し頬が赤くなるのを感じた拓也は、葵に背を向け歩き出した。
2人は帰路につく。
拓也と葵の家は別段近いというわけではない。拓也たちが通う高校から見ると同じ方角ではあるが、葵の家は商店街の近くに位置し、拓也の家はそこから少し離れた場所にあった。父親同士が仲良くなければあまり関わる機会もなかっただろうと拓也は思う。
「ねぇ、最近さ、剣道の調子はどうなの?」
葵はふと尋ねる。
「どうって。別になにも。惰性だよ惰性」
小学生のころから続けている剣道。中学までは真面目にやっていた拓也であったが、今ではその頃の熱意は感じられず、日々の稽古をこなすだけになっていた。
「えー。今度大会あるんでしょ?高校最後の大会だよ?」
拓也にとって高校生活最後の大会が来月に迫っていた。全国大会にもつながる大きな大会だ。
「いや、うちの地区にはあの天才剣道高校生がいることだし、どうせそいつが優勝するんじゃねーの。それ以外にも強いやつなんて大勢いるし、俺は出る幕がないっていうか。ま、そもそもこれで晴れて俺の剣道人生も終われるって思うとなんか清々しいなぁーって。大学では剣道やるつもりないし」
拓也の出場する地区では昔より剣道が盛んで、男の子の習い事といえば剣道というほど浸透していた。それもあってか、地区予選でありながら全国的に注目されており、なかでも1000年に1人の天才とお昼のワイドショーでも取り上げられる黒崎大吾が拓也と同じ地区にいた。
「うわ。逃げるんだ。かっこわるー」
しかし、葵は知っている。拓也の剣道は誰よりも美しく綺麗で強いことを。昔はよく拓也の試合や稽古を見学しに行っていた。剣道のけの字も分からない葵であったが、初めて拓也の剣道の試合を見たときの感動は今でも覚えている。
「そ、そんなんじゃねーよ!ほら?なんていうの。そうそうコスパ。コスパ的にさ。頑張っても損だって」
そう言って拓也は自分を正当化する。それがあまりにも無様でかっこ悪いのは他の誰でもなく自分が一番よく分かっていた。
「じゃあさ、こういうのはどう?私のために優勝するってのは。」
「なにその私を甲子園に連れていってみたいなやつ。お前、なに?南ちゃんなの?でも、残念だったな。それで勝てるほど俺には実力も才能もないのです。無理だよ無理無理」
拓也のバカ・・・心の中で呟く。葵は決して拓也に優勝してほしいと本気で思っているわけではない。剣道に対して消極的になってしまった拓也に失望しているわけでもない。なぜなら彼女の目には拓也はなにひとつあの頃と変わっていないように映っているのだから。拓也のなかに眠る情熱を他の誰が否定しようとも長年近くで見ていた葵には分かる。ただ一言、「頑張る」と言って欲しかった。拓也はただ自信がないだけなのだ。中学最後の大会の団体戦、決勝までは程遠く3回戦ではあったが、その試合は大将戦までもつれ込み、大将だった拓也はあと一歩のところで負けてしまった。それ以来、本気で剣道することにひどく恐怖している。本気で剣道していたからこそ、拓也は挫折してしまったのだ。
「拓也、私ね・・・」
プゥーッ!!いつの間にか交通量の多い商店街の近くまで来ていた2人。葵の声はトラックのクラクションにかき消される。
「ん?今なんか言った?」
葵の決意は拓也には届かなかった。
「ううん。じゃ、私はここで。」
「おう」
葵は別れを告げた後もその場に残る。それを不思議がる拓也。
「あのさ、明日の休み、ちょっと話せる時間ある?」
「明日?その話、今じゃだめなのか?」
当然のような疑問を葵にぶつける。
「うん。できたら明日がいい。明日の11時に噴水公園の噴水前に来てくれる?」
「分かった。11時な。」
休みの日、2人が会うこと自体は最近になって減ってはしまっていたがないことはなかった。拓也はただ買い物に付き合って欲しいのだろうとついでに一応受験生ということもあり進学のための予備校決めとなどの相談かなと勝手に思っていた。いや、平静を装った葵の顔にどこか神妙な真面目さを察し、そのように思いたかったというのが正直なところであった。
明日の待ち合わせ時間と場所を確認し、「じゃあね」と言い葵は横断歩道を渡っていく。その姿を見送っていた拓也はふと葵を呼び止める。
「葵!あのさ、今度の大会だけど・・・やっぱ自分で後悔しないようにやれるだけ頑張るよ」
「うん!」
やっぱり拓也はなにも変わってない、葵は嬉しそうにはにかむ。
ちょっと弱いところもあるけれど誰よりも優しくて誰よりも熱い心をもつ拓也だから。だから私は、拓也のことが―――――。
第2章
ジリリリリリッ。
目覚まし時計の音が部屋中を埋め尽くす。柘榴拓也はその騒音の元凶を止めた。朝の9時。約束の2時間前。部屋にはカーテンの間から朝日が漏れている。拓也は起き上がり、カーテンを開けた。
朝の歯磨きをしながら、昨日稽古の途中で小手紐が切れていたことを思い出した。都合よくまだ待ち合わせまで時間がある。武道具屋は昨日葵と別れた商店街にあり葵の家までは5分のところだ。葵は気を遣って拓也と葵の家のちょうど中間地点に位置する噴水公園を待ち合わせ場所にしてくれたようだが、小手紐のついでもあるし家まで迎えに行こうと考えた。拓也は葵に連絡する。
「もしもし、葵。ごめん、起こした?」
電話口に出た葵はどこか眠たそうだった。
「ううん。ちょっと昨日、夜更かししちゃっただけ。どうしたの?」
拓也は小手紐の話を伝え、迎えに行くと提案する。
「そうだね。うん、分かった。じゃ、待っ・・・」
葵の返事はそこで止まる。
「ごめん。やっぱ、今日誘ったのは私だし、昨日のジュースのお礼もあるしさ、私行きがけに買っていくよ。大丈夫。小手紐でしょ?おっけぃ♪」
どこかなにかを隠して取り繕うとしているような印象を拓也は受けた。
「いやでも悪いし」
「いいからいいから。あ、それよりあの課題やった?明日提出だよ?あんまり時間かからないから忘れないうちにやっておいた方がいいよー」
そういえば、そのような課題があったような気もする。ここは葵に甘えておこう。
「完全に忘れてた。分かった。じゃ、お願いします。集合時間は11時のままでいいのか?」
「うん。大丈夫。それじゃあとでね」
拓也は電話のあと、少し葵に申し訳なさを感じつつ課題を取り組むため部屋に戻った。
10分前に、柘榴拓也は噴水公園に着いた。まだ葵は着いていないようだ。葵の言う通りあの課題はそこまで時間もかからず終えることができた。課題と小手紐のお礼に昼飯でも奢ってやるかなと考えながら、噴水の前のベンチに座り、葵を待つ。
ふと昨日の葵の様子を思い出す。葵は話があると言っていた。なんの話だろう。昨日は進学の話だろうと勝手に思い込んでいたが、いつもと違う雰囲気を葵から感じていた。考え過ぎか、拓也は気づかないうちに力が入っていた肩の緊張を解し、天を仰いだ。空には太陽がさんさんと輝き、雲一つない初夏の空が広がっていた。それにしても、なんの話だろう。
時刻は待ち合わせの11時が過ぎ、10分になろうとしていた。葵が待ち合わせ時間に遅れることはかつてなく、ましてや自分から誘っているときは必ず拓也よりも前に待ち合わせ場所に着いていた。小手紐を買うのが手間取っているのかもしれないと一切の疑問を浮かべなかった拓也だがふと心配になり葵の携帯に電話をかける。
10回ほどプルルと発信音が流れたが出る様子はない。もしかしてなにか急な用事が入ったのかもしれないとLINEでメッセージを飛ばそうとした。ブルルと携帯が震える。画面には「月永葵」という文字ではなく、「親父」と表示されていた。
「もしもし、拓也か。葵ちゃんがな。」
「葵ちゃんが、事故にあって病院に運ばれたらしい」
後篇につづく。。。