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「はぁ~。」


 馬鹿な友人に対して本城ほんじょう洸太こうたは深々と溜息を吐いた。

 何が悲しくて折角の冬休みに病院、しかも、悪友の見舞いの為に来なければならないんだろうか。

 本当は来る気などなかった、それもコレも色ボケした兄の所為だ。


「あの馬鹿兄貴……。」


 洸太は拳を握り締め、あの兄――征義まさよしがこの秋丁度教育実習場所で出会った少女――秀香しゅうかを家に呼んで、丁度いいからと洸太を追い出したのだ。


「嫌われちまえばいいのにな……。」


 恨み言を言う洸太だが、その願いは叶ってしまう。因みに、その原因は征義が秀香に口付けをしようとして初心な秀香が顔を真っ赤にして、逃げ出してしまう。それが、何と三日もかかり、洸太に八つ当たりするのだが、この時の洸太は自分にそんな未来があるなんてしらなかった。


「はぁ~……。」

「『そんなのは無視したらいいよ、アヤは絶対悪くないものっ!』……はい、送信っ!」

「……。」


 明るい声音に洸太は足を止め、その声の出所を探ると、陽だまりの中のベンチに一人の少女が座っていた。


「あっ、もう返事?え~と、『そうは言っても…、あの子を無視できないよ…。』…『そうは言っても、アヤは嫌だったんでしょ?』……っと送信。」

「……。」


 あまりにも大きな独り言に洸太は思わず噴出した。


「ふくくく……。」

「えっ?」


 笑い声が少女の耳にも届いたのか、少女は洸太をじっと見てそして、自分の独り言が聴かれた事に気付き顔を真っ赤に染める。


「なっ、いつから……。」

「確か「そんなのは無視したらいいよ。」だったかな。」

「いやああああああああっ!」


 少女は耳を塞ぎ大きな悲鳴を上げ、洸太はその悲鳴があまりにも大きいものだからギョッと目を見開いた。


「お、おいお前…。」

「最低、最低、最低っ!」

「……。」


 洸太は突き刺さるような視線を感じ、油の切れた機械人形のように首を動かすと己を咎めるような目で見る入院患者やその見舞いに来た人の視線があった。


「げっ……。」


 第三者の目から見れば間違いなく自分はこの少女を虐めているようにしか見えないだろう。


「悪かった、悪かった。」


 洸太は取り敢えず謝るが、少女はそんな言葉が耳に入っていないのか、意味不明な叫び声を上げている。


「…頼むから…、オレの話しを聞いてください……。」


 肩を落とす洸太に少女が落ち着くまで残り十分。


***


「す、すみませんっ!」

「…いや、ちょっかいを出したオレも悪いから……。」


 ようやく落ち着いた少女は深々と頭を下げ、洸太は困ったように微笑んだ。


「ううう…。よく友だちからも声に出しながら読むのは止めろと言われていたんですけど…こう、気を抜いたら……。」

「……変わった奴だな。」

「…よく言われます。」

「…敬語じゃなくていいぞ。」

「ですけど……。」

「オレは高一だけど、お前は?」

「……あたしも…高一。」

「それじゃ、問題なし。」


 洸太がそう言い切ると、少女は困ったように微笑んだ。


「問題なしって…。」

「まあ、オレとしたら敬語とかマジでごめんだから、頼むから普通に話してくれよ。」

「分かり……分かったわ。」


 少女は洸太の咎める眼差しから逃れるように、言葉を直した。


「お前は入院患者か?」

「うん、そう……よ。」

「……まあ、徐々に慣れてくれ。」

「うん…。」


 まだ言い慣れないのか、少女は言葉を詰まらせる。


「オレ、本城洸太っていうんだ。お前は?」

「あたしはもり森有華莉ゆかり。」

「ユカリかいい名前だな。」

「そうかな?」

「ああ。」

「コウタくんはどんな字?」

「さんずいの光で「洸」で、大きいに点をつけて、「太」だ。」

「へ~。」

「ユカリは?」

「有る華で草冠の利益の利で有華莉…あっ、「はな」は華族の「華」よ。」

「やっぱりいい名じゃん。」

「ありがとう。」


 洸太は何を思ったのか急に立ち上がり、有華莉を置いていく。


「……。」


 有華莉は何をするのかと眉間に皺を寄せて、いたら直ぐに洸太は戻ってきてその手にはココアとコーヒーの缶を持って来た。


「ほら、どっちがいい?」

「えっ?」

「コーヒーとココアだよ。」

「ココアで。」

「ほらよ。」


 洸太は有華莉にココアの缶を渡した。


「ありがとう。」

「ん。」


 洸太はさっさとコーヒーに口を付け、ニヤリと笑った。


「やっぱりオレの勘は当たるな。」

「えっ?」

「オレ実はココアなんて甘いもん飲めない。」

「え~、それなのに買ってきたのっ!」

「ああ、お前ならココア好きな気がしたからな。」

「……。」


 確かに有華莉はココアが好きだ、それでも初対面の人にそう言い切られるのは初めてだった。


「顔に出てたかな?」

「ん~、ただの勘だって、正直温かいのみもんはいっぱいあったけど、何となくこれだな、と思ったんだ。」

「へ~。」


 有華莉は感心しながらココアを啜る。


「あっ、このメーカー好きなやつだ。」

「……パッケージを見れば分かるじゃん普通。」

「だって、味で覚えちゃったんだもん。」

「…まっ、いいけど。」

「洸太くんはどうしてここに?」


 洸太は自分がわざわざこんな病院なんて健康状態でいても面白くもない所に来た理由を思い出し、それを口にする。


「ダチの見舞い。」

「お友だちの?」

「ああ、冬休みだからってスキーに行ったのはいいが、運悪く骨折。」

「うわっ、壮絶。」

「で、暇しているだろう、と言って見舞いついでに打ちのめしに来た。」

「あはは、その人災難だね。」

「こっちの方が災難だ。」


 洸太は本当に嫌そうに顔を顰め、初めて会ったばかりの少女なのに愚痴り始めたのだった。


「オレさ、別に不良つーわけじゃねぇんだが、ダチの多くがそういう不良と分類される奴が多いんだ。」

「そうなんだ。」

「ああ、しかも征兄。」

「征兄?」

「あっ、オレの兄貴の事なんだけど、そいつが彼女を作ったんだけど。」

「いくつ離れているの?」

「今大学四年だから………いくつだ?」


 指を折って計算を始めた洸太に有華莉はクスクスと笑った。


「何だよ、急に。」

「だって、すぐにすんなり答えられるじゃない。」

「そうか?」

「うん。」


 まだクスクスと笑っている有華莉に洸太は興が殺がれたのか、肩を竦めてコーヒーを飲んだ。


「征兄が彼女作ってそんで、邪魔だからって追い出されたり、後はそうだな…従兄がいるんだけど、そいつも彼女が夏くらいに出来て、うざったいくらい惚気るから本当に参っているんだよ。」

「洸太くんのお兄さんだったらきっと格好良いんだろうね。」


 洸太も顔は整っている方であるため、有華莉はそう思ったようだ。


「まあ、顔だけはいいな。」


 洸太は気にしていないように言うが、有華莉は興味持った。


「どんな人なの?」

「そうだな……狼?」

「……。」


 実の兄を狼とたとえる洸太に有華莉は何故か沈黙した。


「狼?」

「ああ、虎視眈々と獲物を狙う狼、仲間思いなんだが、普段は一人で行動して、そんでもって独占欲が強い。」

「……。」

「他には、そうだな……、一度敵だと認識したら牙を剥くな。」


 有華莉は洸太の言葉に苦笑を浮かべる。


「何か、すごい人だね…。」

「まあな、兄貴に目をつけられたあいつが可哀想に思うんだよな。」

「彼女さん?」

「ああ、教育実習先で口説いて口説いて、やっと落とした奴。」

「……。」


 あっさりとした言葉なのに、内容は簡単に笑い飛ばせる内容ではなかった。


「何か…ドラマみたいだね。」

「はぁ…実の兄弟がそんな事をするから、本当に弟であるオレが迷惑しているんだよ。」

「ははは、大変だね。」

「……マジで他人事のように思いたいけど、無理だからもう、本当に最近は泣きそうなんだよな。」


 冗談ぽく話す洸太なのだが、残念ながら、その目はかなり本気だった。


「……た、大変だね。」

「はぁ…、本当にこの冬休みは地獄だぜ。」

「……よければこれから愚痴を聞こうか?」


 有華莉の言葉に洸太はゆっくりと顔を上げて、彼女を見る。


「洸太くんがここに来てくれればの話なんだけどね。」

「……いいのか?毎日のように押しかけるぞ?」


 洸太の言葉に有華莉は嬉しそうに微笑んだ。


「大丈夫、入院ってすごく暇なんだよね。会いに来てくれる人だって限られるし、だから、洸太くんと話せるのはすごく楽しいよ。」

「……それじゃ、明日も来るな。」

「うん、あたしの病室は802号室だよ。」


 洸太は忘れないように持っていた手帳に有華莉の名前と病室の番号を書き込んだ。


「そろそろ、オレは本来の見舞い相手に会いに行って来るな。」

「うん、また明日ね。洸太くん。」

「ああ、また明日。」


 洸太は軽く手を上げ、有華莉に背を向けた。


***


「お~い、生きてるか?」

「失礼な奴だな。」

「おお、そんな口が利けるんなら元気だな。」


 からからと笑う洸太に少年は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「やっぱ入院中って暇なのか?」

「当たり前だろ、もう、本当にやる事も制限されるし、家にある漫画だってもう見飽きちまってるし。」

「そうか。」

「あ~、早く家に帰ってカップラーメンを食いてー。」

「…何故にそれなんだよ。」


 呆れる洸太に少年は握りこぶしを作る。


「マジで病院食ってあっさりしすぎてだな、こう、こってりしているもんが食いたくなるんだよ。」

「そんなんだから、骨が折れるんだぞ。」


 食生活の乱れから骨を折る原因を作ったのではないのかと、洸太は呆れる。


「お前までそんな事をいうのかよ。もう、かーちゃんのお説教でこりごりだよ。」

「当然だろ。」

「……は~、それに可愛い女の子たちとデートしたい。」

「……病院患者とか見舞いの女の子に声掛けてると思った。」

「したさ、でも、どの子も彼氏持ちだったし。」

「……。」


 もう声を掛けたのかと洸太は呆れ果てる。


「そういえば、あの幼馴染の子はどうしたんだ?」

「あいつ?あいつは……。」

「あ~、もう、何であたしがこんな事をしないといけないのよっ!」


 文句を言ってこっちに向かう少女の声に聞き覚えがあり、洸太は呆れる。


「見舞いに来てもらってるのに、ナンパしてるのかよ。」

「あいつが勝手に来るんだっ!」

「はいはい。」


 洸太は呆れながら小さく肩を竦めた。


「とっととくっつけばいいのにな。」

「何でだよ、何であいつとっ!」

「この馬鹿っ!静かにしなさいよね。他の患者さんの迷惑じゃないっ!」

「てめぇの声の方がよっぽどでけぇじゃないかよ。」

「そもそもあんたが。」


 完全に洸太は忘れられ、二人の痴話喧嘩を聞く。


「何でオレの周りは馬鹿ップルが多いんだよ。」


 何かの呪いではないかと洸太は嘆くが残念ながら、彼のそういった運勢は最悪だったりする。


***


「………ただいま。」


 あの二人の喧嘩は結局三時間に及び、洸太は面会時間ギリギリまでいる事になってしまった。

 何度か洸太は逃げ出そうとしたのだが、あの二人が洸太の腕をしっかり掴み、逃げられないようにしたのだ。


「……疲れた…って、征兄、引き止めてるのかよ。」


 洸太は玄関に並べられる靴の中で女物の靴がある事に気づき、溜息を吐く。


「本当に秀香さん悪いよな。」


 洸太はトボトボとリビングに向かった。


「ただいま、征兄、秀香さん。」

「ああ、帰ってたのかよ。」

「おかえりなさい、洸太くん。」


 ソファーに座り、雑誌を捲る征義と、台所で夕飯の支度をしてくれている秀香は顔を挙げ、洸太に声を掛けた。


「遅かったな。」

「あいつとあいつの幼馴染との痴話喧嘩に巻き込まれた。」

「ははは。お前本当に運がないよな。」

「征義さんっ!」


 笑う征義に秀香は軽く睨む。


「悪かった。」

「もう、征義さんはいつもそうですよね。」

「……。」

「自分勝手で、本当に人の気持ちを考えてくれない。」


 秀香が恨みがましく征義を睨むと彼は自覚があるのか顔を背けた。


「はぁ。もうすぐ出来るので手を洗ってきてくださいね。」

「はい。」

「本当に秀香さん、すみません。」

「ううん、いいのよ、放っておけばコンビに弁当やカップラーメンですごすからすごく心配しているから。」

「……ありがとうございます。」

「どういたしまして。」


 洸太が感謝の言葉を言うと秀香は花が咲いたような笑みを浮かべる。

 この時、洸太はいつも思うのだが、何でこの心優しい少女が自分の兄みたいな自分勝手の人間を好きになってしまったのだろうかと。


「おい、洸太、秀香に手を出すなよ。」

「…実の弟まで嫉妬して如何するんだよ。」


 呆れる洸太に征義はかなり本気で睨んでいる。


「…はぁ。」


 洸太は溜息を吐いて、そして、征義の頭を叩く。


「馬鹿兄貴、誰が人の彼女に手を出すかよ。」

「そう言うが、好きになれば関係ないんだぞ。」


 昔の兄を知っていればかなり意外な言葉なのだが、秀香を見つけてからの征義の言葉は真実味がかなりあった。


「安心しろよ、秀香さんは姉として好きだ。」

「……。」

「ありがとう。」


 洸太の言葉に征義は沈黙し、秀香は嬉しそうに微笑んだ。


「それにちょっと気になる奴が出来たしさ。」


 洸太の言葉に秀香と征義は同時に目を丸くさせ、違いの顔を見合わせた。


***


 秀香は結局本城家で夕食を食べる事になり、残ったものをタッパに入れ、兄の分の夕食にした。


「洸太くん、お茶はいかが?」


 秀香は自分が紅茶を飲みたかったので、洸太に聞いた。因みに征義はコーヒー派なのでそちらの分も用意する予定だ。


「オレもコーヒーがいいかな。」

「分かったわ。」


 秀香は台所に行き、紅茶とコーヒーの準備をする。


「……なぁ、秀香さん。」

「何?」

「女ってどんなものをお見舞いの品として持っていけば喜ぶかな?」

「…そうね。」


 秀香は要らぬ事を詮索せずに、洸太の質問に答える。


「お花とかお菓子かな。」

「何かパッとしないな。」

「だけど、この二つだったら長くは残らないし、下手に長く残るものを異性から貰うよりよっぽどマシだと思うわ。」

「……。」

「それに昨日、今日と会った人から高価なものを貰っても正直反応に困るわね。」

「……。」


 洸太は明日の見舞いの品に何かを買っていこうと考えていたのだが、秀香の言うように普通の高校生では少し高めのものを買おうかと考えていたので、思わず黙り込んでしまった。


「甘いものが好きな子だったら、やっぱりお菓子かな。お花だったら花言葉とか色々あるし、椿とかそういう花を選んじゃったら縁起悪いしね。」

「……。」


 洸太は贈り物一つにしてもここまで深く考えないといけないのかと、頭を悩ませた。


「……あいつ、ココアなんて飲むから甘いもんは大丈夫だよな。」


 洸太は彼女の事を思い出し、ポツリと呟く。


「洸太くん、はい、コーヒー。」

「あっ、ありがとうございます。」

「後、ちょっと作りすぎたからこっちのクッキーも食べてくれる?」

「……。」


 洸太は思わず市販のものかと思われた皿に盛られたクッキーを見て、一つ口に入れる。

 食べてみると程よい甘さが口に広がった。


「……秀香さん、これまだ残っている?」

「ええ、あるわよ。よければラッピングしてあげましょうか?」

「……。」


 洸太はそこまでしてもらうのも、と考えるが、かといって自分でするのは少し気が引けたので、ここは大人しく秀香にお願いすることにする。


「お願いします。」

「分かったわ。」


 秀香はニッコリと微笑み、そして、サランラップやらリボン、色々な道具を使って市販のもののように綺麗にラッピングしていった。


「器用ですね。」

「そうね、もともとこういう作業は嫌いじゃないから。」

「……。」

「今度色々と教えましょうか?」

「……お願いします。」


 洸太は秀香に頭を下げ、ここからある意味師弟関係が結ばれたのだった。


***


 洸太は秀香の用意してくれたクッキーを持ち、有華莉の病室に向かっていた。


「あいつ喜ぶかな……。」


 秀香のクッキーは本当に美味しいので喜んでもらえるとは思うが、流石に昨日あった男から物を貰うのは抵抗があるのではないのか、と頭を悩ませる。


「…さりげなく…いや…うまくいくかな?」

「何の話?」

「あいつに、これを――って、有華莉、お前いつの間にっ!」

「あたしの横を通り過ぎても気づかない人に驚かれたくありませーん。」

「悪かった。」


 洸太は本気で参っていた。


「ふふふ、いいよ。これお見舞いの品?」

「ああ、口に合えばいいけど。」

「ありがとう。」


 何とも情けない渡し方になってしまったが受け取る本人が喜んでくれたのでひとまずはこれでよしとする。


「洸太くん、外に行かない?」

「いいのか?病室にいなくて。」

「平気、平気。」


 明るく笑う有華莉に洸太は釈然としなかったが、取り敢えず、彼女がいいのならばと頷いた。


「何処に行く?」

「う~ん、今日も天気がいいし、屋上で。」

「オッケー。」


 二人は並んで屋上に向かい、そこには小さなベンチがあり、二人は並んで座った。


「これ、何処で買ったの?」

「兄貴の彼女が作ったんだよ。」

「えっ、手作りなの?市販のものだと思った。」

「オレも始めてみた時は驚いたぜ。」

「それじゃ、さっそく一つ。」


 有華莉はクッキーを一つ摘み、口に入れる。


「ん~、美味しい。」


 次々とクッキーを口に頬張る有華莉に洸太は呆れる。


「おいおい、そこまでしなくてもクッキーは逃げないぞ。」

「そうかもしれないけど、美味しくて手が止まらない。」

「……。」


 洸太は肩を竦め、パクパクと食べる有華莉を見つめていた。


「本当にうまそうに食うな。」

「だって、美味しいんだもの。」

「まあ、美味いけどさ。」

「はぁ~。こんな料理上手な彼女を持てて、洸太くんのお兄さんは幸せ者だね。」

「だろうな、物凄く惚気てうざいけど。」

「ははは、そうなんだ。」

「そうそう、事あるごとにまた教育実習生として秀香さんの側にいたとかほざいているし、しまいには、女装して学校に行くか。とか言っているし。」

「冗談でしょ~。」

「……そうならいいんだけどな。」


 遠い目をする洸太に有華莉はマジの話だったのかと、顔を引きつらせた。


「ほ、本当なんだ。」

「ああ、何であんな奴になってしまったんだろう、昔はもっと冷酷で…ってそれも人としてかなり問題があるが……。」


 頭を抱えだした洸太に有華莉は黙ってみている事しか出来なかった。


「それでも…いや…今の方が…人間としてマシ……なのかもしれないが…それでも…自分の兄貴が変態なのは……いや…だが……。」


 かなり葛藤している洸太に有華莉はその肩を軽く叩いた。


「大丈夫?」

「あっ……悪い。」

「ううん、身内の心配だもん、仕方ないよ。」


 苦笑する有華莉に洸太は微苦笑を浮かべる。


「有華莉は兄弟がいないのか?」

「あたしは一人っ子だよ。」

「へー。」

「でも、兄弟が欲しかったな。」

「……。」


 遠い目をする有華莉に洸太は何もいう事が出来なかった。


「ねぇ、よければ洸太くん色々な話をしてよ、学校とかさ。」

「別にいいぜ。」


 洸太はたわいのない学校生活の話や、友だちとどこどこに行ったなど、本当に学生らしい事を話した。

 どの話でも有華莉が食いつくので、彼女はどのくらい入院しているのかと、考えるが、そんな事を聞くにしても、自分たちの関係はまだ友人にすらなっていない。


「うわっ、もうこんな時間?」


 有華莉は空を見上げ、思ったよりも高い位置にある太陽に驚く。


「そろそろ、オレ行くな。」

「うん、またね。」

「明日もくるな。」

「いいの?」

「ああ、何か土産が欲しいのあるか?」

「悪いよ。」

「いいんだよ。」


 洸太がそう言うと、有華莉は迷ったようだが、それでも、ついつい言ってしまう。


「それじゃ、シュークリーム。」

「ん、じゃあ、明日な。」

「うん、明日ね。」


 洸太はシュークリームをどこかで買うかと、考えるが、一瞬思いついた考えで、思わず秀香に電話してしまった。


***


 翌朝、洸太は秀香の教えのもと作ったシュークリームの出来を見ながら苦笑した。

 形はかなりでこぼこで、市販のものには見えなかったが、味は秀香のお陰でかなり美味しいものが出来た。

 洸太はこの時、有華莉の真実を知るとは思っても見なかった。

 洸太が有華莉の病室に行ってみると、そこには一人の女性が落ち込んでいた。

 女性はどこか、有華莉に似て、だけど、憂えた目は彼女が決してしない目だと思った。


「あら、有華莉のお友だちかしら?」

「ええ、まあ。」

「ふふふ、ごめんなさいね、あの子今検査に行っているわ。」

「…そうですか。」

「もう少ししたら帰ってくるから、待っている?」

「そうさせてもらいます。」


 洸太は持ってきた箱を机の上に置き、椅子を広げ座る。


「何でかしらね。」

「えっ?」

「何で…あの子が……こんな目に遭わないといけないのかしらね。」


 洸太は黙って女性の言葉を聞いていた。


「あの子はなにもしていないのに、何で……、生存確率が三割のそんな病気にかからないといけないのかしら……。」


 女性の言葉にがたりと物音がした。

 洸太はその物音は自分がやったのかと、思った、だけど、違った。


「有華莉?」

「何で……何でそれを洸太くんに話すのっ!」


 怒りで顔を真っ赤にさせた有華莉は走り出す。


「待てよっ!」


 洸太は必死になり、有華莉を追いかける。

 有華莉は思ったよりも運動神経が良くないのか、洸太はすぐに彼女を捕まえる事が出来た。


「洸太くん……。」

「悪い、勝手に聞いてしまって。」

「ううん、洸太くんが悪いんじゃない……。」


 何もかも諦めたように、有華莉は首を横に振った。


「あたしね手術をしないと死んでしまうの、だけど、その手術だって、成功確立がかなり低くて……あはは、どちらにしても、死んじゃうかもしれないんだ。」

「――っ!」


 洸太は思わず有華莉の肩を掴み、抱きしめた。


「簡単に死ぬとか言うなっ!」

「洸太くん。」

「大丈夫、何て言葉は言わない、だけど、三割は生きるんだろ、その三割を信じろよっ!」

「だけど、七割は死ぬんだよっ!」

「何で悪い事の方に考えるんだよ!」

「だったら、何で洸太くんは良い方に考えるのよっ!」


 怒鳴る有華莉に洸太は何も出来ない自分に嫌気が差した。


「洸太くんにはあたしの気持ちなんて分からないっ!」

「ああ、分からないよっ!」

「離してっ!」

「嫌だっ!」

「馬鹿、馬鹿、馬鹿っ!」

「馬鹿はお前だっ!」


 洸太は華奢な肩を強く掴んだ。


「痛ぅ…。」

「オレだって……昔…。」


 洸太はポツポツと自分が幼い頃の事を話し始めた。


***


 洸太はその昔、幼い身で手術をしなければならなかった、心臓が弱く、手術しなければ長くは生きられないと言われたからだ。

 その時、洸太は怖くて、毎晩、毎晩病院の枕を濡らした。

 そんな時、兄である征義が洸太を支えてくれた。

 両親は忙しく三日に一回顔を合わせれば十分だったが、征義だけが学校帰りから面会時間ギリギリまで一緒にいてくれた。


「おにいちゃん。」

「今日も来たぞ。」

「……ぼく…ずっと、ここにいるのかな……?」


 洸太の言葉に征義は顔を顰める。


「馬鹿な事を言うなよ。」

「だって……。」

「大丈夫だ、お医者様を信じろよ。」

「う…ん……。」

「なあ、もし心臓が元気になったら、何をしたい?」

「……みんなで、おそとをかけまわりたい。」

「そうか。」

「あとね、あとね、しょうがっこうにはいって、プールでおよぎたい。」

「大丈夫だ、絶対に治って全部叶えような。」

「おにいちゃん。」


 征義の言葉に洸太は強く思った。

 絶対に治して、したい、事をするのだと。

 そして、後に知る、その手術の成功の確率がかなり低かった事を、それを征義が知っていた事を――。

 当時の征義はきっとどうすれば、洸太が生きたい、と強く思うのか考えたのだろう、だから、洸太が元気になってからしたい事を訊いたのだ。

 それが彼に生きる気力を生ませるために。


***


「そんな事があったの?」


 信じられない事を聞いた有華莉は大きく目を見開いていた。


「ああ、マジであん時のオレはガキだった、外で遊びたい、皆で走り回りたい、体育をしたい、プールをしたい、色々なところに行きたい。そんな事を考えて、オレは生き残った。」

「……。」

「有華莉は何をしたい?」

「あたしは……。」


 有華莉は目を瞑り、そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「分からないよ…。」

「有華莉。」

「だって……、だって…。」

「それじゃ、有華莉が手術に成功したなら、オレはお前に言いたい事がある。お前は驚くかもしれない、拒絶するかもしれない、だけど、絶対にお前が成功すれば、オレはお前に言おう。」

「……何よ、それ。」

「まだ、秘密。」

「……。」


 洸太はそっと、有華莉の頬を包み込む。


「なぁ、お前はメル友の奴と会いたいか?」

「えっ?」

「元気になれば会いに行きける、学校に行ければ、新しい友達が出来る。元気になればそんだけ、お前は色んな事が出来るんだ。」

「……。」

「今したい事が思いつかなければ、それでいい、だけど、頼むから手術の前から生きる事を諦めないでくれ、それだけで、いくら成功率の高い手術でも成功率が下がってしまうから。」


 洸太の言葉に有華莉は自分が死ぬ事ばかり考えていた事に思い至る。

 自分が死ぬなんて周りから思わせたくないから明るく振舞い、そして、影で泣いていた。


「………影で泣くなよ。」

「洸…太…くん。」

「オレが側にいる。」


 洸太は自分の胸に有華莉を押し付けた。


「洸太くん、洸太くん……。」


 有華莉はあふれ出した涙を止めず、洸太に抱きつきながら泣き出した。

 ひとしきり泣いた有華莉が顔を上げた頃には彼女の目は赤くなっていた。


「たくさん泣いたな。」

「……洸太くんが悪いんだ。」

「そうかもしれないけど、すっきりしただろ?」

「うん。」


 有華莉は頷き、洸太を見上げた。


「ありがとう、洸太くん。」

「いや、オレは何もしてねぇよ。」

「ううん、洸太くんがいてくれたから、あたしは今笑えるんだよ。」


 有華莉はそう言いながら笑みを浮かべた。


「毎日来るから…。」

「うん。」

「もし、手術の日が決まってもちゃんと来るから…。」

「うん…。」


 洸太はそっと有華莉に小指を差し出した。


「洸太くん?」

「ガキくさいかもしれないけどな?」


 有華莉はクスリと笑い、洸太の小指に自分の小指を絡めた。


「ゆびきりげんまん。」

「うそついたら。」

「はりせんぼんの~ます。」

「「ゆびきった。」」


 まるで子どもに戻ったかのように二人は楽しそうに指切りをした。


「それじゃ、明日な。」

「うん。」


 洸太は軽く手を上げ、有華莉はその後姿を見送った。


***


 有華莉は一人病室に戻ると、項垂れる母の姿があった。


「お母さん。」

「有華莉。」

「ごめんね、行き成り出て行って。」

「ううん、お母さんも悪かったわ。」

「あたし、手術ちゃんと受けるから。」


 有華莉の言葉に母は目を見開いた。


「あたしは死なない、洸太くんの言葉を待つって決めたから。」

「……あの子のお陰?」


 母はまるで眩しい太陽を見るように目を細めた。


「うん、洸太くんが励ましてくれたから。」

「そう、……後でお礼を言わないとね。」

「うん。」


 有華莉は頷くと、ふと机の上に箱がある事に気づく。


「これ。」

「それ、あの子が持ってきたようよ。」

「何だろう…。」


 有華莉が箱を開けると、少し形の崩れたシュークリームが二つ並んでいた。


「シュークリーム……。」

「手作りかしら?」


 有華莉は母の言葉に答えず、一口それをかじった。

 口の中にクリームの甘さが広がり、そのあまりの優しさに涙がこみ上げてきた。


「有華莉?」

「美味しい……。」

「……。」


 涙を零しながらシュークリームを食べる有華莉を見て、あの少年が娘にとって大切な人なのだと母は静かに悟った。


「後でお礼を言わないとね。」

「うん…。」


 有華莉は微笑み、そして、外を見た。


***


 洸太はトボトボと歩きながら、空を見上げる。


「あんな形で知りたくはなかったな……。」


 洸太は有華莉の母親が今にも崩れそうなのを理解していたが、それでも、もっと気丈に彼女と接して欲しいと思った。

 そうじゃなければ彼女は不安になり、そして、母もまた落ち込むという悪循環に陥ってしまう。

 今は有華莉が自分を誤魔化すために、笑み顔を浮かべているが、それでも、このままで行けば彼女はまず助からないだろう。

 それほど、洸太の目には彼女が生きる気力が欠けているようだった。


「オレが何とかできればいいんだけど。」


 洸太は溜息を一つ吐いて、彼女に自分ができる事を考える。


「……取り敢えず…今日も秀香さんの所に行って相談しよう。」


 女心をいまいち理解していない洸太は兄の彼女である秀香に頼るしか、道はなかった。

 そして、落ち込んだ顔で訪れた洸太に秀香は驚きながらも、洸太の相談に乗った。


「…そっか。」


 秀香には有華莉が手術を怖がっている事を伝え、そして、生きる気力が損なわれているのではないかと、簡潔に話した。


「洸太くんはその子が好きなんだね。」

「なっ!」


 秀香の言葉に洸太は顔を真っ赤にする。


「う~ん、付き合うようになったら、私に相談しない方がいいかもね。」

「何でですか?」

「あの人を思い出してよ。」

「……。」


 あの人と言われ、洸太の脳裏に浮かんだのは己の兄の姿だった。

 そして、納得する。


「あいつは嫉妬するような奴じゃないと思うが、うん、気をつけます。」

「うん、それにしても、征義さんは間違いなく嫉妬深いよね。」

「つーか、独占欲が異常じゃねぇかよ。」


 二人して頭を抱えた。


「……話戻そうか。」

「そうですね。」

「そうね、願いが叶うといえば「みさんが」って言うのがあるけど、手作りしてみる。」

「難しいんじゃ…。」

「凝ったのは難しいけど、簡単なのは結構楽に出来るよ。」

「…お願いします。」

「みさんがって、ずっとつけてて、そのみさんが、が切れると願いが叶うといわれているんだよ。」

「……。」

「二つ作ろうか?」

「えっ?」

「洸太くんとその未来の彼女さんの分。」

「み、未来って……。」

「洸太くんの話を聞いていると、可能性はゼロじゃないと思うよ。」


 秀香の言葉に洸太は考え込む。


「本当にですか?」

「うん、やっぱり弱みを見せるのって、心を許した人じゃないと出来ないと思うの。」

「……。」

「見知らぬ人に愚痴は言うけど、やっぱり心の奥底にある感情って心を許した人じゃないと話せないな。」

「……。」

「大丈夫よ、きっと。」


 何の根拠もないのに、そんな事を言う秀香に洸太は笑みを浮かべる。


「秀香さんを信じるよ。」

「私じゃなくて彼女さんだと思うけどね。」


 クスクスと笑い、秀香はみさんがに必要な道具を用意した。


「それじゃ、始めましょうか。」


 洸太はこの後時間を掛けて二本のみさんがと、明日の見舞いの品であるゼリーを作り上げたのだった。


***


 それから、洸太は宣言どおり毎日有華莉の元に通った。

 有華莉の腕と洸太の腕には洸太が作ったみさんがが揺れている。


「洸太くん、大丈夫なの?」

「何がだよ。」


 洸太はりんごの皮むきをしながら顔を上げる。始めはがたがただったがお菓子作りのお陰でかなり洸太の腕前が上がった。


「宿題とか。」

「宿題は休みに入る前に片付けた。」

「えっ?」

「前から色々言われているのに、休みで片付けなくてもいいだろう。」

「そうかもしれないけど。」

「だから、お前が心配する事はないよ。」


 洸太はりんごを切り分け、りんごを皿に乗せた。


「ほら、食えよ。」

「……洸太くん、あたしを太らせる気?」

「もともと痩せているんだ、少しくらい食っても大丈夫だよ。」


 有華莉は洸太の言葉に眉を寄せた。


「それでも、女の子はいつも綺麗でいたいんです。」

「それじゃ、退院したらダイエットに協力してやるよ。」

「………。」


 最近洸太はこういった約束を取り付ける。まるで、有華莉に生きる理由を与えるように。


「ねぇ、洸太くん。」


 真剣な声音の有華莉に洸太は顔を上げた。


「あたし、来週手術をするの。」

「……。」


 洸太はじっと有華莉を見つめる。


「来週から、学校でしょ?だから、来なくていいよ。」

「……いつ手術なんだ?」

「……。」


 黙りこむ有華莉に洸太は溜息を吐く。


「オレはお前が元気になるまで通う。」

「来ないでっ!」


 叫ぶように言う有華莉に洸太は目を見張る。


「来ないで…お願いだから……。」


 震える有華莉に洸太は無力な自分に怒りを覚えた。


「明日から…来ないで……。」


 懇願する有華莉に洸太は頷きたくなかったが、頷かざるを得なかった。


***


 あれから洸太が来る事はなく、有華莉の手術前日、彼女はあの時洸太と出会った場所にいて携帯をいじっていた。


「『アヤ…どうすればいいんだろう。』。」


 沈んだ声で、有華莉はメールを打ち始める。


「…『せっかく、来てくれた人を…傷つけた…だけど、彼の笑顔が怖かった…死んでしまったら、もう、この笑顔を見る事が出来ないんだと思ったら…怖かったの…。』。」


 滲み始める視界に有華莉は手を止める。


「……洸太くん。」

「後悔するんならはじめから言わなければいいのにな。」


 聞きなれた声に、有華莉は驚いて顔を上げた。


「悪い、来ちまった。」


 罰が悪そうに笑う洸太に有華莉はとうとう涙を零した。


「泣くなよ……。」


 洸太は持っていたハンカチで有華莉の涙を優しく拭った。


「何で…。」

「おばさんが、教えてくれた。」

「えっ?」

「有華莉が明日手術だから励ましてくれないかと…。」

「…お母さん…。」


 有華莉は何で母が余計な事をしたのだと思う反面、呼んでくれてよかったと思っていた。


「なぁ、有華莉。」

「何?」

「オレはさ、「さよなら」という言葉が嫌いなんだ。」


 唐突な言葉に有華莉は目を見張る。


「だってさ、もう会えないような気がする。それなら「またね」とか「また明日」とかの方が次に会える気がするんだ。」

「うん…。」

「だけどな…オレは一度だけさよならの言葉を言った事があるんだ。」

「……。」


 有華莉は首を小さく傾げ、洸太の言葉を待つ。


「それは病気にかかっていたオレに対してだ。」

「あっ…。」

「もう、病気にはかからない、元気になるから、よくない自分とはさよならしたかったんだ。」

「……。」

「だから、有華莉もさ、明日は自分の悪いところとさよなら、しような。」

「洸太くん。」


 洸太の言葉に有華莉は肩を震わせた。


「ごめんね…。」

「謝られるより、笑っていてくれ。」

「洸太くん。」

「オレ、有華莉が笑っているのが好きなんだ。」

「……。」


 洸太の言葉に有華莉は微笑んだ。


「ありがとう。」


 洸太と出会えた事が有華莉にとって強い力となり、その力は洸太と顔を合わすたび、話すたびに大きくなったが、それと同時に不安も生まれた。

 だから、もう会わない方がいいと思った。だけど、違った、会わない方が不安が大きくなり、地に足がついていないそんな不安を覚えた。


「ありがとう。」


 有華莉はもう一度洸太にお礼を言った、自分を救ってくれた大きな存在に有華莉は心からの感謝の言葉を胸のうちでも囁く。


「有華莉、明日は学校休むから…。」


 洸太の言葉に有華莉は首を横に振った。


「十分だよ。」

「…だが…。」

「それなら、今のあたしに「さよなら」して。」

「……。」

「今の弱気で病気に負けそうなあたしに…洸太くんから「さよなら」をして、そしたら、負けないように頑張るから。」


 洸太は頷き、そっと、有華莉の頬を包み。

 彼女の唇に己のものを押し付ける。


「――っ!」


 まさかキスをされるとは思っても見なかった有華莉は大きく目を見開いた。


「こ、洸太くんっ!」


 口付けは一瞬だったが、有華莉には長くも感じ、己の唇を押さえた。


「な、何で……。」

「言葉にしたくなかったんだ、だから、それの代わり。」

「別の事にしてよっ!」


 顔を真っ赤にさせて怒鳴る有華莉に洸太はニヤリと笑った。有華莉は知らないがどこか彼の兄を思わせる笑みを浮かべたのだ。


「元気が出るおまじないつきでいいじゃねぇか。」

「良くないっ!」


 有華莉はあまりにも彼が手馴れているような気がしたので、自分以外の子にもやってあげた事があるのではないかと、不安になる。


「お前何か勘違いしていないか?」


 有華莉の表情から何か読み取ったのか、洸太は呆れた表情をした。


「言っておくが、これがオレのファーストキスだぞ。」

「えっ!」

「……。」


 やはり、そんな事を考えていたのかと、洸太は胡乱な目つきで彼女を見た。


「オレは好きでもない奴にキスをするほど女好きじゃないからな。」

「……。」

「お前はオレにとって特別だ……。」


 洸太は有華莉に手を差し出す。


「風が冷たくなってきたから、病室に戻ろう。」

「うん。」


 有華莉はその暖かな手を取り、病室に戻っていった。


***


 冬はいつか終わり春になる。それは自然の摂理。

 長い、長い、寒く辛い時期があっても、いつかは暖かな春を迎える…。

 君と出会った冬は決して寒くはなかった。

 まるで綿雪のように優しく包み込むように、この思い出を護っていこう。


「洸太くんっ!」


 元気よく手を振る有華莉に洸太は笑みを浮かべた。


「おはよう、有華莉。」


 後から知ったのだが、有華莉と洸太は同じ学校だった。

 有華莉の手術は無事に成功し、今こうして二人は笑っている。それは当たり前の日常なのだが、それでも、それは当たり前ではない。

 いつかは崩れてしまうかもしれない、だけど、壊れるこの瞬間まで洸太は有華莉を想っていると心に決めていた。


「洸太くん。」

「ん?」

「退院してずいぶんなるけど、言う事はないの?」

「……。」


 何かを期待する有華莉に洸太は苦笑する。


「有華莉…。」

「……。」

「好きだ……一人の女性として。」

「……もっとムードを考えて欲しかったな。」

「急がせたのはお前だろう?」


 唇を尖らせる有華莉に洸太は肩を竦める。


「そうかもしれないけど……。」

「それじゃ、プロポーズは期待していろよ。」

「えっ?」

「ムードを考えてやってやるよ。」


 有華莉は目を丸くするが、すぐに満面の笑みを浮かべた。


「約束だよ。」

「ああ、約束だ。」


 一つ、一つ、約束をしよう…。


 そして、一つ、一つ叶えていこう。


 きっと先にある未来は優しくて暖かなものだから。


 今この瞬間、自分たちは生きている、それは偶然であり、必然である。


 誰かと出会う奇跡、それは…自分たちの糧となろう。


 冬の後は春が来る、生きているものは、いつかは死んでいく…。


 それは自然の摂理…。


 だけど、それは決して悲しいものではない。死んでも受け継がれるものはある。


 こうやって一つ、一つ、思い出や何かを残していこう…。


 いつかの未来で会える者たちの為に――。

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