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愛の言葉を

 今年の春からあやは高校の寮に入る事になっている。

 学校はかなり遠く、綾はその学校が気に入ったので、寮に入る事に躊躇いはなかった。ただ一つ心残りがないと言えば嘘になる。

 それは、数年前に彼女の弟となった一つ学年の下の弟だった。

 始めてあった時から、弟を気に入り、弟もまた綾を気に入ったのか、かなり懐いていた。

 しかし、綾が遠くの学校に通うと決まってからは、弟の態度は一変して、綾に辛く当たるようになっていた。

 綾はせめて自分が引っ越す前にと、何度も弟に話しかけるが、弟は冷たく綾をあしらった。


「……あっ、沙梨さり?わたし綾。」

『どうかしたの?』


 綾は従姉であり、幼馴染であり、親友の沙梨に相談を持ちかけた。


「うん…実は……。」


 沙梨は真剣に綾の話を聞いてくれた。


「わたしとしては、家から離れる前にちゃんと仲直りをしたいの。」

『……そうね。』


 沙梨は少し沈んだ声音を出したのだが、自分の事に精一杯になっていた綾が気づくはずがなかった。


まことなら、理解してくれると思ったんだけど……。わたしの思い違いだったみたい。」

『綾はどうしたいの?』

「わたし、わたしは前みたいにちゃんと目と目を合わせて、誠と話し合いたいよ。」

『そっか。』

「ねぇ、沙梨。」


 綾は胸の奥でつっかえていた言葉を思い切って彼女にぶつけた。


「わたし誠に嫌われているのかな?姉って言っても、誕生日は数日しかかわんないし…、あんまり姉らしい事も出来なかったし。」

『………私に訊かれても、困るわ。私は誠くんじゃないし、綾だって、私に何の保証もないのに大丈夫とか言われたくないでしょ?』

「うん。」

『綾が行動しない事には、多分このままよ。』

「そんな……。」

『綾が綾らしい行動を取れば、きっと道は開かれると思うの。』

「……。」


 沙梨の言葉に綾は沈黙した。


「ありがとう。」

『綾?』

「お陰で吹っ切れた。」


 綾はすっきりしたような顔をして、もう一度沙梨に礼を言った。


「本当にありがとうね、沙梨。わたし頑張ってみる。」

『そう?頑張ってね。』

「うん、また相談に乗ってくれる?」


 少し心配そうな声を出し、綾は沙梨の返事を待った。


『勿論よ。私でよければいつでも相談に乗るわ。』

「本当にありがとうね、沙梨。」

『ふふふ、やっと綾らしくなってきたわね。』


 心から自分を心配してくれた沙梨に綾は胸が熱くなった。


「本当にありがとう、沙梨………。」


 下の階から物音が聞こえ、綾は顔を輝かせた。


「あっ、誠が帰ってきたみたい、早速行ってみるね。」

『ええ、頑張ってね。』

「うん、またね。」

『ええ、また。』


 携帯電話の電源を落とし、綾は自室から出た。


「誠、お帰り。」


 リビングにいるであろう弟に綾は話しかけた。


「……。」


 誠は綾を一瞥して、すぐに冷蔵庫から牛乳を取り出した。


「……誠、部活どう?」

「普通。」

「…今日、お父さんたち遅いみたいだから、夕飯どうする?」

「インスタント麺でいいじゃん、綾は料理が苦手だし。」

「……。」


 いつから、誠は綾の事を「姉さん」ではなく「綾」と呼ぶようになったのだろうか、その時のきっかけを綾は覚えていない


「誠。」

「……。」

「何でそっけないの?」


 綾の何気ない一言に誠の中で何かが切れた。


「お前に、俺の何が分かる!」

「――っ!」


 誠が行き成り綾を壁に押し付け、そして、その腕で綾を閉じ込める行為をするものだから、綾は萎縮した。


「何でだよ!」

「ま、誠?」


 まるで悲鳴のような、泣いているような声を出す誠に綾は目を見張った。


「何で、綾は俺の姉になったんだよ……。」

「誠?」

「何で、何でだよ。」


 綾は訳が分からなくなった、どうして、誠がこんなに苦しそうな顔をするのか、どうして、彼が熱を孕んだ目で見てくるのか。


「俺は……綾が…。」


 綾はこれ以上聞いてはいけない、そう分かっているというのに、動けないでいた。


「綾が…好きなんだ。」

「えっ?」


 綾の思考は完全に凍りつき、そんな綾を見た誠は苦笑していた。


「…俺は綾が好きだ。」

「……。」

「悪いな、綾……。」


 綾は呆然とした、ずっと弟だと思っていた人物からのまさかの告白。


「………ごめんな。」


 去り際に見た誠の悲しげな顔が綾の脳裏に張り付いて離れなかった。


***


「……どうして…。」


 どうやって自室に戻ったか綾は覚えていなかったが、そんな事は今の彼女には全く重要ではなかった。


「……誠。」


 ベッドの上に倒れこみ、枕に顔を埋める綾は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 頭の中はぐちゃぐちゃで何も考えられない、正直誠が自分を好きだというのは冗談のように思った。

 だけど、去り際の誠の顔を思い出し、アレが冗談ではなく本気だと理解させられた。


「わたしは……。」


 好きか、嫌いかで聞かれたら綾は誠が好きだ。

 だけど、それは恋愛感情ではなく、むしろ家族愛に近いような気がする。


「……どうして……誠……。」


 いくら考えても答えなど出ない。

 だからといって、もう一度誠に会う勇気が綾にはなかった。

 その時、控えめなノックの音がして、綾は顔を上げた。


「誠?」

「扉は開けなくてもいいから、聞いてくれないか?」

「……。」


 真剣な声に綾は凍りつく。


「さっきは逃げてごめん、綾の気持ちを汲んでいなかった。」

「誠。」

「さっき言ったのは事実なのは変わらないんだけど、もっと言い方があった…。俺さ、母さんたちが再婚してからずっと綾の事が気になっていたんだ。」

「……。」

「最初は新しく出来た姉だから気になっていたと思ったんだ、だけど、違った。綾が俺の知らない男と話しているとムカついたし、綾の事を考えると無性に欲した。」

「……。」


 綾は誠が苦しんできた事を知り、今まで知らなかった自分に嫌気がさした。


「ごめん、気づかなくて。」

「違う、綾が謝る事じゃない……、これは俺の問題だったんだ……。最近になって俺は綾を抱きしめたい、もっと温もりを求めたくなって、だから、自制するために、綾から離れていたんだ。」

「……。」

「綾が遠くに行ってしまう前に、どうにかして綾の心に深く何かを刻めないかとかも考えた。だけど、それじゃ、綾が別の意味で傷ついてしまう。それが嫌だったんだ。」


 誠の本心に綾は驚きつつも、それでも、黙って彼の言葉に耳を傾けた。


「ごめんな、綾……。」


 声が泣いているようだった。


「ごめん、こんなヤツが弟で……、キモイよな……。」

「そんな事ないっ!」


 綾は自分の口から漏れた言葉に驚くが、それでも、今傷ついている誠の事を考えればそんな事は些細な事だった。


「誠はいい子だよ、わたしの自慢の弟……ごめんね、わたしは今貴方の事は弟とか家族とかそんな風にしか見れない。」

「綾。」

「誠……ありがとう。」

「……。」

「こんなわたしを好きだといってくれて…ありがとう。」

「…綾……。」

「わたしは貴方が…好きよ。家族として……。」


 残酷で優しい言葉は誠を傷つけると分かっていても、彼女は姉と弟としての距離を保ちたかった。


「そうか……。」


 力ない誠の声に綾は顔を扉から背けた。


***


 あの日から一週間近くたち、綾と誠は元の姉弟らしい会話をするが、それはかなりよそよそしかった。


「……。」


 綾はこんなギチギチとした関係を望んでは居なかった。

 だけど、誠を男として見るのは今の彼女には無理だった、何かきっかけがあれば、彼女は変わっただろうが、この一週間なにも変わらなかった。


「綾、引越しの準備は終わったの?」

「うん、後は送るだけだよ。」


 必要なものはダンボールに詰め込み終わり、部屋の端に置かれていた。


「そう、それにしても、今にも雨が降りそうね。」


 義理の母親の声に綾は顔を上げた。

 確かに今にも雨が降りそうなくらいの天気だった。


「あの子、確か今日は傘忘れたのよね……。」


 頬を押さえ溜息を吐く義母に、綾はいつも通りの返事をした。


「わたし行こうか?」

「いいの?」

「うん、どうせ暇だし。」


 綾は少し陰りのある笑みで了承した。

 義母は彼女と自分の息子が何かあった事を空気で悟っていたが、彼女たちが何も言わないので、結局なにも問わなかった。


「そう、お願いね。」


 綾は玄関に向かい、お気に入りの靴と淡い菫色の傘と、誠の紺色の大き目の傘を持って外に出た。

 久しぶりに歩く中学校までの道のりに、懐かしさを感じながら、綾は少し速い速度で歩いていった。


「そうなんだ。」

「でさ。」


 目の前から仲のよさそうな中学生のカップルに、綾は左に避けようとした、その時、向こうの傘が傾き、その少年の顔を見たとたん、綾の表情が凍りついた。


「ま……こと?」

「えっ?」


 綾の蚊の鳴くような声に少年、誠は気づき、そして、その目は大きく見開かれた。


「綾……。」


 綾は気づいたら走り出していた。


「綾っ!」


 後ろから誠の叫び声が聞こえたが、綾は我武者羅に走り続けた。


***


 ショックだった、何故ショックなのか、何故胸が痛いのか分からなかったが、取り敢えずショックだった。


「はぁ…はぁ……。」


 いつの間にか綾は幼い頃遊んでいた公園に辿り着いた。

 肩で息をして、綾は今にも泣き出しそうな顔で小さな遊具を眺めた。


「ははは…何がショックなんだろう。」


 一週間前に誠に告白され、そして、弟だと、家族だと、彼に言ったのに、今のこの姿はまるで、誠に恋をしているようだった。


「馬鹿…みたい……。」


 綾の頬に一粒の涙が零れ落ちる。


「綾っ!」


 自分の名を叫ぶ誠の声に綾はビクリと肩を震わした。


「ま…こと…なんで……。」

「何で…逃げる――って、泣いているのか?」


 綾の瞳に零れる涙を見つけ、誠は目を見開いた。


「何で…。」


 姉になったから、滅多に涙を見せなかった綾に戸惑いを隠せないでいる、誠は彼女の肩を掴もうとするが、それは払いのけられた。


「触らないでっ!」

「――っ!」


 綾の拒絶に誠は驚くが、それ以上に彼女が驚いていた。


「あっ……。」

「綾っ?」


 ガタガタと震える綾に誠はもう一度拒絶されるかもしれないと思いながらも、彼女の肩にそっと触れた。


「ごめん。」

「あっ……。」


 誠に謝られ、綾はようやく自分を見つけた。


「ごめんね、私が謝らないといけないのに。」

「綾?」

「……誠…わたし分からないの。」


 誠は首か傾げ、綾の言葉を待った。


「誠のさっきの姿を見て、嫌だった…胸が押しつぶされるような…真っ黒に染まるような、そんな、嫌な感じがした。」

「綾…それって。」


 誠は今まで自分しか感じていなかった感情に綾が抱いた事にもしやと思い、期待を込める。


「嫉妬か?」

「しっと?」


 綾は誠が何を言っているのか分からなかったが、すぐにその字が思い当たり、胸がスッと透いたような気がした。


「わたし……。」

「綾…さっきのやつは同級生で、男だ。」

「……えっ?」


 綾は先ほどの光景を思い出すが、誠の隣にいたのは可愛らしい顔立ちをしたセーラー服姿の少女だったように思う。


「でも…。」

「罰ゲームだ。」

「罰ゲーム?」


 綾が誠の言葉を繰り返すと、彼は深く頷いた。


「あいつ、カードゲームが弱いくせに、賭けに出やがって自滅、ついでにその時のお題が「女装して、同姓のやつと相合傘をする」ってな。」

「……。」

「んで、傘を持ってこなかった俺に白羽の矢が……。本当についてない。」

「…本当なの?」


 綾の目が真剣なので、誠は彼女の目を見ながら、真剣に頷いた。


「ああ、俺が好きなのは綾一人だ、今も昔も…勿論これからも。」

「だけど、人は変わるよ?」

「変わらない。」


 はっきりと言い切る誠に綾は戸惑う。


「でも……。」

「始めてあった時から、好きだったんだ、そう簡単に諦めが付けば、今頃彼女だって作っている。」


 誠の「彼女」という言葉に綾の胸がズキリと痛んだ。


「本当の姉弟じゃなくて良かったと思った、綾の傍にずっといられると思った…、だけど、姉弟じゃ、限度があった。」


 誠の眼が綾を射る。


「綾…、頼む、俺を選んでくれ、そんな顔をお前にさせたくないんだ。」


 綾は迷った、このままでは誠の将来を駄目にするかもしれない……。しかし、心がもう誠なしでは生きていけない、と叫んでいた。


「誠……いいの?」

「選んでくれるのか?」


 誠とは信じられないような眼で綾を見た。


「……。」


 綾は無言で小さく頷いた。


「本当にだな、嘘だとか、冗談だとかは聞き入れないからな。」


 久しぶりに見た興奮した誠を見て、綾は彼が本当に自分を好いているのだと実感した。


「覚悟の上よ。」

「綾っ!」


 嬉しさのあまりか誠は綾を抱きしめ、綾は驚き眼を丸くさせていた。


「絶対、手放さないからな。」


 決意に満ちた声に、綾は眼を眇めた。


***


「綾、忘れ物は本当に無いの?」

「ないよ、母さん。」


 とうとう綾は四月には入学する学生寮に引っ越す日が訪れ、綾たちは最寄り駅の駅のホームにいた。


「体に気をつけるのよ。」

「大丈夫よ。長休みには帰ってくるし。」

「それでも……。」


 心配性の母に綾は苦笑しながら、弟兼恋人の誠を見た。


「誠……。」

「体に気をつけろよ。」

「分かってる。」

「何かあれば、遠慮なく俺に電話しろ。」

「迷惑でしょう?」

「んな訳あるか、絶対に遠慮するなよ。」

「分かったわよ。」


 いつも通りの会話に綾は笑っているが、誠は何を考えたのか、綾の耳元で囁いた。


「誠っ!」


 誠を突き飛ばして、綾は丁度来た電車に飛び乗り、誠に向かってあっかんべーをした。


「……。」


 誠は小刻みに肩を震わせ、余裕のある笑みを浮かべていた。

 扉が閉まり、綾は手すりに掴まり、床に座り込まないように、必死になってしがみ付いた。


「誠の馬鹿……顔の火照り当分取れないじゃない。」


 彼女の呟き通り確かに、彼女の頬は赤かった。

 彼が最後に彼女の耳に囁いた言葉。


――来年、同じ所に行く……だから、待っていてくれ。俺の綾。


 常とは違う真剣な言葉に綾は不覚にも鼓動を早めた。

 別れだというのに、最後に聞いた言葉は愛の言葉だった。


「……わたしの誠、大好きだよ。」


 綾は誠の耳に届かないと思いながらも、「さよなら」の代わりに「大好き」と言った。

 二人の恋愛は始まったばかりで、まだまだ幼い恋はいつか深い愛に変わるだろう。

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