第八話 仮忍者、「るーべるんすと」の町に入る
朝。彩は小川にて水浴びをしていた。四日間森での情報収集に勤しんでいたため、体を洗っていなかった。町に入るから、怪しまれずに失礼のないよう、拳ほどある丸みの石で肌の汚れを落とす。洗い終えた体を手拭いで拭い、予備である忍者装束を着る。前のは洗濯して、腰ひもを衛門竿代わりにして、木に吊るして干す。乾くであろう昼頃に、町に行く予定としている。すぐさま行きたいが、干している忍者装束を妖怪に見つかってしまったらまずいのと、森の生物に破かれたりしたら大変なことから、昼まで待つことにしたのだ。なにせ、着替えは干しているのと合わせて三着しかないのだ。服はいいとしても、下着はさすがに無くしたくない。
乾くまでの間、彩は荷物から砥石を取り出し、所持している武器を研いでいる。研ぎはこれも剛三郎より教わった。忍者は全ての諸国を渡り行くため、武器を鍛冶師に出す余裕はないのが多々であり、おそらく己で研いでいたに違いない、と意見のもとで自身も習って弟子に教えたという流れである。
齢11歳の子供。研ぎの腕は家の包丁をすいすいと直せるぐらいある。刃物所持している時点で絶叫ものだが、鍛冶見習いと言うわけではないのに、何故かその域にいる娘に父親は驚愕と悲嘆に暮れ、母親は特技が出来たと呆れ半分感心半分としていた。刃物は剛三郎の性格上と忍者修行と一般常識教育をご教授しているのを目にしていることからお咎めはしない。刃物は忍者修行でしか使わないようになっているからだ。しかし、これで良いのか。もっと子供らしい特技はないのかと。娘が楽しくやっている姿を複雑な気持ちで見守りながら頭を抱えていた親の心境を当人は知らない。
彩自身も刃物は好んでいない。今どきの子供と同じ、武器を手にして興奮はしない。逆に恐れを抱いている。一般的にただ恐いというわけではない。それがいかに危険で扱いによって傷つけるだけでは済まないのを知っているから恐さがある。何故なら、忍者修行で初めて刃物所持が認められた時、剛三郎は彩の目の前で兎を狩った。その後、命を奪わせることを行わせたのだ。
その時、彩は8歳。精神的外傷やら精神歪曲してもおかしくないことを平然とやってしまったのだが、剛三郎はまっすぐと命を奪う恐ろしさと、生きて生かされている大事さを説いた。
これにより、彩は歪むことなく、普通の子供らしさと成長していた。正直奇跡的と言ってもいい。ちなみにこの事について両親は知らされていない。剛三郎から話を聞いた祖父である長男・次男が秘密にすることを厳重に言いつけられたからだ。慣れている長男次男とその妻は良い。しかし、彩の夫婦は一般と変わらなく、銃刀法違反は当たり前の人間だ。こんな事知らされたら、両親は失神確実。子供だけでなく家族の将来の為に知らせないよう配慮したのだ。
できたら、彩を真っ当な人間で普通の子供として戻るようにしたかったが、彩自身が拒否をした。恐怖をしないどころか、反発とばかりにさらなる忍者の魅力に取り込まれたのか、続けたいことを強固な意志で示してしまった。通常なら、そんな子供の意思など突っ撥ねて、泣き喚こうとも心を鬼にして戻させるが……剛三郎を許容としていたこともあり、お願い言動に孫バカ炸裂の祖父らは陥落した。代わりに異常にきたしたら即刻取りやめることを言いつける。そして、こんな事をした忍者バカの剛三郎は兄二人よりお仕置きされる。
それから、彩はなるべく刃物を使わないようにしている。抜く時は生きるために狩るか、殺らなければならない状況でしかやらないように決めていた。初めて命を奪った感覚は精神を守るためか実感が薄い。しかし、命を絶つ恐さは消えない。消してはいけないと子供ながら戒めている。
だが、こちらではその決まりは貫けないかもしれない。未知なる世界。それも妖怪が跋扈としていて、平成の時代ではあり得なく躊躇いのない生死が当たり前の環境で、荷物に武器全てを仕舞う楽観さはない。
研ぎ終えたクナイを掴みあげ、刃に苦悶とする自身の顔が映る。彩はそんな考えを逸らさんとクナイを袖に仕舞った。
昼時になり、乾いた忍者装束を畳んで、荷物として使う風呂敷に仕舞い、あるものをばっと開ける。出したのは全身を覆うオレンジ色のロングダウンコート。これはリバーシブルとなっていて、表はオレンジ、裏は黒となっている。
この四日間、動きまわっていて衝撃的な事を見聞きしていて気にしていなかったが、気温が肌寒いほど低かった。人間世界と直結していないのか、こちらはどうも夏ではないらしい。山は朝・夜が冷えやすいからと持って行くように指定されて言われたので、荷物の奥に入れ込んでいた。ここまでの上着はいらないのではないかと疑問していたが、予想外ながら今の花冷えの気温に大助かりとなった。
後はと、彩は医療ポーチから包帯を取り出す。医療ポーチは自分が持ってきたものだが、包帯だけは師匠より貰った。それも数が多い。軽く10個はある。
何故こんなにと首をかしげて一つ手に取れば、これまた大きい。家で使う包帯の幅はだいたい5㎝、それに対してこちらの包帯は7㎝もある。それにベルトに近いほどの厚さで出来ている。別物かと疑うが、感触は間違いなく包帯だった。
スポーツ選手とか特注の代物かと、彩は包帯を広げる。すると、広げてすぐに達筆な筆文字が現れた。“右手用”と書かれて―――。
「……え?まさか…」
彩は他の包帯も広げて確認すれば、“左手用”・“右足用”・“顔用”・“胴体用”などなど、ダブりがあるも、筆文字で全て記されていた。どうやら、使うべき包帯が決められているらしい。わざわざ測らなくて切る必要もないことから助かるが、あの豪放磊落な師匠が丁寧に細かい作業をしてくれたなど、なにか合わないと彩は少し慄く。いくら、山でのサバイバルでも、こんな部分部分に多くの包帯の必要性が感じられない。確かに猛獣は生息しているも、それは遭遇しないよう注意して近づかないようにすればいい。師匠からも無闇に近づくなと忠告された。仮に遭遇したとしても、俊足で逃げるだけだ。逃げ足といった走りは自慢だ。鬼ごっこは無敗だし、リレーだと学年一番だ。足の速さは師匠も把握しているはずなのだが、異様に多い包帯の数と異様な質に思わず訝しげに睨む。
もしや、この事態を見越して……などと、馬鹿げた考えを振り払い、ないよりはマシだと無理やり納得して彩は包帯を使う。正直、今使用する目的に大助かりだった。
周りに誰もいないことを確認して、身に着けている服を脱ぐ。なるべく素早く体に巻き付けて、また忍者装束を着る。それから、彩は川に近づき、水面を鏡として顔全体に巻きつける。その上に髪をさらさぬよう頭巾を着けて準備完了。
包帯巻き巻き忍者完成。どこかのNHKアニメに出てくる某忍者頭領みたいな姿だが、全体的に隠せるものが包帯しかなかった。人間だと正体をばれないために施したのだ。その上にロングダウンコートを羽織って、フードを被った。少々暑苦しさがあるが気になるほどではない。体全部に包帯を巻くのは念のためだ。大げさかもしれないが、わずかな低い確率でも、正体を気づかれないように徹底的にしたのだ。余計怪しさが増した気がするも、事情を問われた際のそれなりの答えは用意している。多分行けるだろう。
ぐっと勇気を出して、彩は荷物を背負い歩き出した。
「るーべるんすとの町」にたどり着いた。入門しようとする旅人、馬車の列に並び順番が来るまで沈黙する。
いや、正直に言えば、緊張の高ぶりに無言を貫いていた。訪れる門番との質疑応答とそれまでの間に妖怪に前後挟まれて、ばれていないかとガチガチに身体と頭の中が固まっていた。心臓の鼓動が耳元で鳴っているようで、喉がかれているのか断続的に唾を飲み込んでいる。手も落ち着かなく、握ったり開いたりと繰り返す。口を開けば、いろいろと心の内とか体の内臓とか飛び出そうになる。
彩は落ち着け落ち着け、と護身法を心で唱えながら、小さく刀印をして頭に冷静さを取り戻させようと続けていたら、ついに順番が回って来た。
門番をしていたのは黄土色の狸頭の妖怪。胸当て・篭手・脛当て・兜を防具して、右手に片刃の槍を持ち、悠然と立ちかまえていた。狸頭だが、右目に斜め十字傷痕が被っている。目尻が垂れているのに瞳には鋭利な光を宿していて、まさに戦士の気を放っている。
その人物を目の当たりにして、冷静としていた頭がパニックで覆される。フードを被って包帯を巻いていなかったら、絶対蒼白を露わにしていた。仮忍者でも一般の人間と変わりなく未熟のため、駆け引きといった顔色出さずにやる器用さはない。子供だから、それはしかたないし、まだ身につけていなくて良いのだが、彩は顔を隠しているとはいえ仮忍者にあるまじき失態だと今にも頭を抱えて苦悶しそうになっていた。しかし、そこは硬直していたことで、わずかに残っていた沈着する意思が体に出さぬよう内に留めていた。
彩は門番を見上げ、ごくりと唾を飲み込み、意を決して一歩前に踏み出す。昨夜考えといたシミュレーションの始めを行う。妖怪の世界だろうとも万国共通の言葉を口にしようと、噛みしめていた唇を開く。
いざ―――。
「お、おはようございましゅるッ!!」
大きな声ではっきりと挨拶をすると共にお辞儀をびしっとする。しかし、緊張が頂点に達しそうになっていたので、思いっきり噛んでしまった。し~んとその場の空間が沈黙に包まれる。
すべった。芸人がすべってしまった時の観客が静まり返るといった感じとなってしまった。そういえば昼の時間なのに朝の挨拶をしてしまった。
改めてと気を取り直す感じにテイク2始動。
「こんにちはでございまちゅるッ!!」
テイク2失敗。それも、おはようよりもひどく噛んでしまった。
気まずい。非常に気まずい。出だしから挫くなんて、せっかくの決意が霧散にされてしまった気持ちになって泣きたい……。
「……あ~こんにちは。元気良い挨拶ありがとさん」
狸妖怪が気をきかせて、頭をポンッと手を置いて撫でてくれた。どうしてだろう。嬉しいはずなのに悲しく泣きたくなってくるのだが……。
彩はぐずぐずと目頭を拭って、門番にすみませんと頭を下げる。門番の眼差しがどこか生温かった。
「さて、それで若いお前は旅人か?冒険者……にしちゃ、軽装すぎるから違うか」
冒険者と新たなワードが出てきて反応が遅れるが、無難と思わしき旅人で通すことにした。
「ほう。この町に何の用で?」
「お金を稼ぎに訪れに来ましたでござります」
嘘ではない。この世界でお金が必要なのは確認したことから、森の草を売るだけで足りない可能性を念頭に入れ、子供でも稼げる短期の仕事も探しに来た。望む情報を手に入れるのに、しばらく滞在しなくてはいけないから寝泊まり出来るところを探さなくてはいけない。公園のような場所があれば、なんとかなるのだが……。
ちなみに今の彩の話し言葉は敬語と剛三郎に植え付けられた“ござる口調”を合わせたもの。忍者はござる口調で話すことを義務つけられ、忍者モードに取り組まれてしまっていた。子供で幼い頃から植えつけられたことで、彩自身は恥ずかしい気持ちはなく、当然と受け入れてしまった。本人も忍者っぽいと思っている節があり、忍者意識(馬鹿)に毒されていたりする。
彩の口調に門番は眉を顰めるが、追求せずにそうか、と呟く。
「えらいこったな。里帰りの旅費稼ぎか」
里帰り……人間の世界にある家族がいる家に帰る。そのために「るーべるんすとの町」に入ろうとしている。首肯することなのに、どうしてか胸が苦しかった。他人から帰る言葉を聞いたからか、寂寥がわき上がる。
彩は苦しむ胸に手を置き、ギュッと掴んでうつむく。
「お前その手…それと顔にも、どうしたんだ?」
「え?あ…これは……」
人間だとばれないようにと肌をさらしているところを包帯で巻かれているのを忘れかけていた。フードで深く被っていたのもあり、門番は気づくのが遅かったようだ。
訊かれるであろうことは想定していたので、緊張はあるも彩はおどおどせずに“決めていた答え”を口にする。
「これは…見られた体ではないためでござりまして。実は―――」
「いや、言わなくていい」
あまりに言えぬ事情ですがひどく目立つ傷痕があって、と続く言葉を門番が優しく肩を叩いたことで止められてしまった。見上げれば、目元を潤ませて同情した顔で撫でている門番。
「大変だったな。親はいなく天涯孤独で旅して来たんだな。それも顔にまで“それ”を巻かなきゃいけねぇほど、つらいことがあったんだなッ」
事情は聞かねぇよ、と涙ながら勝手にいきさつを語る門番に彩はたじたじと立ち尽くす。耳を広げれば、後方からもすすり泣く声が聞こえてくる。
どうすればいいのかと内心困惑していると、心配することはねぇ、と門番が突然両肩にガシッと手を置いた。
「ここは都ほどじゃねぇが、けっこう働ける場がある!よければ冒険者になるって手もある!町の連中は強面が多いが気さくな奴らだ!お前のようなガキでも雇ってくれる奴はいるさ!」
宥めてくれているのだろう。門番も強面の一人ながらくしゃくしゃになっている顔で力説してくれた。それにつられて後ろから、そうだそうだとか、良い人達がいっぱいだとか、声が上がる。
彩は困惑としながら、気持ちは無駄にしてはいけないと元気よく答える。
「は、はい!精一杯頑張らせていただきまする!ありがとうでござります!」
お礼を門番に送れば、目頭を押さえて顔を逸らされた。
なにはともあれ、勝手な勘違いのおかげで、彩は無事町の中に入れたのだった。