第十六話 仮忍者、仕事が終わった後の宿屋にて~共用食堂~
共用食堂はそれほど広くはないが、15mほどの長方形の机が、間隔を空けて三つと並んでいて、多くの人が座れるようになっている。夜だからか、大人が酒を片手に各々の戦果を語っている。ここを使っている客はほとんど冒険者なので、ギルドのクエスト成果を自慢しているのだろう。
サイは邪魔にならず絡まれないよう空いていた奥の席に着く。以前に酔っ払いに危うく酒をラッパ飲みされそうになったため――従業員に助けられて回避した――極力関わらないようにしている。
場所取りと衣服を置き、厨房を覗くカウンターへ注文しに行く。
「すみませぬ。食事をお願いしたいのでござりますが」
「はいは~い!やっほ~サイ!お疲れさまだね!」
溌剌とした明るい声でやって来たのは獣人族の白毛のネズミ人の少年。調理の最中だったのか右手にホワイトシチューがついたお玉を持っていた。
「お仕事のところ申し訳ありませぬ。ネニュート殿」
「いいって。こっちとしては当たり前なんだから。いつものことだし」
ニコニコと笑うネズミ人のネニュートにサイも笑みを返す。
彼は『赤鱗の尻尾』の料理スタッフの一人。まだ見習いであるが調理を任せられたりしている。けれど、だいたいは注文受付に回されている。この宿屋の店員の中で最年少だ。
「それで今日はどれにする?Aはシュルルブの香草蒸し。Bはナツメツビのソテー焼き。Cはオウグのカツだよ。付け足しはクリームシチュー」
『赤鱗の尻尾』の食堂は日替わり定食といった風で、A・B・Cの三つのいずれかから選べる。その日その日メニューは変わっていくため、あきないレパートリーとなっている。一応、酒がある事からつまみ料理も提供しているが、酒場ではないため宿賃とは別料金となっている。
ネニュートはメニューごとに材料をサイに見せて説明してくれた。
Aのシュルルブはエビに近い青緑色の甲殻類。Bはジグザグ模様の葉っぱの黄色いカブみたいな野菜。Cは四つ耳と角ありの兎もどき生物。サイは海鮮・野菜・肉と分類変換して夕食を選択する。
「では、Bをお願いいたしまする。いつもすみませぬ」
「いいっていいって。まあ、いつも思うけど、ここでは当たり前なのに本当に知らないんだね。どこの田舎か外の大陸から来たの?」
からからと笑いながら聞くネニュートにサイはあはは…と空笑いして返す。
メニュー紹介と共にメイン料理の食材を見せるのは食堂初日の時からしてもらっている。料理名を聞いても、どのような料理なのか想像出来なくどうしようかと悩んでしまっていた。あまりにも悩みすぎて、焦燥と緊張感をかもし出していたのか、その時対応していたネニュートにものすごく怪しまれてしまった。事情を正直に話せば思いっきり笑われてしまったが。
そんなこともあり、同じ年齢(実際は三歳違い)から気軽な仲となっている。
「それはそうと、今日はどんだけこき使われたの?」
「こき使われているわけではござりませぬが……今日はアバザスの森で薬草50個、毒草30個、霊草25個をどれも良質で採取いたしたのと、その後にそれらの種の植えつけと少々の促進剤が入った水やりをいたしたでござります。戻りましたら、大量の素材を特殊な液体に浸して日陰干しと天日干しをいたしたら、使い果たした大鍋8個を洗って新しく水を入れて沸かしたでござります。あぁ、水は外の小川から汲んで来たでござります。作業場の掃除とゴミ出しをいたしたら、いつものように素材補充とアバザスの森と近辺を採取しに行ったでござります」
「で、今度の往復は?」
「10往復した以降は数えておりませぬが」
「やっぱりこき使われてるんじゃん!」
どんだけのことしてんのさ、とネニュートは呆れたように睨めつける。
サイは言い返せず、ついっと目を逸らす。こき使われたというより、与える仕事量がただ多いだけだと思う。けれど、結局は同じなので、それを言葉にしなかった。
「よくやるよ。嫌になってきたんじゃない」
「いえ、嫌はありませぬ。それより仕事を終わらせなくてはならない気持ちがいっぱいいっぱいゆえ、そんなこと思っている暇がありませぬよ」
必死すぎて目の前のこと以外考える余裕は一切となかった。やりとげなければいけないという使命感的なものに急かれていた。終われば疲労ですぐに眠りの世界に落ちてしまったし、朝になればどんな仕事でも働けるのに必要な体力・気力保持に勤しんでいた。
「でもさぁ、辞めたくならない?」
「辞めるわけにはいきませぬよ!ヌメルヤ殿が紹介していただいたお仕事でござります。そのご厚意を無下にしてはいきませぬし、好条件のお仕事でござりましたし、給料も良いですし…」
短期で高給金と聞いたから少々期待する。お小遣いよりも多いと思うが、どのくらいの給金なのだろう。そろそろ週終わりだから、給料がもらえると内心うきうきしてしまう。
「はあ~…たしかに金は良いらしいね。ま、それがどれほどか判明する前に一週間経たずに辞めちゃってるけどね。あまりのハードっぷりと手加減のない店主に真面目な人ですら逃げ出しちゃうほどだよ。よくもつよね。本当だいじょうぶなの?」
「疲労ぐらいで体はなんともありませぬよ」
このとおりとサイはぐるぐる片腕を回す。今日まで風呂でゆったりと出来なかったため、正直疲労が取れなかった。しかし、次からはリラックス出来る。これで雑用の仕事も思うように動けるだろう。
安心するようにとにっこり笑えば、どうしてか生暖かい目を向けられた。それと、視界の端で厨房の人達が顔を逸らして口や目元に手を当てていた。
なんなのかとサイは疑問していたら、厨房の奥からBが出来上がったという声が上がる。はいとネニュートが返事をして、トレイにBの料理を乗せて持って来た。
「はいBのナツメツビのソテー焼きだよ」
「ありがとうございまする……一品多いでござりますが」
受け取ろうとトレイに置かれた料理を見たら、Bのナツメツビのソテー焼きとクリームシチューともう一品のフライドポテトらしきものがあった。付け足しはクリームシチューだけで他にはないはずだ。
「ふふ。このドゴゴのフライはボスのサービスだって」
「ボス…料理長殿が?」
何故とサイが首をかしげたら、ネニュートはさらににんまりと笑みを浮かべる。
「子供なのにあのレハンの店でがんばってるからだよ。これで明日に備えろってことじゃない?後、本当は駄目だけど、おかわり欲しかったら良いな。こっそりタダで入れてあげる」
クリームシチュー限定だけどね、とネニュートはウィンクする。
そんな気づかいにサイはぽかんと呆けるが、嬉しい感情がわき上がり、思わず泣きそうになった。潤みそうになる瞳をぐっと堪え、もう一度ありがとうと感謝の言葉を述べる。
ネニュートはきょとんとしたが、すぐに気にするなとサイの肩を叩く。
サイは胸の中がほっこりとした気持ちに包まれた。包帯で巻かれていても分かりやすいほどに喜びを露呈して、口元を緩ませている。だが、ハッと気を引き締めた時には遅く、厨房にいたスタッフが可愛らしいとばかりの視線を向けられていた。
嬉しさのあまり丸分かりさせるなんて、仮忍者と言えど気を緩みすぎだ。サイは気を引き締めねばと自己反省して、厨房の人等の視線を逃れるべく、取っていた席へと戻る。
サイは一旦気を取り直すべく深呼吸して手を合わせる。厨房からの視線を無視して、フォークをドゴゴに突き刺して口元に運ぶ。視線を食事一点にして微動だにせず、サイは耳に集中する。
食堂だが今は夜で酒場に近い空間となっている。世界は異なるも、酒を飲むことで口が緩くなるのは同じらしい。仲間との喜びの語らいや仕事に対しての愚痴、アバザスの森や町周辺と近隣に関する情報交換。それらが食堂内に入れ交わしている。
そんな会話をサイは聞き耳を立てて、この世界に関する情報を集める。これが夕食時に日課としている。仮忍者でも聴覚を鍛えられていることから、意識をすれば騒音とばかりに耳に入ってくる。きついことだが、どれも聞き逃さないように記憶しようと集中する。どんな些細なことでも、元の世界に帰る方法を探すために。
サイは必死に聞いたことを覚え、脳内で処理していく。後は部屋で声に出して繰り返し必要があるか確認する。余裕を持てば、仕事中町中走り回る時にも、周囲の言葉を聞きながら集めてみようと考えている。それについてはまだまだ先の事だが。
そんな情報収集がてら、食事をしているのだが、ここの料理は本当に美味の為、ついついと綻んでしまいそうになる。美味しいと和みそうになって、危うく言葉を取り零したりしてしまう。両分してやることは、サイはまだ器用に出来そうにない。それでも、やり通そうとする。
これが夜の日常となっている。そして、頭を抱えながらもベッドにダイブして就眠する。ただ今宵は、良き夢を見れたのだった。