第十話 仮忍者、頭痛に苛まれる
目覚めたのはドンドンとする振動が伝わったからだった。やけに重い瞼を開き、ぼやける視界を定めれば、木目がくっきりときれいにある天井が見えた。知らない天井とありきたりな感想をこぼし、彩は自分がベッドに横になっている状態であると気付く。
どうも眠っていたらしいが、どうしてそうなったのか思い出そうとしたら、頭の中がぐわんぐわんと鈍痛な響きを発してきた。ぐるんぐるんとシェイクされた感覚が襲い、眼が非常に熱く、頭痛で酷く苦しい。吐き気が催しそうで口に手を当て、体を横にして縮みこませる。間隔が短く浅い呼吸を繰り返し、苦痛を抑えようとする。しかし、吐き気が喉元までせり上がり、涙を溜める熱い目を動かし、ベッドの横にある小棚の上に鎮座している陶器の花瓶に止まる。
それに身をよじらせて動かしながら、必死に手を伸ばす。あと少しと花瓶の口に指先が触れる――が、カツンッと花瓶に力を入れすぎて、小棚から落としてしまう。途中、掴もうと空いていた手を伸ばすが、掠めるだけで花瓶は重力に従い床に落下する。
ガッシャ――――ンッ
床との衝突で花瓶は無残に砕き割れ、水と花が散らばる。
あ、と苦悶する気持ちで呆然と大破した花瓶を彩は見下ろす。その時、ばんっと勢いよく開かれた音にビクッと体を震わし、そちらに顔を向ける。
視線の先にはドアを押し開けた体勢で、片手に桶を持った険相とした蟲人族の緋色の蜥蜴人がいた。筋肉質な肉体だが、ふくよかな胸から性別は女性だと変な方向に思考が飛びかけたら、忘れていた吐き気が再びせり上がってきて、両手で口を押さえる。
すると、蜥蜴人の女性が駆け寄って来て、持っていた桶を差し出してくれた。
彩は救いだと桶をガシッと掴み、限界だったのを思いっきりリバースした。
「す、すみませぬ。お見苦しいものをお見せしまして……うぷ」
「気にするんじゃないよ。水飲めるかい?」
「うぅ…いただきまする」
胃の中にあるものを全て吐き出し、胃液すら出しきった。彩はやつれた気持ちで蜥蜴人の女性がリバースしたものが入った桶をどこかに置きがてら持ってきてくれた水を、頭を下げて頂く。口の中と喉をすっきりとしたが、絞めつける頭痛に起き上がれなかった。
彩は呻いて包帯ごしから額に手を乗せて、仰向けになる。目にこもる熱は消えず、さらに苦しんでいると、蜥蜴人の女性から笹の葉と似ている葉っぱを口元に当てられる。
「これを噛みな。多少なりとも頭痛が和らぐよ」
彩は言われたとおりに笹みたいな葉を噛む。その瞬間、ス~と突き抜ける匂いが内部に入り、頭の中が洗われるように少し楽になった。ハッカみたいな味で呼吸が落ち着く。
気持ちも楽になってきたところで、ずっと置いていた疑問を口にする。
「あの、拙者は何故ベッドに横たわっていたのでござりますか?それとここはどこで、どうして気持ち悪いほど頭が痛いのか、ご存知でありますか?」
質問したが、おそらく蜥蜴人の女性は事情を知っている。今、思い出せばリバースする時中身のない桶を口あたりまで持ってきたり、頭が痛いと一言も告げていないのに頭痛緩和の葉を渡してくれた。知らないはずがない。
蜥蜴人の女性の顔色に戸惑いも困惑もなく立ち上がる。
「そうだね。まぁ、質問に答える前に―――」
「メイベッサちゃん!!あの子が目覚めたって本当かね!?」
「あいつを覚えているかい?」
二度目の押し開きをしてきた訪問者に蜥蜴人の女性は親指を指して聞く。その人物はよれよれの服と厚い三角帽子を着用した蟲人族の蜂人。葉のおかげで頭に痛みはなく、記憶に集中する。
あの蜂人は見た覚えがある。どこで、と町に入ってからの視界に入っていたものを一つ一つ浮かび上がらせ、ある屋台の店に寄った記憶になった時、ハッと思いだす。
「たしか…ヌメルヤ行商の……」
「覚えているみたいだね。なら話は早い。あんたはあいつの商品の中にまぎれていた“ブック・シー”で倒れて、そんな状態になっちまったのさ」
「ぶっく・しー?……」
聞いたことのない単語に彩は考えると、読みが知っている英単語から、意識を失う前に手にした本の模型が脳裏に浮かんだ。
「もしかして、あの…目がある本みたいな物…でござりますか?」
「そう、それ」
「申し訳ない!!君の命を危うくしてしまった!」
不意に、蜂人が目の前に移動して来て、土下座せんばかりに頭を下げてきた。
その行いに、彩はぎょっとする。
「い、いや…命などと…おおげさでござる気が―――」
「おおげさではないのだよ!間違いなく危険だった!」
「え、えっと……」
冗談は一切ない本気の剣幕に気後れし、彩は横になったまま後ろに引いてしまう。どういうことかと蜥蜴人の女性に助けを求めようと視線を向ける。
思っていたことが伝わったのか、蜥蜴人の女性は突き出していた蜂人の顔を襟首掴んで引き離してくれた。
「ヌメルヤ。まず説明してあげな。その子、困惑してるだろ」
「うごふっ!う、うむ、そうだったね。あ~…君の名は?」
名前を問われ、彩は自分の名を言おうとしたが、ふと自分は忍者で相手が妖怪の可能性があるのを思い出し、口にするのを止める。仮でも忍者のはしくれ、家族以外には忍者の姿時は本名を明かしてはならない。
昔はどこの所属かないしは密偵で利用されることから、源氏名のような仮名を持っていた。昔なのだから、今は関係ないことだろうと思われるが、目の前の妖怪らしき二人に本名はまずいと危惧を感じてしまい、とっさにある名を言う。
「拙者の名は…サイと申しまする」
彩を音読み変換して、カタカナ表記にした名。とっさとはいえ、捻りのない名前にしてしまった。
何故危惧して仮名にしたのか。昔、祖母から妖怪の怪談で言霊の話を聞いたことがある。言霊は言葉に力がある意味で、妖怪が人間の真名を手に入れて奴隷にして最後は食べてしまう話から、つい本名を言うのを躊躇って偽の名前を言ってしまった。真名は魂と繋がっており、名を奪われれば魂は縛られ、否応なく従ってしまう力があるんだとか。
恐い話だったと振り返りかけていた彩はふとあれ、と疑問を抱く。何の妖怪か聞いてもいなければ見ても分からないのに、どうしてか二人の種族となに人なのか分かっていなかったか。それと、少しだけ妖怪じゃない傾向に思考になっていなかったか。
「サイ君だね。私はヌメルヤ行商のマスター、ヌメルヤだ」
「あたしはメイベッサだ」
蜂人と蜥蜴人の女性も自己紹介を返してきたので、疑問とした事を置いて彩の意識は二人に戻る。
「さて、事情説明といこうか。君があの時手にしたのはブック・シーと言う魔具の一つで、学習用に使われていた物なのだ」
学習用、あれが…と彩は“目”と光る紐を出していたのを本の模型にとても学習したいとは思えない代物だと内心いぶかしむ。彩にとって勉強する道具は学校の教科書とイメージが浮かんでいるため、本の形はしてもどうにも学習用と結びつかない。
そんな彩に気づいてかヌメルヤは話を続ける。
「ブック・シーは読んで学ぶ形式ではなく、脳の大脳辺縁体に属する海馬を通じて大脳皮質に…と専門用語では分からないか。脳にある記憶を保持する箱に内容を直接植え込むといった感じかな。植え込むことによって一発で覚えられる、お手軽な勉強道具なんだ」
一発で覚えられる…何度もノートに書いてや先生の話を聞いて頭に入り込むのに、それがなく簡単に覚えられる。なんと魅力的な道具なのだろう。受験の人にとっては喉から手が出るほど、欲しいものだ。
近所の公立中学ではなく、私立中学を狙う同学年で夜の塾通いだけでは足りないと、図書館でぴりぴりとした空気を醸し出して勉強に勤しんでいた。その人から、某ドラゴン格闘漫画にある睡眠学習装置が欲しいと恨みがましく呟いていたのを思い出した彩はぶるっと震えて、その時の記憶を振り払う。
それはそうと、逆に勉強嫌いの人間にも最適な物でもある。
「え~…勉強嫌いの人にはお得な道具でござりますな」
考えていたことを笑って言えば、メイベッサは浮かない顔だった。
ヌメルヤは表情が分かりにくいがメイベッサと似た感じだった。
「まあ、そう思うよね。販売された当時も皆が競って買い漁ったほどだ。けれど、最悪な欠陥品だったのさ」
「え?」
彩はぱちくりと目を瞬かせる。最悪な欠陥品とは…。
ヌメルヤは厚い三角帽子のつばを掴んで下ろす。その姿は苦悩とするといった表現を表しているようだ。
「先も説明したとおり、ブック・シーは記憶を保持する箱に植え込む。高度な魔法術式と複雑な回路を組み込まれて作製されたが、魔具の設定は使用者の安全を保障していなかったのさ」
使用者の安全の保証……彩は今の自分の状態を見て、まさかと顔を上げる。
それは彩の考えた通りであり、それ以上にやばいものだった。
「記憶を保持する箱に送出するだけで使用者のコントロールはなく、集中と送られたことで脳に多大な負担を強いられた。それも全てを植えつけるまで停止不可能。それにより、サイ君と同様の体調異常者が多く出てしまった。だが、被害はそこまでに収まらなかった。眼から脳に情報を送る形から、膨大な量に眼が焼き切れてしまったのか、色の失いや視力が悪化と異常が生じ、果てには視力が無くなり―――失明者が続出した」
こんな気持ち悪く頭痛が酷いだけではなく、失明に至るまで…。彩は驚愕と目を見開いていたが、話はそこで終わらなかった。
「ブック・シーの中身によって被害は異なるが、情報量が深く長いほどに使用者の、特に脳に異常をきたした。詳しく説明すると、もう脳がぐちゃぐちゃとかき混ぜられたように機能が乱れて、痙攣が激しくて感覚が天国地獄の繰り返し、あげくに原形がなにかと分からなくなるほどに苦痛を虐げられ―――あ、これは私ではなく、体験者が語った事だから―――そんな苦しみから逃れられずに、脳は耐えきれなくなった。そして……大量に死亡者が出た。それはもう酷く惨めで見てられないほどの死に様だったよ。頭の中にあるもの全部絞り出されたかのような死に顔や全身血だまりになった死体とか、眼をえぐげばッ!?」
「誰がそこまで教えろって言った。恐がらせてどうするんだい」
ヌメルヤの話に顔色(包帯で隠されてしまっているが)は徐々に青ざめていき、ガクガクと震える体を抱きしめてしまう彩にメイベッサは語るヌメルヤを殴って止めた。
かわいそうに、と慰められ、彩は震えが治まる。泣きはしなかったが、明確な描写説明で本当に危険だったのだと理解した。祖父母から聞いた怪談以上に恐かった。もう心身どちらともゾクッとした。
しかし、壁に叩きつけられたヌメルヤを目にしたら、別の恐れに塗り替わってしまったが…。
「たく、いくら男でも子供なんだよ。詳細説明しなくていいだろうに」
「うぐ、いたたた…いや~その方がどれだけ危険な目に遭いそうだったのか、分かってもらえるように思えてね。子供だから現実味を与えなきゃ、しっかり伝わってくれないだろ。それはそうと、メイベッサちゃん。ちょっとは加減してくれないかね」
二人の会話に彩の思考が固まる。声音と表情から冗談で口にしていないと嫌でも分かってしまう。
自分は子供でも、こんな包帯巻き巻き忍者であっても、性別はちゃんとした女である。そう反射的に訂正したかったが、言ったらややこしい予感がしたことから、ぐっと抑えて勘に従った。
恰好が恰好なだけに女として見えないのだろう。あちらでも、会う人は一番に男と間違えられた。今まで、家族の紹介なしに一回目で性別を当てられた人は悲しいことに一人もいなかったという事実は奥深くに閉じ込める。
「一応したさ。でなければ、陥没していただろうさ。逆にそれだけで感謝するこった。本来なら置いちゃいけない物を店に並べるなんて頓馬をしたんだから。管理不届きで済まなかったよ」
「まことに面目ない。君がサイ君を助けてくれて良かった」
どうも、看病だけにあらず、メイベッサは命の恩人のようだ。
彩は起き上がれぬ体をメイベッサに少し強引に向け、お礼を述べる。
「助けていただき、ありがとうございまする…このご恩、必ずや返しまする…」
「子供が礼なんてしなくていいよ。あたしは偶然に通りかかったに過ぎないからね。それより、ここに来るまでの事情分かったかい?」
彩はなんとなくと肯く。
問題の品と扱われているブック・シーに触れたことで、頭の中がシェイクされて危うかったところ、メイベッサに助けられたということだろう。
彩はずきずきと痛みだした頭に手を当てて葉を噛みしめる。
「よっと…それから、倒れてしまった君をメイベッサちゃんが経営している宿の一室を借りて介抱していたのさ」
立ち上がったヌメルヤの捕捉で、なるほど、と彩はここが宿屋なのかとようやく場所を知り、知ったことで大事なことに気付く。
「あ、あの、宿と言うことはお金は……」
「大丈夫だ。五日分の宿泊代、私が払っといたから」
無一文なのでどうすればと困っていたら、どういうことかヌメルヤが宿泊代金を奢ってくれていたらしい。
そんな支払ってくれるなんて、恐れおおいというかご迷惑をおかけするとか、と彩は訴えたく起き上がろうとしたが、ズキンッとつんざく頭痛にベッドに沈んでしまう。一瞬意識が飛びそうになるほどだった。
「無理するんじゃないよ。しばらくはベッドの上で療養しなくちゃ身なんだよ。それと、この男が支払いしたのは当然のことだよ。これぐらいはしてもらわないとね」
「しかし……」
「しかしもいいんだ。あんたは甘んじてもらっときな」
ぺしりと軽くはたかれ、彩はうっと目を細めて仰け反る。痛いと涙目で振り向けば、口元に新たな葉をくわえられ、文句を封じられた。
「起きたとはいえ、しばらくは安静だよ。それで、ヌメルヤ。あのブック・シーは教養教材の知識だけだったんだね」
「そうだ。一般常識とこの国の歴史の教材くらいさ。それにあれは破損していたから、欠損している知識情報があると見た」
「だとしたら三日ぐらいは様子見と安静だね。あんた、運が良かったよ。途中であたしが止めたとはいえ、不良品で軽い方のブック・シーだったから最悪の事態には至らなかったはずさ」
どの最悪部分か気になったものの、彼女の言う通りなら、不用意に触ったとはいえ、ラッキーで助けられた。
もう一度、ありがとうと彩はメイベッサに感謝する。
そこで、ふと眠気が訪れてきた。瞼が閉じかけていて、呼吸が睡眠とするものになっていく。
「眠くなってきたみたいだね。一度起きても、知識を植えつけられちまったんだから、頭が非常に疲れているだろう。話は一旦ここまでにしようか」
「で、も…他にも、聞き…たいことが…」
「それは明日にしな。いいから寝るんだよ」
知識を強引に植えつけられた頭を落ち着かせるには睡眠が一番だと、彩の望みはばっさりと切られ、寝させられる。
ヌメルヤも続きは明日にすることに賛成し、彩に申し訳ないと再び謝罪し、詫びはまた後日と出て行ってしまった。宿泊代でもういただいているのに、詫びは必要ないと思うのだが。
メイベッサは仕事があるから少し離れると割れた花瓶が入った袋を持って行ってしまう。
一人となってしまった彩は動く気力が無くなってきて、体が訴える睡眠要求を受け入れているのか、瞼を閉じる。
一応、話を理解していた。理解した後に疑問が生じた。会話の中にありえない単語があったのに、普通に受け答えしていた。
初めて聞いたのに、あの時は疑問も驚きもなかった。状況と理解するのと衝撃的な事情に後回しにしてしまったのか。いや、あの二人の種族について気にならなかったから、思いもしなかった。考えようともしなかったかもしれない。
何故かおかしいと感じなかった。
“魔法”という言葉が出たのに、嘘だと疑わなかったのだ。
なんでだろう?どうしてだろう?そのことで聞きたくもあったが、次に回されてしまった。自分なりに考えようとしたが、眠気に思考が鈍る。閉じゆく意識の中、思考が止まる前にありえそうなことを一つだけでも挙げようとする。
あるとするならば……あのブック・シーとかしか思いあたらない。
それを最後に彩の意識が眠りに落ちた。
町での情報収集一日目、まさかこんな形で重要なことを手に入れてしまった。最も欲しかった情報の一つが入手したことに気付くのは翌日の朝のこと。