焙烙割り 其之弐
舞台の上に面をかぶった演者が姿を現した。
島田魁は午前中の捜索が徒労に終わって、見所の隅でがっくりうなだれている。
「浜崎診療所」なる敵のアジトをつきとめるには、とても午前中では無理だ。
なんとなく気の毒になった藤堂平助が、左どなりの席をポンポンと叩いて座るよう促した。
「ほら、ここ空いてますよ。『焙烙割』を見逃しちゃあ、意味ないすよ」
島田は言われるまま藤堂と阿部慎蔵のあいだに腰掛けると、両ひざに肘をついて深いため息を漏らした。
「は~あ」
原田の失踪を本気にしていない藤堂は吹き出しそうになるのをこらえてたずねた。
「なに?原田さんまだみつかんないの?」
「探そうにも手がかりがなくて…なんかヒマだとか言って鬱屈してたみたいだし、まさか原田さん、おかしな考えを起こしたんじゃ」
「ああ、ないない」
そう鼻で笑ったとき、藤堂は後ろからすごい力で引き倒された。
「うわっ…な、永倉さん?」
仰向けになった藤堂をのぞき込むように永倉の顔があった。
「…たぶん左之助の居所がわかった。ちょっと付き合え」
永倉は藤堂と島田を交互に見ながら声を落として言った。
「…いま?」
「そう。今すぐ」
ところで、阿部慎蔵は久々に上機嫌だった。
今日の晩飯は確保できたし、おまけに狂言という高尚な余興までついてきたのだ。
「お、始まったぞ。こんな高いところに座って狂言見物なんざ大名にでもなった気分だね」
となりにいる島田魁に話しかけたつもりが、いつの間にか誰もいなくなっている。
阿部は二つ向こうの席に座っていた初対面の斎藤一に話しかけた格好になってしまった。
斎藤は、浪士の風体をしているのに丸腰という阿部をめずらしい生き物でも見るように眺めたあと、
「…でもないが」
とだけ、無愛想にこたえた。
阿部は斉藤の妙な迫力に気圧されて、
「…でもないよな」
と、例のユニコーンの根付を指先でクルクルまわしてごまかした。
斎藤はただ冷ややかな眼で、回転する根付を一瞥すると、舞台に視線を戻した。
一方、永倉新八、藤堂平助、島田魁の三人は、見所を降りて、連日の公演で粉々に砕けた焙烙が山になっている舞台の直下、通称「奈落」に足を踏み入れていた。
もちろん、舞台では狂言が続いている。
「奈落」とは言っても現代のように大掛かりな舞台装置を収納する地下室のそれとはちがって、二階にある舞台と(同じく二階の高さにある)客席とのあいだに設けられた「すき間」というか「溝」のようなものだ。
永倉たちは観客に見つからないために、壁際を一列になって這うように進まなければならなかった。
粉々に砕けた焙烙が山になっている舞台の真下までようやくたどり着くと、藤堂が小声でたずねた。
「ほんとにこの山の下に原田さんがいるんでしょうね?」
「わからんが、今んとこ左之助を最後に目撃した総司の話が本当なら、可能性大だ」
そう言われてみれば、ひときわ高い破片の山が人型に盛り上がっているようにも見える。
「…死んでるんじゃないのか?」
島田は、禁忌を口にするようにつぶやいた。
「それくらい繊細ならいいがな」
永倉の口ぶりには、「なんでこんな目に」という憎しみすら感じられる。
「平助」
永倉新八は藤堂平助の腰のあたりをつついた。
「なに?」
「掘れ!」
「なんでオレが…」
不満を訴えようと振り返る藤堂の首を、永倉は強引に前へむけさせた。
「おまえが一番前にいるからだよ!さっさとやれ!」
藤堂はブツブツ言いながら、音を立てないように陶片の山をどかしはじめた。
「あーあーまったくやってらんねーなーもー…う、う、うわあwwっ!」
永倉はすごい勢いで後ずさってきた藤堂を羽交い絞めにして口を押さえつけた。
「う、うーるせえ、バカ!上にゃまだ、客がいんだぞ!」
「ご、ごめん。なんか足から出てくるもんだと勝手に思い込んで掘ってたら、いきなり顔が出てきたから…」
「そのバカ、息してんのかよ?」
藤堂は恐るおそる原田の顔をのぞきこんだ。
「ね、寝てるみたい…。すげえ、いったいどうやったらこの状況でのん気に寝てられるんだ…」
藤堂のはるか頭上、二階の舞台では『焙烙割』が佳境に(かきょう)はいっていた。
焙烙(素焼きの皿)売りとケンカした太鼓売りが、仕返しに売り物の焙烙を地面に叩きつけて割ってしまう見せ場のシーンだ。
舞台にはうず高くつまれた焙烙がずらりと並べられていて、太鼓売の演者がそれを順番に倒していく。
焙烙は次々と奈落へくずれ落ちてゆき、派手に砕け散る。
観客がワッと沸いた。
そして、まさに奈落の底では、藤堂たちが絶間なく降りそそぐ焙烙にさらされていた。
「い、痛い痛い痛い痛い痛い!下がって!永倉さん!下がって!」
藤堂は後ろの二人がつっかえて逃げ場を失っていた。
「バカ!左之助を置いてったら意味ねえだろ!はやく!引っ張れ!ほら!はやく!痛って!いててて!」
「引っ張れったって!だからこっち頭なんだってば!」
「じゃあ首を引っ張っちまえばいいんだよ!」
「永倉、よせ、死んじまう!」
島田は腕を交差して焙烙の雨を防ぎながら、にじり寄って無茶を止めようとしたが、永倉はそれを後ろ足で蹴飛ばした。
「いいんだよ!それくらいで死ぬなら、もうとっくに死んでる」
そのころ。
沖田総司は、北門のまえにたたずむ石井秩と雪の姿を、数間先の物陰から見ていた。
狂言堂の方からは、笛や太鼓のお囃子をかき消すように焙烙がガラガラと崩れ落ちる音が聞こえてくる。
「焙烙割」のハイライト、本日公演序盤の山場だ。
「なあ、おかあはん、沖田はんまだ?」
雪は半べそで母を見上げた。
「うん、お仕事で来れないのかも」
秩は応えにくそうにあいまいな微笑を返して、八木家の方を見やった。
「そんなん、いやや」
「残念だけど、沖田さんもお仕事忙しいならしょうがないよ」
秩はしゃがみこんで、なだめるように雪の小さな頭に手をおいた。
「いや!このべべ沖田はんに見せるん」
強情な娘に秩も困り果てていたが、やがて何か思いついたようににっこり微笑んでその肩を抱いた。
「ねえ、じゃあお母さんと葛切り食べにいこ。二人ともよそいきだし、鴨川の方へお出かけしよう」
「えー」
雪はそれでもしばらくのあいだ駄々をこねていたが、葛切り(蜜をかけて食べる冷菓)に釣られたのか、しぶしぶながらも秩に手を引かれて行ってしまった。
沖田は二人のうしろ姿を見送りながら、やるせない表情でため息をもらすことしかできなかった。
「…やっぱり葛切りには勝てないか…くそっ」




