焙烙割り 其之壱
さて、いつになく賑わう壬生寺のまえでは。
殿内義雄とともに幕府から浪士組の取りまとめを託された家里次郎が相棒の帰りを待っていた。
あいかわらず、小洒落た縮緬の羽織などを着ている。
家里は、先ほどから北門を挟んで反対側に立つ人待ち風の若い女に気をとられていた。
子連れだが、京でも滅多に見ないほどの美人だ。
まだ二十四と年若い家里は、身なりに気を使っているだけあって、憂国の士であると同時にいっぱしの艶福家だった。
普段なら一声かけるところだが、あいにく今日はこの茶番じみた接待につきあったあと、芹沢や近藤たちと、浪士組の主導権をめぐる対決がひかえている。
しかも、相棒の殿内は今夜にも京を立ち、顔の利く江戸で仲間を集める予定だ。
殿内は朝早くに宿舎を出て、夜の会合場所付近に旅支度を隠しに行っていた。
芹沢たちとの協議を終えたその足で、江戸に向かうつもりなのだ。
彼が戻ってくるまでのあいだ、家里自身もこの京で仲間を増やし、加えて芹沢たちを独力で監視しなければならない。
やることが山ほどあった。
まもなく殿内がやってきて、これからのことをもう一度申し合わせることになっている。
残念だが女にかまっている暇はなかった。
とは言え、気になるものは気になる。
その美しい女が、おそろいの色無地を着せた少女と話すのに聞き耳をたてていた。
「沖田はん、これ見たらびっくりする?」
少女は自慢らしい藤色の着物の袖を広げてみせた。
「うん。びっくりすると思う」
少女に微笑みかけて、物憂げに坊城通りの先を仰ぎ見たその母が、石井秩だった。
二人はすでに四半刻も、この狂言に招待してくれた沖田総司を待っている。
「おそいなあ?」
娘の雪は、母にならって八木邸のほうを見ながら待ち遠しそうにぴょんと跳ねた。
答えに詰まった秩は曖昧な笑みを浮かべるしかない 。
家里はその横顔を見て、意を決したように二人に近づいた。
「どなたかをお待ちですか?」
秩は戸惑ったように、
「招待してくれた知人と待ち合わせしております」
と応えた。
「私は浪士組の人間です。よろしければ、席をご用意できると思いますが」
こういうときの家里は、書生風の好青年にしかみえない。
彼は土方のように黙っていても相手が寄ってくるというタイプではなかったが、女性に警戒心を与えない術を心得ていた。
しかし義理堅い石井秩は、ぎこちない笑みを浮かべて、
「いえ、お構いなく。もう少し待ってみます。」
とその申し出を断ると、雪の手を引いて逃げるように本堂の方へ行ってしまった。
家里はその後ろ姿を見送りながら、
「コブ付きじゃなきゃあ、国事をすっぽかしてでも口説くのに」
と歯噛みした。
開演も間近になったころ、ようやく殿内義雄が壬生寺に到着した。
すなわち、殿内を尾行している沖田総司と粕谷新五郎もまた、壬生村に戻ってきたわけである。
沖田は土塀の陰から殿内が家里と合流するのを見届けたが、さきほどまでそこに石井秩母娘がいたのを知らない。
しかし、頭のどこかで二人のことが引っかかっている。
殿内義雄と家里次郎が北門の前で何かヒソヒソと話しあっているのを見て、
「ちっ、さっさと入れよ」
と、思わず考えが口をついて出てしまった。
粕谷新五郎はピクリと眉をうごかして沖田を横目で見た。
「何をイライラしている」
「別に。嫌なことはさっさと終わらせたいだけですよ」
沖田は口をとがらせた。
「これからどうします?」
殿内たちがようやく壬生寺の中に入っていくのを見届けながら、沖田はたずねた。
問われた粕谷はあいかわらず思いつめた表情のまま、ふところで腕を組んだ。
「狂言が終わるまで待機するしかあるまい。今のうちに飯でも食っとけ」
「粕谷さんは?」
「私はいい」
「わたしの方が年下なのに、そういうわけにもいかないでしょ。じゃあ、お祐ちゃんに言って握り飯でももらってきます」
沖田はため息をつくと、壬生寺のすぐ裏手にある八木家の方へ足を向けた。
しかし、ふと思い直してふり返ると粕谷の前に回り込んで、
「それから!くれぐれも変な気を起こさないでくださいよ!」
と険しい表情で釘をさした。
粕谷はチラリとその顔を見てふんと鼻を鳴らした。
「おにぎり作ってよ」
沖田は八木家の台所に入ってくるなり、祐の背中にそう声をかけた。
家人の昼食を用意するため沢庵を切っていた祐は、おどろいて振り返った。
「お、沖田はんか。びっくりささんといて」
「聞こえた?おにぎり作って」
「な、なんや、いきなり現れてその言い草は。『どうかおにぎりを作って下さい』やろ?」
祐は片方の手で沢庵をつかんだまま沖田に包丁を突きつけた。
「ム…ムカつくなあ」
沖田は包丁の切っ先を睨みながらつぶやいた。
祐はおもむろに包丁を置くと、その手のひらを耳元にあてて問い返した。
「ハ~ア?なんてえ?聞こえへんなあ?」
「ぐ…つ、つくってください」
時間に余裕のない沖田は、また不毛な争いを繰り返すわけにもいかず、屈辱に肩を震わせながら復唱した。
「どこ行っとったん。この忙しいのに、朝から原田さんがおらんゆうて大騒ぎなんやで」
祐は塩を入れたツボを引っ張り出しながら、例の失踪事件を告げた。
「いつから?」
沖田は祐が切っていた沢庵を一切れ手にとってたずねた。
「昨日の昼」
「ええ?昨日為三郎たちと壬生寺に遊びに行ったとき見かけたぞ」
「な、なんでうちも誘うてくれへんかったん?!」
祐は不満のあまり、少々見当はずれの反応でわざわざ沖田を喜ばせてしまった。
「イチャイチャしてたから声かけづらくて」
意地悪くニヤついて、沖田は沢庵をかじった。
一気に台所の緊張が高まったところへ、ぼちぼち壬生寺へ向かおうかという永倉新八が顔をだした。
「お祐ちゃん、みんな出払うんで、お客が来たら狂言堂にいるとつたえてくれ…」
そこまで言って、沖田に気づいたらしい。
「おう、総司。お帰り」
「また、すぐに出ますよ」
沖田は不満そうにこたえた。
「そっかあ、こんな日に仕事とはついてないねえ、ひひひ。そういや、左之助は一緒じゃないよな?」
永倉が社交辞令のように原田の一件を付け足すと、祐が堰をきったようにまくしたてた。
「この人、昨日壬生寺に遊びに行ったとき原田はん見たらしいで!ちゅうか、子供らの相手にかこつけて毎日毎日フラフラフラフラ、ほんま、どうなん?こういう…」
沖田は祐を黙らせるために沢庵を三切れほど、その口に押し込んだ。
静かになったところで、永倉は沖田の顔を見て聞き返した。
「どこに居たって?」
「あ~っと、たしか昼前に見所に行ったとき、赤い顔して奈落の下のぞき込んでたから『酔っ払ってそんなとこいたら落ちますよ』って声かけたの覚えてる」
「まさか…」
永倉と祐は顔を見合わせた。




