“死にぞこないの左之助”失踪事件 其之弐
二人がそろって八木家の門を出ると、この辺では見かけない浪人がなにやらキョロキョロと辺りを見まわしている。
沖田から伝言を預かった阿部慎蔵である。
「あ、お嬢ちゃん?」
阿部は祐に気がつくとホッとした表情で片手をあげた。
以前、阿部が三条河原で長州の人間とモメたときに、ただひとり阿部に味方してくれたのがこの祐だったのだ。
祐のほうも、三人の不逞浪士相手にタンカを切った男の顔を覚えていた。
「あ、ああ!長州のアホどもやっつけたお侍さんや!」
「よかった、知ってる顔に会えて。ここから出てきたってことはお嬢ちゃんは浪士組と関わりがあんのか?」
阿部は八木家の門柱に掲げられた「会津藩御預 壬生浪士組」の看板を指さして尋ねた。
祐は島田を気にするようにチラリと盗み見てから、阿部に耳打ちした。
「…そう。見習い隊士っちゅうの?なんか、そういう感じ」
阿部は疑わしげに祐の顔を見直したが、その眼はあまりこの話題を喜んでいないことを訴えていたので、これ以上触れないことにして、
「…あ、そ。ずいぶん賑やかだが、なんかやってんのか?」
と、坊城通りを振り返った。
いつもは閑静な田舎町といった風情の壬生村に、妙に人通りが多いし、どこからか太鼓や笛を練習する音も聴こえてくる。
「壬生狂言や。会津のお侍に見せるんやて。行ってみたら?」
「そうしたいが、人を探してる。ちょっと事情が込み入っててな。俺の恩人なんだが顔を知らないんだ。けど、向こうは俺のこと知ってる」
祐は首をひねった。
「そんなことってあるん?」
「浪士組の島田って人なんだが。知らないかなあ」
祐は思わず島田と顔を見合わせた。
「それ…俺のことじゃないかなあ」
上背のある島田は、前かがみになって自分の顔を指さした。
阿部は目のまえの男の野太い腕をみて、自分を軽々と持ち上げた怪力を思い出した。
と同時にひどい目にあわされたことも脳裏に蘇って、頭に血が上ってしまったらしい。
「あっ!ああっ!お前が島田か!てめえこの…」
阿部がいきなり島田の襟首をつんだので、事情が飲み込めない祐は目を丸くしている。
しかし、間近に顔を突き合わせて、島田はようやく相手に見覚えがあることに気づいたようだ。
「ああ、あのときの。こないだは悪かったねえ、投げ飛ばしたりして」
屈託なく微笑むその顔を見るうち、阿部もなんとか冷静さを取り戻して、手をはなした。
「…う~、ま、あの時は金まで立て替えてもらったんだから、こっちも礼を言わなきゃな…その、まだ返済の都合がつかないんだが」
「いいんだ、いいんだ。急がないよ」
「そうそう、これ。沖田ってやつから。島田さんに渡してくれって」
阿部はきまりが悪そうに沖田からことづかった書付けをヌッと差し出した。
祐が意外そうな面持ちでたずねた。
「お侍さん、沖田はんと会うたん?」
とたんに島田は顔色を変えた。
ひったくるようにそれを受け取ると、四つ折にされた懐紙をもどかしげに開く。
「俺に伝言ってことは、沖田さん、何か手がかりをつかんだな!」
そう言うと、書付けにほとんど鼻をすりつけるようにして何度も読み返した。
― 本日ノ狂言見物ハ所用ニ付 出席 叶ズ。
浜崎医療処イチ様ユキ様ショウタイノ件、後ヲ頼ム。
オキタ
「ん!…んん!……んんっ!?…ん~…よく分からんな。お兄さん、どこでコレを?」
阿部は書き付けを渡されたときのことを思い出そうと眉をよせた。
「ああ、えーと、四条堀川辺りだったかな。なんかえらい慌てて、これを押し付けてった」
「つまり、沖田さんはかなり切迫した状況でこれを書いたんだな。文面が意味不明なのも、それなら説明がつく。だがこれで、さらに謎が深まったぞ…原田さんの失踪とどう繋がるんだ?」
「どれどれ」
阿部と祐もその書面をのぞきこんだ。
「あんたに浜崎医療所ってとこでおイチとおユキって女の正体を探れって指示じゃねえのか?」
事件と関係のない阿部は、軽く思いつきを口にした。
だが、それを聞いた島田は手を打って、阿部を指さした。
「…お兄さん!それだ!きっとそうだ!」
「その、お兄さんていうの、やめてくれないかなあ。あの俺ね、阿部。阿部慎蔵」
島田は事件のことで頭がいっぱいで、阿部の自己紹介も上の空だ。
「お礼といっちゃなんだけど、お兄さんも狂言観ていってよ。沖田さんの席が空いてるから」
そういい残すと、なにを思ったか壬生寺のほうへ駆け出した。
阿部はその背中に声をかけた。
「いや、遠慮しとくよ。それに狂言じゃ腹はふくれないしさ」
しかし、祐が阿部の肩を叩いて言った。
「それやったら、このあと招待客を呼んで先斗町で打ち上げるらしいで」
「マ、マジで?」
阿部が急に乗り気になったところへ、島田がかけ戻ってきた。
「ところでさ、このおイチさんとおユキさんて誰?」
「さあ?そこまでは…」
二人は顔を見合わせた。
「…あれは望み薄やわ」
祐は島田を振り返りながら壬生寺へ向かった。
狂言堂までやってくると、ちょうど下稽古を終えて舞台を下りてきた八木源之丞をつかまえることができた。
「島田はんに声かけたんやけど、いま手が離せんみたいですよ。なんやったら、うち、掃除手伝いますけど」
祐が申し出ると、源之丞は鷹揚に手を振った。
「ありがたいけど、若いおなごのやることやあらへん。まあ、ええわ。住職が言うには、なんや焙烙の破片が山になってガラガラ崩れとるらしいんやけど、そんなんいつものことやし」
そう言って舞台の下のガレキを指した。
たしかに、前日まで十日間の公演で割られた焙烙の破片が、こんもりと山積みになっている。
「音が気になるとかゆうとったけど、住職も会津はんが来はるから神経質になっとるだけやろ」
「…はあ」
祐が気の抜けた返事をしたとき、またガレキが音を立てて崩れた。




