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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
抗争之章
95/404

“死にぞこないの左之助”失踪事件 其之壱

壬生浪士組の屯所とんしょでは朝からちょっとしたさわぎがあった。

「左之助がいない」

最初に気づいたのは八木家の人々だった。

毎朝、母屋おもやに飯を食いにくるはずの原田左之助が、その日に限って現れなかったからである。


この頃の浪士組には、のちの局中法度きょくちゅうはっとのようなきびしい規則はまだなかったものの、都では異邦人いほうじんにすぎない彼らが何も言わず姿を消すというのはやはり普通の事ではなかった。


ただ、いなくなった原田左之助も、残念ながらあまり普通とは言えなかった。

だから、朝食の席で八木雅やぎまさからこの事実を聞かされた試衛館しえいかんの面々は、正直なところそれほど事態を深刻に受け止めなかった。


近藤勇に至っては、八木家の日常が原田によっておかされなかった事をむしろ喜んだくらいだ。

「総司と一緒じゃないのか?あいつ、朝早く出てったろ」

「いや、総司は一人のはずだ」

土方が、何食なにくわぬ顔でこたえた。

沖田の不在は、あくまで「殿内を見張るため」と近藤には説明してある。


「ま、ほっといてもハラが減ったら帰ってくるだろ」

壬生狂言みぶきょうげんやら、殿内義雄とのうちよしおのことやらで忙しい近藤と土方は、放し飼いのいぬ程度にしか気に留めていない。


ただ一人、井上源三郎だけは妙な胸騒むなさわぎを覚えていた。

「だって、飯の時間に現れなかったって言うんだ。ねえ、あの左之助がだよ?そう言やあ、あたしも昨日の夜からやつを見た記憶がないのさ。こいつぁ何か問題でも起きたんじゃないかねえ」

八木雅やぎまさの心配が伝染うつったのか、井上は大袈裟おおげさな身振りで訴えた。

土方には取りつくしまもない。

「ハ!今まであいつに問題のなかったことが唯の一度でもあったか?いいから!源さんは会津藩の接待せったいに専念してくれ」

ピシャリと言うと、あわただしくはなれを出ていった。


「心配は分かるが、奴が誰にやられるつーんだ?そもそも左之助にかなう奴なんてそうはいねえんだし」

永倉新八もそうなだめたが、井上もなかなか頑固がんこなところがあってゆずらない。

「なんかねえ、イヤぁな予感がするんだよ」

「わぁかったから!あのバカはおれがさがそう。もうすぐ(会津の)本多さんたちが来るんだろ?源さんはお客さんの相手を頼む」

あまりにしつこいのでとうとう永倉のほうが折れて、捜索そうさくを引き受けることになった。

言うまでもないが、これは井上を納得させるための方便ほうべんでしかなかった。

実際、永倉にはムサ苦しい男の行方ゆくえなどどうでもよかった。

「大の男が一晩や二晩や三晩帰って来なかったくらいで、なあにをピーチクパーチクさわいでんだか…」

ただ井上源三郎は試衛館しえいかんにいた人間にとって長兄ちょうけい的な存在である。

このまま放っておいても面倒臭めんどうくさいことになりそうなので、永倉は一計いっけいあんじた。



その、しばらく後。

壬生寺。


狂言堂きょうげんどうの前に設けられた見所けんしょ(客席)に、座布団ざぶとんを並べる新米しんまい隊士 島田魁の姿があった。

彼の初仕事は、壬生狂言みぶきょうげんに来る客の案内役である。

招待しょうたいした客を、それぞれの席に誘導ゆうどうするのだ。

この手のもよおし事がよほど好きなのか、島田は朝早くから狂言堂に行ってあれこれ準備を手伝っていた。

開演まではまだ半刻はんときほどあったが、気の早い招待客がそろそろやってくるかもしれないと北門のほうをあおぎ見ていると、そこへ永倉新八がフラリとやって来た。


永倉は島田が敷いたばかりの座布団ざぶとんに腰かけて、

「開かれた仕官しかんの道をって、芸能興行げいのうこうぎょうの下働きになった気分はどうだい?」

にくまれ口を叩いた。

嫌味イヤミを言いにきたのか?」

島田は座布団を並べながら、にがい顔で永倉をにらんだ。

すると永倉は急に真顔まがおになって身を乗り出した。

「冗談だ。初任務をもってきた」

「え?いや、俺の仕事はこの…」

戸惑とまどう島田を遮って、永倉は秘密を打ち明けるように顔を近づけた。


「左之助がいなくなったんだよ、突然、昨日の晩から。いや、昼ごろから?とにかく、厄介事やっかいごとに巻き込まれた可能性もある」

島田は手をとめて、永倉のとなりに腰を降ろした。

「そりゃ大変じゃないか。で?」

「知ってのとおり、今日の狂言きょうげんは会津藩の接待を兼ねていて、みな手が離せん。てことで、あんたに捜索そうさくを頼みたい」

「そ、そんな重大なこと、なんで新入しんいりの俺に?」

「おれがした」

「なんで?」

「バカ!島田魁しまだかいなら、それが出来ると思ったからだろ!」

「な、永倉あ…おまえ…おまえってやつは…」

島田はワナワナとふるえて永倉の肩をつかんだ。

「感動するのは任務をやりげてからだ。左之助の命がかかってる」

「そ、そうだよな。あ、でも俺にも来賓客らいひんきゃくの案内って仕事が…」

永倉は手のひらを突き出して、それを制した。

「いいんだよ!そういう地味じみな仕事はおれに任せとけ」

「永倉!なんでそこまでしてくれるんだ」

島田の目はすでにうるんでいる。

「おれはただ、あんたが手柄てがらを立てて、一日も早くみんなに認めてもらえりゃそれで満足なのさ。親友としてな。まずは周辺の聞き込みから頼む」

「わかった!」

島田は感極かんきわまって永倉に抱きついた。

が、永倉は露骨ろこつに嫌な顔をして、その身体を引き剥がした。

「あんた…そっちの気はねえよな?」

「あ、あるか!戯け(ターケ)!」

島田は身震みぶるいして飛び退いた。



まずは原田左之助の、失踪しっそう当日の足取りを追わねばならない。

そこで島田魁は、最初に八木邸の離れに向かった。

なぜなら、身体の具合が悪いと寝こんでいる阿比留鋭三郎あびるえいざぶろうが、昨日もずっとはなれの四畳間しじょうまにいたはずだからだ。

「よう、どうだい、からだの具合ぐあいは」

島田は、だるそうに半身はんしんを起こしている阿比留に声をかけた。

部屋にはちょうど阿比留の食事を運んできたらしいゆうの姿もある。

「あまり良くない。こんなときにせっていてすまない」

阿比留は、ゆうからかゆの入ったわんを受け取りながらびた。

いかにも不健康なせ方をしている。

「いや、いいんだ。今は養生ようじょうして早く治してくれ。ところで原田さんを知らんか?昨日から姿が見えないんだ」

「さあ?そういや昨日は非番ひばんとかで、朝からこの部屋でしこたま飲んでいたな。ヒマだとかボヤいて出てったが、それから見てない」

阿比留は落ち着きなく首すじをきながら応えた。

最近、この阿比留栄三郎に言い寄られているらしいゆうは、早くこの部屋を出て行きたい様子だ。

「あ、島田はん、そういえば狂言堂の方で、八木はんが探したはったで」

そう言ってひざに触れようとする阿比留の手をさりげなく振り払った。

朴念仁ぼくねんじんの見本のような島田は気づかない。

「なんだよ、この忙しいときに」

「『奈落ならく』の掃除そうじまで手ぇが回らんから手伝うてくれて」


壬生狂言の客席は舞台と切り離された見所けんじょという建物にあり、狂言堂とのあいだには「奈落ならく」と呼ばれる隙間すきまがある。

これは序曲じょきょくとして演じられる「焙烙割ほうらくわり」のときに、二階にある舞台から素焼すやきの皿を地面に落として割る場面があって、客席に破片はへんがとばないよう工夫くふうされた仕掛けだ。


「あ~それ、誰か手のいてるひとに…」

「みんな一杯一杯や」

島田は言い終わるまえに望みを断ち切られた。

こういう時には大抵たいてい頼りになる井上源三郎も、今日いっぱいは主賓しゅひんの会津藩士たちのお相手に忙しい。

「あ、じゃあ沖田さんは?」

その名を聞いたとたんにゆう不機嫌ふきげんになった。

「あいつは朝から大事な用とかでおらん!」

「つまり沖田さんも、同じヤマを追ってるのか。しかし、まいったなあ、この忙しいときに…」

頭をきむしりながら出て行こうとする島田を追いすがるように、ゆうが声をかけた。

「あ、待って。ほんなら、うちがバシっと断ってきたる」

「助かるなあ」

こういうとき、押しのつよい彼女は頼りになる。

「ほな、阿比留さん。食べ終わったらまたおぜんさげに来ますさかい」

ゆうはそそくさと阿比留のぜんにお茶をおくと、島田にくっつくように部屋を出た。

「あの人、しつこうチョッカイ出してくるから、島田はんが来てくれてうちも助かったわ」


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