“死にぞこないの左之助”失踪事件 其之壱
壬生浪士組の屯所では朝からちょっとした騒ぎがあった。
「左之助がいない」
最初に気づいたのは八木家の人々だった。
毎朝、母屋に飯を食いにくるはずの原田左之助が、その日に限って現れなかったからである。
この頃の浪士組には、のちの局中法度のような厳しい規則はまだなかったものの、都では異邦人にすぎない彼らが何も言わず姿を消すというのはやはり普通の事ではなかった。
ただ、いなくなった原田左之助も、残念ながらあまり普通とは言えなかった。
だから、朝食の席で八木雅からこの事実を聞かされた試衛館の面々は、正直なところそれほど事態を深刻に受け止めなかった。
近藤勇に至っては、八木家の日常が原田によって侵されなかった事をむしろ喜んだくらいだ。
「総司と一緒じゃないのか?あいつ、朝早く出てったろ」
「いや、総司は一人のはずだ」
土方が、何食わぬ顔でこたえた。
沖田の不在は、あくまで「殿内を見張るため」と近藤には説明してある。
「ま、ほっといても腹が減ったら帰ってくるだろ」
壬生狂言やら、殿内義雄のことやらで忙しい近藤と土方は、放し飼いの犬程度にしか気に留めていない。
ただ一人、井上源三郎だけは妙な胸騒ぎを覚えていた。
「だって、飯の時間に現れなかったって言うんだ。ねえ、あの左之助がだよ?そう言やあ、あたしも昨日の夜からやつを見た記憶がないのさ。こいつぁ何か問題でも起きたんじゃないかねえ」
八木雅の心配が伝染ったのか、井上は大袈裟な身振りで訴えた。
土方には取りつく島もない。
「ハ!今まであいつに問題のなかったことが唯の一度でもあったか?いいから!源さんは会津藩の接待に専念してくれ」
ピシャリと言うと、あわただしく離れを出ていった。
「心配は分かるが、奴が誰にやられるつーんだ?そもそも左之助に敵う奴なんてそうはいねえんだし」
永倉新八もそうなだめたが、井上もなかなか頑固なところがあって譲らない。
「なんかねえ、イヤぁな予感がするんだよ」
「わぁかったから!あのバカはおれが捜そう。もうすぐ(会津の)本多さんたちが来るんだろ?源さんはお客さんの相手を頼む」
あまりにしつこいのでとうとう永倉のほうが折れて、捜索を引き受けることになった。
言うまでもないが、これは井上を納得させるための方便でしかなかった。
実際、永倉にはムサ苦しい男の行方などどうでもよかった。
「大の男が一晩や二晩や三晩帰って来なかったくらいで、なあにをピーチクパーチク騒いでんだか…」
ただ井上源三郎は試衛館にいた人間にとって長兄的な存在である。
このまま放っておいても面倒臭いことになりそうなので、永倉は一計を案じた。
その、しばらく後。
壬生寺。
狂言堂の前に設けられた見所(客席)に、座布団を並べる新米隊士 島田魁の姿があった。
彼の初仕事は、壬生狂言に来る客の案内役である。
招待した客を、それぞれの席に誘導するのだ。
この手の催し事がよほど好きなのか、島田は朝早くから狂言堂に行ってあれこれ準備を手伝っていた。
開演まではまだ半刻ほどあったが、気の早い招待客がそろそろやってくるかもしれないと北門のほうを仰ぎ見ていると、そこへ永倉新八がフラリとやって来た。
永倉は島田が敷いたばかりの座布団に腰かけて、
「開かれた仕官の道を蹴って、芸能興行の下働きになった気分はどうだい?」
と憎まれ口を叩いた。
「嫌味を言いにきたのか?」
島田は座布団を並べながら、苦い顔で永倉をにらんだ。
すると永倉は急に真顔になって身を乗り出した。
「冗談だ。初任務をもってきた」
「え?いや、俺の仕事はこの…」
戸惑う島田を遮って、永倉は秘密を打ち明けるように顔を近づけた。
「左之助がいなくなったんだよ、突然、昨日の晩から。いや、昼ごろから?とにかく、厄介事に巻き込まれた可能性もある」
島田は手をとめて、永倉のとなりに腰を降ろした。
「そりゃ大変じゃないか。で?」
「知ってのとおり、今日の狂言は会津藩の接待を兼ねていて、みな手が離せん。てことで、あんたに捜索を頼みたい」
「そ、そんな重大なこと、なんで新入りの俺に?」
「おれが推した」
「なんで?」
「バカ!島田魁なら、それが出来ると思ったからだろ!」
「な、永倉あ…おまえ…おまえってやつは…」
島田はワナワナと打ち震えて永倉の肩をつかんだ。
「感動するのは任務をやり遂げてからだ。左之助の命がかかってる」
「そ、そうだよな。あ、でも俺にも来賓客の案内って仕事が…」
永倉は手のひらを突き出して、それを制した。
「いいんだよ!そういう地味な仕事はおれに任せとけ」
「永倉!なんでそこまでしてくれるんだ」
島田の目はすでに潤んでいる。
「おれはただ、あんたが手柄を立てて、一日も早くみんなに認めてもらえりゃそれで満足なのさ。親友としてな。まずは周辺の聞き込みから頼む」
「わかった!」
島田は感極まって永倉に抱きついた。
が、永倉は露骨に嫌な顔をして、その身体を引き剥がした。
「あんた…そっちの気はねえよな?」
「あ、あるか!戯け!」
島田は身震いして飛び退いた。
まずは原田左之助の、失踪当日の足取りを追わねばならない。
そこで島田魁は、最初に八木邸の離れに向かった。
なぜなら、身体の具合が悪いと寝こんでいる阿比留鋭三郎が、昨日もずっと離れの四畳間にいたはずだからだ。
「よう、どうだい、からだの具合は」
島田は、気だるそうに半身を起こしている阿比留に声をかけた。
部屋にはちょうど阿比留の食事を運んできたらしい祐の姿もある。
「あまり良くない。こんなときに臥せっていてすまない」
阿比留は、祐から粥の入った椀を受け取りながら詫びた。
いかにも不健康な痩せ方をしている。
「いや、いいんだ。今は養生して早く治してくれ。ところで原田さんを知らんか?昨日から姿が見えないんだ」
「さあ?そういや昨日は非番とかで、朝からこの部屋でしこたま飲んでいたな。ヒマだとかボヤいて出てったが、それから見てない」
阿比留は落ち着きなく首すじを掻きながら応えた。
最近、この阿比留栄三郎に言い寄られているらしい祐は、早くこの部屋を出て行きたい様子だ。
「あ、島田はん、そういえば狂言堂の方で、八木はんが探したはったで」
そう言って膝に触れようとする阿比留の手をさりげなく振り払った。
朴念仁の見本のような島田は気づかない。
「なんだよ、この忙しいときに」
「『奈落』の掃除まで手ぇが回らんから手伝うてくれて」
壬生狂言の客席は舞台と切り離された見所という建物にあり、狂言堂とのあいだには「奈落」と呼ばれる隙間がある。
これは序曲として演じられる「焙烙割」のときに、二階にある舞台から素焼きの皿を地面に落として割る場面があって、客席に破片がとばないよう工夫された仕掛けだ。
「あ~それ、誰か手の空いてるひとに…」
「みんな一杯一杯や」
島田は言い終わるまえに望みを断ち切られた。
こういう時には大抵頼りになる井上源三郎も、今日いっぱいは主賓の会津藩士たちのお相手に忙しい。
「あ、じゃあ沖田さんは?」
その名を聞いたとたんに祐は不機嫌になった。
「あいつは朝から大事な用とかでおらん!」
「つまり沖田さんも、同じヤマを追ってるのか。しかし、まいったなあ、この忙しいときに…」
頭を掻きむしりながら出て行こうとする島田を追いすがるように、祐が声をかけた。
「あ、待って。ほんなら、うちがバシっと断ってきたる」
「助かるなあ」
こういうとき、押しのつよい彼女は頼りになる。
「ほな、阿比留さん。食べ終わったらまたお膳さげに来ますさかい」
祐はそそくさと阿比留の膳にお茶をおくと、島田にくっつくように部屋を出た。
「あの人、しつこうチョッカイ出してくるから、島田はんが来てくれてうちも助かったわ」




