敗残の兵は語る 其之参
殿内が再び四条大橋の方へ歩き出す。
二人の追跡も再開され、沖田は黙って話のつづきを待った。
「しかし、他にも私のような者は大勢いた。我々は水戸街道の長岡宿あたりに集結し、誰がいうともなく長岡勢と呼ばれるようになった」
水戸から離反したこの過激派の事件は長岡屯集と呼ばれ、天下の副将軍と謳われた前水戸藩主、徳川斉昭をも悩ませた。
「…で?」
いつしか沖田は話に引き込まれていた。
しかし。
「おしゃべりは、ここまでのようだ」
粕谷はふいに言葉を切って、前方にあごをしゃくる。
標的はついに四条大橋の手前、高瀬川に掛かる小橋を過ぎた。
「鴨川を渡りきって、最初に曲がった辻でやる」
粕谷新五郎の身体からかすかな殺気が立ちのぼった、そのとき。
殿内は橋の手前を脇にそれて、河川敷を降りていった。
「な、なんだよあいつ、脅かすなよな」
沖田が止めていた息を吐いて、小さく毒づいた。
「しかし、こんなところで何をする気だ?」
不審げに目を細める粕谷は、まだ緊張を解いていない。
川沿いをひと気のない方へ歩いていった殿内義雄は、やがて辺りをうかがうようにして低木の茂みに持っていた荷物を隠した。
そして、さりげない風を装い再び土手を上っていく。
「私が後をつける。きみはあの荷物を」
粕谷はすばやく役を割り振って、さっさと殿内を追って行った。
沖田は、割り当てられた役目には不満だったが、渋々茂みをかき分けて例の荷物を探しはじめた。
「あったぞ」
急いで包みを解いてみると、案の定、笠や合羽、脚絆などの旅装が出てきた。
振り分け籠には少々の食料も入っている。
「やはり遠出する気か…」
手早く荷物を元の位置にもどし土手を駆け上がると、四条大橋のたもと辺りにまだ粕谷の姿がある。
「…殿内は?」
沖田は息を切らしながらたずねた。
「かどのタバコ屋に入った」
粕谷は数間さきの店を目立たないように指さした。
「どうやら、殺るのは宴の後になりそうだな」
粕谷の声にはどこか安堵の響きがある。
店を出てきた殿内は今来た道を引き返していった。
いったん壬生村に戻るつもりのようだ。
「それで?」
沖田はそう言って粕谷の顔を見た。
「あとは、今夜の話し合いで決着がつくことを祈るしかなかろう」
粕谷はふところで腕組みをすると、また殿内の後をつけ始める。
「ちがいますよ。長岡で集まった粕谷さんたちは、それからどうなったんですか」
「その話か、あとは…そう面白い話でもない」
粕谷は大きなため息をもらした。
「だって、ここまで聞いたんだし気になるでしょ」
もっともな言い分に、粕谷はあきらめて話しを続けた。
「どうにもならんさ。結集した我々は、密勅を返すなどもってのほかと水戸城へ押しかけようとしたが、その前に藩は長岡勢の追討を命じていた。蜂起計画の主だった者は江戸へ逃れ、核を失ったことで組織は分解、やがて仲間は例の大獄でひとり、また一人と捕らえられていった。そしてついに、私にも追求の手がのびた。そのとき切腹を試みたが果たせず、みっともなく生き永らえたまま投獄されたというわけだ」
「…それで?そこで粕谷さんの物語は終わりですか」
沖田は粕谷の横顔にたずねた。
殿内が壬生村へ向かっていることはもはや疑いようがなかったが、それでも粕谷は標的から目を離さない。
「私自身の話は、な。だが、追跡を逃れた一部の仲間たちは違った。安政七年、水戸脱藩浪士といえば、いくら政治に疎いきみでもピンとくるだろう?」
「…桜田門外の変…!」
沖田は地面に視線を落とし、声を絞り出した。
「ああ。追討を逃れたわれわれの残党は、桜田門の前で決死の斬り込みをおこなった。そして、あの井伊直弼を討った」
言葉を失った沖田が顔をあげると、こちらをじっと見つめる粕谷と目が合った。
「これで分かっただろう?私は腹を切ることすら叶わず、この剣をもっとも必要とされたとき、その場にいなかった。同志たちが戦い、死んでいったときに、私はただ虚しく牢獄の小さな窓から雪を眺めていたのだ。私という人間は、卑怯者の死にぞこないなんだよ」
沖田は粕谷の蒼ざめた顔から目を逸らせなかった。
それは歴史のうねりから弾かれ、死に場所を与えられなかった男の、苦悩の表情だった。
沖田は、尾行中ということも忘れ、思わず殿内の背中を指差して声を荒げた。
「それで今日ここで殿内と刺し違えて死のうとした?バカバカしい!それこそ犬死にだ!」
「大きな声をだすな。成す術もなく、ただ同志が次々と斃れてゆくのを見送ることしか出来なかった者の気持ちなど、きみには解らん」
粕谷新五郎は、思いの丈を吐き出した。




