トライアングル 前篇
「こりゃまた、ずいぶん立派なお座敷ですなあ!」
部屋に通されるや、土方歳三は、凝った設えの床の間に歩み寄ると、柱を軽く叩いて大袈裟に感心して見せた。
あとに続く近藤勇と山南敬介は、その挑発的な態度を見て、やれやれと顔を見あわせた。
まだ始まってもいない話し合いの先が思いやられる。
芹沢鴨が手にした大鉄扇で首のうしろを掻きながら、なんの迷いもなく上座に腰を降ろした。
「今日は俺の奢りだ。遠慮なく飲んでくれ」
それを受けて、なぜかこの場にいる佐伯又三郎が、手振りでみなに席を勧めた。
「どうぞどうぞ。ま、ま、こういう席ですから、女はナシですわ。すんませんけど、今日のとこはみなさん手酌でお願いできますか」
そう言いつつ、抜け目なく芹沢には酌をしている。
沖田たちが壬生寺の狂言堂を見学していた、ちょうどその頃。
ここ、祇園のとある貸し座敷の一室では、壬生浪士組の芹沢派と近藤派の主だった面々が、第三の派閥、殿内義雄の一党を追い落とすべく密議を交わそうとしていた。
出席者は、水戸藩出身の芹沢鴨、新見錦、粕谷新五郎。
江戸、試衛館道場の近藤勇、山南敬介、土方歳三。
そして、これも芹沢派と言っていい佐伯又三郎である。
近藤は盃に口をつけると、この店を手配した新見を流し見た。
「ずいぶんいい酒だ」
なにやら含みのある近藤の言葉を、新見は笑って受け流した。
「たまには贅沢も必要でしょう?これからは、幕府や会津のお偉方と同席する機会も増える。せっかく京に出てきたんです。我々も雅や風流のこころを学ばなくてはね」
土方は軽く盃を軽くかかげた。
「金の出どころは聞かないぜ。酒が不味くなる」
「ふん」
芹沢は肘置きに身体を預けると、天井の隅に目をやって土方の皮肉を黙殺した。
これから共同戦線を張ろうというのに、早くも不穏な空気が漂う。
全員が着座すると、土方歳三は両手の指先を合わせて身を乗り出した。
「さてと。じゃあ、さっそく本題に入らせてもらおう。芹沢先生、あんたがご執心の仏生寺とかいう殺し屋は、いつ都合がつく?」
「おいおい、土方くん。今日は『殿内義雄とどう折り合いをつけるか』話し合うんじゃなかったのか?」
芹沢は不遜に反り返ったまま、理解できないといった様子でこめかみを押さえ、眉間にしわを寄せた。
土方は山南の顔をチラリとうかがって、これ見よがしに鼻を鳴らした。
「フン…笑える」
山南敬介は、顰め面を作って嗜めたが、
「こりゃ失敬、芹沢先生なら、今さら話すことなんかねえと言下に切り捨てるとばかり思ってましたから」
土方はお構いなしに、親指で首を掻き切る仕草を真似、舌を鳴らした。
「土方さん、そこらへんにしておけ」
見かねた山南が、親指を立てたその手首を(つか)掴む。
新見錦が、話を仕切りなおすように咳払いを入れると、下座に座る佐伯を顎で指した。
「しかし、うちの佐伯が探ったところでは、ここ数日というもの、宿舎には根岸友山とその郎党の姿が見えないそうだ。ことによると、彼らと話す機会は本当にもうない、のかもしれん」
どうやら、佐伯が同席を許された理由はこれらしい。
根岸友山の一門は五名が京に留まり、殿内派のほぼ全てと言っていい構成員だったはずだ。
「それはなぜです?」
山南敬介が鋭い目で佐伯に問いかける。
「はあ、女中から聞き出した話やと、お伊勢参りに行かはったとか」
「お伊勢参りというと、あのお伊勢参り?」
「はあ、弥次さん喜多さんが行った、あのお伊勢参りです。あちらさんも内々ではあまり上手くいってたとは言えんようで、ケンカ別れして、出ていったんと違いますかねえ?」
佐伯は、両手の人差し指で×を作って見せた。
「あちらさん『も』」という失言には気づいていない。
「…京を離れるにしても、もう少し気の効いた口実がありそうなもんだが。今さらなにを祈願しに行ったんだか」
足並みが揃わないのはどちらも同じかと苦笑いする近藤に、新見は諜報の成果を得意げに分析してみせた。
「あの爺さんは、自分以外の誰が隊を仕切っても気に入らんのですよ。たぶん、戻らんでしょう」
近藤が考え深げに顎をさすった。
「つまり、あっちは殿内と家里の二人きりってことか」
芹沢は大きく口をあけ、カラになった徳利をその上で逆さに振りながら嘯いた。
「好都合だが、だとすりゃ放っといても、殿内の野郎はトンズラするんじゃねえのか?」
如才のない佐伯が部屋を這い出て、仲居女中に酒の追加を命じる。
山南はその様子を冷ややかに見つめてから、芹沢に向き直った。
「それはないでしょう。なんとなれば彼らには、幕府から直々に浪士組の取りまとめを仰せつかっているという大義名分がある」
芹沢は鉄扇の先で山南を指して、苦々しげに顔を歪めた。
「そうそう、それそれ!奴ら、二言目には『鵜殿サマからジキジキに』だもんなあ!?」
「あんたら、分かっちゃいねえなあ。俺なら、敵に数の不利を悟られる前に江戸へ取って返して、何としても仲間をかき集めるぜ…?」
土方がボソリとつぶやいた一言で、そこにいた全員が一瞬手を止めた。
皆の注目を集めたところで、土方は、上目遣いに悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。
「…なぁんてなことを、殿内の旦那も考えてるかも、な?」
芹沢が、畳の上に鉄扇をトンと突き立てる。
「せっかく、清河のクソみてえな戯言から解放されたってのに、殿内が配下をどっさり引き連れて戻ってきたんじゃ、元の木阿弥だぜ?どうするよ、近藤さん」
そう言って、まるで他人事のように、判断を押し付けた。
しかし近藤は、安っぽい挑発に煽られることはなく、ただ大真面目な顔で腕を組んだ。
「あの男に荒くれどもを束ねられるとは、とても思えませんが。とにかく明日、話してみませんか」
「話すってなにを?向こうは俺たちのことを、無法者か素浪人の寄せ集めくらいにしか思ってねえんだぜ?ま、当たらずしも遠からずだが、どっちにしろ完全に見下されてんだよ。悪いが、百姓上がりのあんたじゃ、なおのことさ。話して分からなかった時はどうするんだい?」
冗談めかしてはいるが、芹沢の目は笑っていない。
話が途切れるのを見計らったように、佐伯が二本目の徳利を芹沢の膳に置いた。
土方が両方の掌をひろげて、一同を見渡す。
「そんなの決まってるさ。行きつく結論はひとつ、だろ?」
近藤がジロリと土方を睨んで、その口を封じた。
「歳、もう酔ったか?口が過ぎる」
実際のところ、土方はほとんど酒に口をつけていない。
彼はあまり酒を嗜まないと公言していたが、そもそも泥酔して、人前に無防備な姿を晒すような男ではなかった。
暗殺をほのめかしたのは、近藤の口から決定的な一言を言わせないための牽制だ。
ここで、再び山南が話を引き戻す。
「しかし、認めたくはないが、芹沢さんの言い分にも一理ある。ここで少しでも譲歩すれば、母屋をとられますよ。…何か手を打たねば」
新見錦が、お伺いをたてるように芹沢の顔色を窺った。
「…決まり。ですね?」
「そっか、斬るしかねっか!残念だが、ま、そういうことならしょうがねえな!」
そのとき、近藤が立ち上がって一座を睨めつけ、めずらしく声を荒げた。
「まずは一度話をしてからだ!いいか?それまでは誰も手を出さないでもらおう!歳、おまえもだ」
土方は頬杖をついて、渋々うなずく。
「…あいよ」
新見錦も自らの盃に酒を注ぎながら、薄笑いを浮かべ、
「ご随意に」
と同意したが、さすがに予防線を張ることも忘れなかった。
「…だが殿内が、明日の会議をすっぽかして姿をくらまさないとも限らん。誰か見張りをつけておいた方がよろしかろう」
佐伯又三郎が、ここぞとばかりに口をはさむ。
「そ、そやけど!必要とあらば殿内を斬らなあかんわけでしょ?あいつはそれなりに使えまっせ?誰でもええっちゅう訳にはいかへんのとちゃいますか?」
芹沢が大鉄扇をバッとひろげて、
「仏生寺の旦那は、まだなんも言ってこねえ。こいつあ、そろそろ俺の出番ってとこかな?」
大見得を切ったとき、
「…私が行こう」
それまでひとり静かに杯を傾けていた粕谷新五郎が名乗りを挙げた。
芹沢は二本目の徳利の残りを直接のみ干し、口元を拭った。
「おっと!ついに真打登場だな?」




