壬生狂言 其之参
「おいおい、チビッコどもはどこいった?」
沖田が人混みの中に目を凝らしたとき、
「沖田さん!」
と声がして、雪の母 石井 秩が小走りに駆けよってきた。
「お秩さん、どうしたんです?」
沖田はこんな時間に診療所勤めの秩がいることに驚いてたずねた。
「さっき、八木家の奥様が娘さんのお薬をもらいに来られたんですけど、うちの子が屯所までお邪魔してると伺って!お屋敷に行ったら、沖田さんとここにいると…!」
秩は息を切らしながら、申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「それで、そんなに慌てて来たんですか?」
沖田は可笑しそうに頭をかいている。
「けど、お仕事があるのに、ご迷惑だったでしょう」
「市中見回りの間くらいなら、八木家の次男坊に任せときゃ大丈夫ですよ。それよりお秩さんこそ、お仕事はいいんですか」
「え、ええ。今日は患者さんも少ないので早めのお昼休みをもらって来ましたから」
「なら良かった。今日はお雪ちゃんを叱るのはナシですよ。わざわざわたしを訪ねてくれて光栄に思ってるんですから」
「でもあの…はい」
秩は出かかった言葉を飲み込んで、哀しげな微笑を浮かべた。
「じゃ、お秩さんもちょっと見物していきませんか?」
そこへ藤堂が子供たちの手を引いて戻ってきた。
「おおい、こいつら池のとこで遊んでたから全部捕まえてきたぞ!」
何があったのかおおよそ想像はつくが、藤堂の袴は泥だらけになっている。
「あ!」
母の姿に気づいた雪が藤堂の手を振りほどいて駆け出した。
雪が見知らぬ女性に抱きつくの見て、藤堂は沖田に問いかけるような視線をなげた。
「あ、ああ、お雪ちゃんのお母さん。ほら、三番隊が泊まってた浜崎診療所の人」
妙にアタフタする沖田に藤堂はなにかを察したのか、意味深な笑みを浮かべて頬を寄せた。
「綺麗だけど、人妻はマズイぜ。火遊びはほどほどにな」
そう耳打ちすると、沖田に言い訳をする暇をあたえず、大きく伸びをして背中を向けた。
「さってっと、そろそろなんか手伝ってくるかな!」
藤堂は気を利かせたつもりだったが、すぐそばにいた八木家の長男秀二郎がその言葉を聞き逃さなかった。
「ほな、あっちで垂れ幕張んの手伝ってもらいまひょか」
「ゲ、ヒデ!」
「男手が足らんゆうて、わたしも駆り出されましたんや。ヒマな人がもう一人おって助かったわ」
秀二郎はいつもの仏頂面で、藤堂の肩をガッチリつかんだまま離さない。
「秀二郎さんは舞台に出ないの?」
照れ隠しのつもりなのか、沖田はとってつけたような質問をした。
「アホな。こんなご時勢に、呑気にカンデンデンでもないでしょ」
秀二郎は素っ気なく答えると、藤堂を引きずって行ってしまった。
「かんでん…なんです?」
取り残された沖田は、問いかけるように秩の顔を見た。
「さあ?すみません、私も大坂から出て来て日が浅いので…」
戸惑う秩を沖田は意外そうな面持ちでながめた。
「あれ?そうなんですか」
「ええ。夫に死なれてからこちらへ移ったので、まだ一年にも満たないんです」
「え?だけどご主人のお墓はここに…」
秩の顔に、これ以上そのことには触れられたくないという表情が浮かぶのをみて、沖田は慌ててとりつくろった。
「いや、すみません。立ち入ったことを。じゃあ、お秩さんも壬生狂言を観た事ないんですね」
「ええ」
「…なんだ?カンデンデンて…気になりませんか?」
秩はようやく微笑んだ。
「はい。ちょっと気になります」
人の良さそうな近所の小作人の青年が、二人の会話を漏れ聞いたらしく、親切に説明を買って出た。
「お侍さん、カンデンデンゆうんはね…」
ところが、そこまで言ったところで別の男が強引に彼の腕をつかんで沖田たちから引き離してしまった。
「アホ、あれはミブロや、口きいたらあかん」
その男は声をひそめたが、沖田たちにははっきりそう聴こえた。
いつの間にか周囲は見物客でごった返しており、そこかしこから「ミブロや」というささやき声が聞こえてくる。
沖田は、悪意のある視線にとまどって、
「まいったな。ひょっとして、わたしと一緒にいちゃ、あなたに迷惑がかかりませんか?」
と申し訳なさそうに秩を見た。
彼女は、身を守るようにきつく両腕を抱いて、まっすぐ誰もいない舞台を見つめている。
「私は気にしませんから。沖田さんも堂々としていて下さい」
「いや、わたしはなんとも思っちゃいませんが…」
「誇れるお仕事をなさっているのだから当然です。なら、私をあちら側の人間と一緒にするのは侮辱だと思いませんか」
その凛とした横顔は、まるで中沢琴のようだと沖田は思った。
「わかりました。じゃあ一つお願いがあるんですが、明日、お雪ちゃんと一緒に狂言を観に来てくれませんか」
秩は驚いた顔で沖田を振り向いて、
「でも…」
と口ごもった。
「知ってるんですよ。明日は浜崎先生も招待してるから、つまり、診療所は休みですよね」
「あ、」
秩はあきれた様子で沖田を軽くにらんだ。
沖田は悪びれずに、その視線を軽く受け流す。
「たてまえは会津藩の接待ですが、みなさんと親睦を深めるのも目的の一つですから、ね?ぜひ」
「おかあはん、悪いキツネをな、やっつける話やねんて、なあ、おかあはん、見に来ようなあ」
雪は母親の着物の裾にまとわりついて、小さく飛び跳ねながらねだった。
「ほら、お雪ちゃんも気になってるみたいだし、もちろんわたしもいますから」
秩は、小刻みに首を振って根負けしたように微笑んだ。
「それじゃあ。お言葉に甘えてよろしいですか」
「席をとって待ってます。きっとですよ」
―その日の夜
「ああああああああ、つっかれたあ」
沖田総司はようやく八木家の離れに帰ってくると、脚を投げ出して倒れ込んだ。
今日という日のスケジュールは、まさに殺人的だった。
壬生寺で石井秩と別れたあと、その脚で隊務にもどった沖田は、
禁裏の北側一帯を隈なく巡回して、
屯所に戻るなり夕方まで三人の子供たちの相手をさせられ、
日が落ちる前には雪の手を引いて浜崎診療所に送り届けたのである。
沖田が寝転んだまま開け放った縁側から庭の外をながめていると、近藤、山南、土方らが暗い表情で帰って来るのが見えた。
「おかえり」
半身を起こして声をかけたが、三人とも「ああ」とか「おお」とか生返事しかしない。
遅い夕飯の席でも三人の口は重いままだったが、沖田も含め誰もあえて今日の首尾を聴き出そうとはしなかった。
ところが、その夜の四つ(10:00pm)過ぎ、
みながそろそろ寝静まろうかという時になって、土方歳三が近藤の目を盗むように沖田の袖を引っ張った。
「…総司、ちょっと」
「なんです?」
土方は目配せをして音もなく部屋を出て行く。
ついてこいという意味らしい。
沖田は用心深くしばらく間をおいてから厠に立つふりをして部屋を出た。
離れの外は月明かり以外なにもない闇だ。
「…土方さん?」
沖田は小声で呼びかけた。
「こっちだ」
土方の声がすると同時に腕をわしづかみにされ、沖田は離れの裏手に引きずりこまれた。
「なんなんです?こんな勿体ぶった手順を踏んで話さなきゃならない用件って」
沖田は不機嫌な顔で腕を組み、壁に寄りかかった。
「お前に斬って欲しい男がいる」
土方は唐突に切り出した。
その声にはまるで抑揚がない。
沖田は一瞬目を見開いたが、すぐに問い返した。
「…誰です」
「いつもみたいに、なぜとかどうしてとか聞かないんだな」
「これは仕事ですよね。わたしは剣の腕を生かすために此処にいる。そういうのは任せますよ」
土方は、沖田の覚悟を見定めるように少し間をおき、話しを続けた。
「…上等だ。明日中にケリをつける」
「…明日…か」
低くつぶやいた沖田の眼にわずかな動揺が走ったが、この暗闇で土方がそれに気づくはずもなかった。
ちなみに「壬生さんのカンデンデン」とは鐘や太鼓の音を擬音化した壬生狂言の俗称だそうです。




