壬生狂言 其之弐
やがて、四半刻もしないうちに朝の見回りを終えた隊士たちがパラパラと帰ってきた。
離れの玄関に沖田総司が姿をみせると、部屋の奥から近藤の甲高い声が飛んできた。
「総司、おまえにお客さんだ」
「誰です?」
沖田は脱刀しながら近藤を振り返って、そのときようやく小さな娘が近藤の膝の上にチョコンとのっかっているのに気がついた。
「おっと!やあ、お雪ちゃん。よくここまで一人で来れたね」
「やまとやさんで、沖田はんのおるとこ聞いたらな、そこにおった大きいおじちゃんが連れてきてくれてん」
雪がたどたどしく事情を説明したとたん、沖田は眉をひそめた。
「知らない人についてっちゃダメだって、お母さんに言われただろ?」
石井秩からこの子を任されているという責任感から、ついキツい口調になってしまう。
「知ってるひとやもん」
雪は拗ねたように言い返した。
「ええ?大きいって…じゃ、島田さんかな?」
履物を脱いでいた島田魁が振りむいた。
「ひどいな。俺はずっと一緒に市中を見廻ってたでしょ?」
沖田は首をひねったが、実はこれも芹沢鴨の手柄だった。
お雪の「頼もう」は芹沢直伝である。
浪士組にいる強面の男たちは、総じて子供好きらしい。
意外なことに、芹沢は壬生村の子供たちの人気を沖田と二分していた。
「とにかく、知らない人についてっちゃダメなの。わかった?」
「うん」
雪がふくれっ面でうなずく。
「さて、しかし困ったな。今日はお寺では遊べないんだ」
近藤と差し向かいに胡坐をかくと、沖田はなにか不都合なことでも思い出したように顔をしかめた。
「え~?なんで遊べへんの?」
「今日はさ、本堂にお坊さんがいっぱい来る日なんだよ。それに、昼からあそこでお芝居があって、今はその準備をしてるんじゃないかなあ」
「そやけど、おかあはん、お寺に迎えにくるんえ?」
雪は近藤の膝から飛び降りて沖田にかけ寄ると、その肩にすがった。
沖田はガクガクと前後に揺さぶられながら宙を睨む。
「ああ、そっか。じゃあどうしよう?」
「舞台の準備というのも案外面白いかもしれん。勇坊も見たがってたから、子供らを連れて寺に行ってみたらどうだ?」
近藤はそう言って、足がしびれたのか、壁伝いに立ち上がった。
「そうだな、そうするか。近藤さんも一緒にどうです?」
「いや、俺は…午後から抜けられない会合があってな」
近藤の浮かない声音で、沖田にはすぐ察しがついた。
「ひょっとして、例の件?」
「まあな」
近藤は渋い顔でうなずいた。
養子として近藤家に入った勇と、幼い頃に試衛館の内弟子になった沖田は、ほとんど兄弟のように育ったせいか、互いの考えていることがなんとなく分かる。
沖田が思い当たったのは、二日前の出来事だった。
将軍が都に留まるよう二条城へ直訴に向かう、その直前のことである。
老中板倉勝静に奏上する書面の内容を申し合わせるため、壬生浪士組は初めて全員が顔をそろえた。
しかし、案の定というべきか、ここでひと悶着が起きた。
殿内たちは、芹沢や近藤がこのまま隊を仕切ることには承服できないと譲らない。
もちろん、芹沢と近藤もみすみす局長という肩書きを手放す気などなかった。
ただ、家茂は明日にも江戸へ帰ろうというタイミングである。
この日は訴状の取りまとめに緊急を要したため、話は平行線のまま棚上げとなった。
壬生狂言の日に、あらためて各派閥の主だった面々が集まって、今後の身の振り方を話し合おうということで落ちついたのだ。
対決にそなえ、今日は近藤派、芹沢派だけでその下打ち合わせをするらしい。
近藤を憂鬱にさせているのはそれだった。
「とにかく、おまえは気にせず楽しんでこい」
「ハナから気になんかしてないけどさ。どうなったかだけ、後から聞かせて下さいよ」
「ああ。分かったから早く行け」
近藤は面倒くさそうに手を払う仕草でこたえた。
沖田が雪に草履を履かせていると、八木家の息子たちが藤堂平助と野口健司の手を引いてきた。
「近藤さんが何か出来ることがあれば手伝ってこいってさ。いま帰ったばっかりだってのに、人使い荒いよ」
藤堂の表情は、言葉と裏はらに浮かれている。
水戸派の野口も、面白そうなので勝手について来たらしい。
「どうせならお祐ちゃんも誘おうぜ?」
「無理でしょ」
藤堂は庭で洗濯をしている祐と、井戸の屋形の柱に寄りかかって彼女に話しかける阿比留鋭三郎をアゴで指した。
祐は珍しく険しい表情で、しつこく言い寄られているようにも見える。
「あの野郎…」
血の気の多い野口が割って入ろうとするのを、沖田が引き止めた。
「やめなよ。別に何かされてるわけじゃない」
「ひょっとして、こないだの下らねえケンカを根にもってんの?」
おもしろがる藤堂を横目に、沖田は小さくため息をついた。
「まさか、そんなんじゃない。ただ、本当にイヤならあの娘は自分で断るさ」
しかし野口は、見過ごす気になれないようだ。
「けど、嫌がってるようにしか見えないぜ?」
「男女の仲ってのは、他人が端から見るより複雑なんだよ」
沖田が頭に描いているのは、山南敬介と中沢琴の関係らしい。
野口はまだ納得していなかったが、両腕を八木兄弟に引かれて渋々諦めた。
藤堂はその後ろに続きながら沖田に肩を寄せた。
「どうでもいいけど、あの阿比留って男、いつも土気色の顔してなんだか気味悪くねえか?あんなんで務まんのかよ?」
壬生狂言は、寺の敷地の北側にある狂言堂(大念佛堂)で演じられる。
沖田たちが行ってみると、八木源之丞が舞台監督よろしく腕組みをして、「見所」と呼ばれる客席から演出を指示していた。
狂言堂は二階が舞台になっていて、見物客は源之丞が立っている隣の建物から観劇することになる。
舞台のうえでは大勢の人が、演者の登場する揚げ幕を取り付けたり、『炮烙割』という演目で使用する素焼きの皿(炮烙)を運び込んだりと慌ただしく動いていた。
「八木さん、まさかあの醜女が狂い死にするとかいう陰鬱なやつを演る気じゃないよなあ?」
沖田は不安げに源之丞の背中を見て、頬の辺りを撫でた。
藤堂はもの珍しそうに舞台の上を動き回る人々を眺めた。
「どうかな。けど、あれはここ一番の演目みたいだし、そういう意味じゃ打って付けだろ?」
「そうだけど、女子供にはウケないんじゃないか」
野口が沖田の顔をのぞき込むようにして眉をひそめる。
「ドロドロの愛憎劇とか、意外と女受けはいいんだぜ?だが、どっちにしろ会津藩士に女子供なんていないじゃないか」
為三郎が、沖田の袖を引いた。
「うちら、もっとまえ行って見てきてもええ?」
「いいけど。もうすぐ人でいっぱいになるから勝手に遠く行っちゃダメだぞ」
まるで父親の口振りだった。
為三郎は、雪と勇之助の手を引いて、舞台の前まで元気よく走っていった。
沖田たちもその後に続いて見所に上っていく。
「八木さん、張り切ってますね?」
沖田が声をかけると、源之丞が振り返った。
「いつもは今日で終いなんどすけど、今年は明日が本番どすさかいなあ」
「沖田は明日の演目が気になるみたいっスよ」
藤堂が言うと、源之丞は笑いながら右手の指を折っていった。
「『炮烙割』から始まって、『土蜘蛛』、『花盗人』、あとはなんやったかいな?
そうそう!『玉藻前』。都を護りはる皆さんには相応しかろ思いましてな」
「タマモノマエ?」
藤堂平助が身を乗り出した。
「いわゆる『玉藻御前』ですよね?」
沖田と野口はそう言われてもピンとこない。
「そうどすな。玉藻御前ゆうんは絶世の美女なんやけど、正体は九尾の狐どすのや。その美貌で(鳥羽)上皇さんをたぶらかして取り憑きよる。それを陰陽師が退治するゆう筋立てどすわ」
源之丞が語って聞かせると、沖田と野口は申し合わせたように手を打った。
「おお!そりゃ面白そうだ!」
「八木さんも、もちろん出るんでしょ?」
「そら、そうどすがな。宗家どすさかい」
源之丞は心持ち胸を反らせた。
沖田が、その顔をのぞきこんで冷やかす。
「これから稽古でしょ?台詞はもう大丈夫なんでしょうね?」
源之丞は笑いながら手を横に振った。
「壬生狂言に台詞はおへんのや」
「そうなんですか?」
「お話を所作だけで見せるんどす」
沖田は雪の小さな背中をチラリと見た。
「へ~え。あ、それなら子供にも分かりやすいかも知れませんねえ」
「今日も演りますさかい、観て行かはったらどないどす?」
沖田は苦笑して頭を振った。
「午後も巡察があるんで、そういう訳にも。明日の楽しみにとっときますよ」
源之丞は狂言堂の舞台を指さし、
「ほな、わたしはそろそろ板に上りまっさかい、ごゆっくり」
そう告げて見所を降りていった。
「よし、じゃ俺たちも見物させてもらうか」
藤堂と野口は銘々好きなほうへ散っていく。
狂言堂の前には、そろそろ午後からの公演目当ての客が増えてきたようだ。




