ある、日常 其之弐
無論、彼らも見た目ほどのんびり構えていたわけではなかった。
ただ慣れない京で、市中の情報網も確立しておらず、どうやって敵と対峙すればいいのか、まだ暗中模索しているのだ。
原田左之助は、将棋の駒を手のひらで弄びながらため息をついた。
「…は~あ。俺なんか京に上る前に辞世までしたためてさあ、なんつーか、こう、今ごろは血煙をあげて悪者と戦ってるはずだったんだよ。それがなんで縁側で将棋なんか指してんのかなあ」
対局する沖田総司と原田のかたわらで、盤上の戦局を分析していた永倉新八も同調した。
「世間じゃあ、先の見えない乱世だとか言われてるが、こちとら平和すぎて、明日の晩飯の献立まで察しがついちゃう始末だかんなあ」
庭先の物干しにどうにかこうにか布団を引っ掛けおわった祐が、聞こえよがしに布団をバンと叩いた。
「なんやそれ、皮肉か?おかずの種類が少ないんは、ウチらのせいとちゃうで!」
沖田総司が持ち前の茶目っ気を発揮して、原田の話題を蒸し返した。
「みせて下さいよ。その、辞世の句」
「バカ。そんなもん、ホイホイ人に見せるようなもんでもねえべ」
「じゃあ、こうしましょう。一局やって、負けた方が一句披露するんです。ね?言ってみりゃ王将の辞世ですよ」
「安っぽい辞世もあったもんだな」
永倉が飽きれて肩をすくめた。
「原田さんのヘボ将棋なら、死ぬころにはめちゃくちゃ上達しますよ…俳句が」
原田は、挑発する沖田を上目遣いで睨んだものの、
「ヒマすぎて、怒る気もしねえ」
と頬杖をつき、また嘆息した。
なんとなく将棋を観戦していた野口健司は、庭先でブツブツ言いながらふとんを干している祐を親指でさして、藤堂に耳打ちした。
「なあ、最近よく来てるみたいだが、あの娘は?」
「押しかけ女中ですよ」
答えたのは藤堂ではなく、耳ざとい沖田だ。
「押しかけ…なに?」
「ここんとこ屯所の周りをウロついてるんです。浪士組に入れてくれってしつこくて」
「あの子が?」
「何度も追い返してるんですけどね。最近じゃ八木さんに取り入っちゃって、好き勝手に出入りしてるんです。困ったもんですよ」
沖田は口をへの字に曲げてみせた。
祐は、まだ仕事の合間に井上源三郎から剣術の手ほどきを受けたりしている。
このまま女中に甘んじるつもりも、入隊をあきらめたわけでもないらしい。
その証拠に、台所にいるとき以外の彼女は、だいたいこうして離れの縁側でたむろしている沖田たちにへばりついていた。
このところ、水戸派の野口健司がちょくちょく離れの庭先に出てきて、沖田や藤堂と世間話をするようになったのも、本当はこの祐が目当てだった。
「でもさ、可愛いよな?あの器量なら、ちょっとした旗本の妾くらい、ワケなく手が届きそうだ」
彼は、まだ二十歳と水戸派のなかでも若かったから、性格はともかく、見た目のよい祐に惹かれるのも無理はなかった。
「ダメですよ、とんでもなく口が悪いんだから。そもそも素性も知れないし」
沖田の評価はあくまで手厳しい。
祐は振り返って、布団叩きで沖田を指した。
「そやから聞こえてるねん!誰が正体不明や。うちのお父はんは、歴とした生糸問屋の番頭です!」
「じゃあ、大人しく花嫁修行でもしてろよ」
祐は沖田にツカツカと歩み寄ると、腰に手をあてて身を乗り出した。
「あんなあ?今は町人かて、そう呑気に構えてられへんのや。父上の店かて、長州やら土佐やら浪人者が入れ代わり立ち代わり押しかけては、金をせびって行きよる。そやからゆうて、お奉行になんぼ頼んだかて、何もしてくれへんねんで?もう、うちらが自分で追い払うしかないんや」
芹沢らと商家で金をせびっている野口には耳が痛いらしく、どうにも居心地が悪い。
藤堂は祐の話を聞いて、すこし眉をひそめた。
「けどそりゃあ、いくらなんでも無茶だよ。下手すりゃ無礼討ちだぜ」
「そーそ。気持ちは分かるけど、これからはわたしたちがいるんだからさ」
沖田はそう言ってかたわらにある差料に軽く手を触れる。
「昼間っから将棋さしとるやんか!」
祐はズバリと痛いところをついてきた。
沖田は渋い顔で言い訳をはじめる。
「わたしも、さっさとこれ終わらせて市中の見回りに行きたいんだけどさあ、ほんとは斎藤さんや島田さんと一緒に出るはずだったのに、さき行っちゃったし。原田さんねえ、考えんの長すぎ!」
原田はアセる沖田をみるのがよほど面白いのか、鼻の下に駒をはさんでおどけてみせる。
「充てにされてへんし置いてかれるんや」
祐は冷ややかに言い放った。
「言ってろよ。ぜんっぜん気にしない。だって天才って呼ばれてるから」
沖田の強がりに、藤堂と野口は顔を見合わせて、
「ガキじゃないんだから…」
と苦笑いした。
「テンサイ?はあん。悪いけど、ぜんっぜんそうは見えんわ!」
「勝手に決めつけんなよ!こう見えてもなあ、わたしは試衛館の塾頭なんだぞ!」
祐は、しめたという顔で沖田にすがった。
「ほんなら、うちに剣術教えてぇな。源さんは教えんの向いてへんねん。なあ、ええやろ?とにかく、うちはもう人任せにせんて決めたんや」
「イヤダ」
沖田のこたえは素っ気なかった。
「ななな、なんやそれ!ダメやゆうならまだしも、イヤてなんやねん!」
「だって可愛くないし!」
「そら別にあんたに可愛がられたいとか思てへんし!」
祐は歯ぎしりをしながら、沖田を睨みつける。
沖田は大げさに眉をしかめて目をくるくる回し、祐の怒りをあおった。
「沖田はんのバカー!」
捨て台詞を残して祐は走り去っていった。
「あーあ、泣かせちゃった」
「沖田さん、早く行って謝らなきゃ」
藤堂と野口はことの顛末にうろたえ、原田と永倉は腹をかかえて笑っている。
しかし、祐は布団の山をかかげ持って、すぐに駆け戻ってきた。
「でえい!」
大量の布団が将棋盤の上に投げ落とされて、駒が飛び散った。
「なんてことすんだあ!勝ってたのに~!」
今度は沖田がわめき散らし、原田はシメシメと頬を擦った。
「だいたい大の男が、いつまで縁側で日なたぼっこしとるんや!さっさと仕事に行けえ!」
祐は叫んで、八木家の門を指さした。
丁度そこには、外から帰ってきた山南敬介と土方歳三が呆気にとられた表情で立っていたが、誰も気にしない。
沖田は地団太を踏んで、
「そもそもここはねえ、女が来る場所じゃないんだ。ねえねえ、奥さんからも言ってやって下さいよ」
と、ホウキを持って庭を通りかかった八木雅に助けをもとめた。
雅は庭に飛び散った駒をニワトリのフンと一緒に掃きながら、ニベもなくこたえた。
「なに言うてはるんえ。沖田はんらが来てから忙しすぎて、ほんまゆうたら女中奉公の子でも探そうか思てたとこどす。そやけど、こんだけ若い男ばっかりやと、年頃の子を住まわせる訳にもいかへんし、困っとったんえ。この子が通いで来てくれて、大助かりどす」
祐は勝ち誇ったように鼻の穴をふくらませた。
「ほうら、見てみい。な?な?」
「くそお、覚えとけ!いつか追い出してやるからな!」
沖田は捨て台詞を吐きながら、遠ざかっていった。
ようやく巡察に出る気になったらしい。




