ある、日常 其之壱
文久三年三月十八日、朝まだきの三条河原。
この日もまた尊攘派の浪士集団が、縄を打った僧侶を二人、三条大橋の下に引き立ててきた。
殺気だつ浪士たちの中に混じって、一人眠そうに足を引きずっているのは、あの岡田以蔵である。
勝海舟警護の任務をみごとな手腕で果たし、堅気の仕事に就くかと思いきや、どうやらまた裏家業に復職したらしい。
「ところで、今さら聞くんもアレじゃけんど、こん坊さんらは、なんをしよったが」
「こいつらはなあ、畏れ多くも天子様を呪い殺そうとしたんだ」
リーダー格の古東領左衛門という浪士が、吐き捨てるようにこたえた。
「まあた、てんごう(冗談)言うて。おんしらあ、ほんまにそげえことが出来るち信じちゅうが?」
以蔵はあきれたように仲間の顔を見渡した。
「俺たちが信じてるかどうかは問題じゃない。この坊主どもがそう信じて祈祷をしたのが問題なんだ」
古東は憎々しげにそう言うと、二人の「国賊」を突き飛ばすようにしてひざまずかせた。
以蔵はその視線を僧侶たちに落とし、ため息をついた。
「坊さんらぁもヒマじゃのう。どういて、またそげえ…」
「バカバカしい!言いがかりだ。拙僧らは…」
縄で両腕の自由を奪われた年長の僧侶が、精一杯肩を怒らせて不満を訴える。
“人斬り以蔵”は面倒くさそうに人差し指を立ててその口を封じた。
「あ・あ・あ、やっぱし、もう答えんでええき。坊主の講釈ゆうがはどうも長うなるきいかん。しゃんしゃんと終いにしようかいね」
同じ日、晴天の昼下がり。
京の西のはずれ壬生村にある浪士組屯所、八木邸。
このところ浪士組にもポツポツと入隊希望者がやってくるようになった。
もちろん中にはあの町娘、祐のような者もいて、来るのがすべて使える人間ばかりとは限らない。
ともかく、そういう訳の分からないのや、給金欲しさの有象無象をふるい落とすため、実技の入隊試験が行われるようになった。
「ちぇ、肩慣らしにもなりゃしねえ」
この日の入隊希望者の相手を終えた永倉新八が、ぐるぐると右肩をまわしながら離れに引き上げてきた。
試験に立ち会った近藤勇が憮然とした面持ちでその後ろに続く。
どうやらお眼鏡にかなう人材はいなかったらしい。
「奴らの腕もお粗末だが、おまえももう少し手加減しろ」
近藤がグチをこぼした。
永倉は、こと稽古に関しては「ガムシャラ新八」とあだ名されるほど熱心だったから、入隊希望者にも同じ厳しさをもって臨んだようだ。
「それがヤツらの為だからだよお。だ~って初太刀もかわせないってこたあ、お役目に就いたら、その日の内に死んじまうぜ?」
「まあそうだが!あれじゃ、入隊する前に壊れちまうだろが」
「だいたい、いま人が増えたって詰め込む場所もねえんだろ?」
「…まあそうだが!」
近藤たちが言い争いながら離れに帰ってくると、藤堂平助と水戸派の一員野口健司が額をつき合わせるようにして、一冊の本にかじりついている。
二人はその内容について熱心に語り合っていた。
「いや、蒙が啓かれるってな、このこった。世の中にゃ、まだまだ俺らの知らねえことが一杯あるってな。俺ぁこれに載ってる技を全部身につけようと思う」
「野口さんてば、志が高いなあ。けどまさか、こんな身近に同好の士がいるなんてさ」
永倉は、この奇妙なとりあわせを不審げに見つめた。
「おまえら、親の仇みたいにイガミ合ってたくせに、いつの間に仲良くなった?」
「実は最近、ちょっとしたキッカケで。野口さんとは、すげえ通じ合うもんがあるんスよ。こないだ知ったんスけど、年だって一つしか違わねえし」
「藤堂は、これで学もあるし、俺も色々教えられることが多いっス。これからは教養がモノをいう時代っスからね」
「いやいや先輩、『これで』は余計っしょ。あはははは」
「あはははは」
藤堂と野口は照れくさそうに互いを称えあって笑っている。
「…お前ら…なんかキモチ悪いぞ…」
永倉は熱い視線を交わす二人を横目でみて、そっと後ずさるようにそこから逃れようとしたが、興奮した野口が放してくれない。
「話してみたら趣味が合ったんです。そうそう、例えばコレもね、偶然、俺が一巻だけ持ってる本なんですけど。続きを藤堂がもってたんですよ」
と、先ほど二人が食い入るように眺めていた本を軽く手の甲で叩いた。
藤堂がうなずく。
「それがさ、オレの方は二巻しか持ってなかったんスよ。だいたいね、この『色自慢江戸紫』は、天保の改革で押収を逃れたモノすごい希少本なんスよ!それが、この時代に、二人の手を介して揃うなんて、なんか、運命を感じないスか」
「感じる!英泉、シビレるよな?あはははは」
「英泉サイコー!うふふふふ」
永倉は唯々この妙な空気にムカついていたが、その作家の名にピクリと反応して、二人がうっとりと見入る本をのぞきこんだ。
「…春画本かよ!」
「なに言ってんスか!英泉は芸術ですよ!」
藤堂が猛然と抗議をはじめると、
野口は『色自慢江戸紫』の挿絵を永倉の眼前に開いてみせ、熱弁をふるった。
「だって見てくださいよ、この♂⌘☆∫≦と、♭∞♀Фの、〆♩$部分の色使いとか、サイコーでしょ?」
永倉はそれを聞いて、なにかの記憶をたどるように眉をよせた。
「…おい待て、そのセリフ。たしか昔、誰かがおんなじこと言ってたぞ。つーか、それ言ったの、おれじゃん?つーか、これ、昔おれがおめーに貸してやったヤツじゃん!」
「…でしたっけ?」
まるで心当たりがないというようにキョトンとする野口に、永倉は怒りを爆発させた。
「ず〜っと探してたんだからなあ!これは、おれの蔵書の中でも取っておきだったんだぞ!」
藤堂は二人の会話に辻褄の合わないものを感じて怪訝な顔をした。
「むかしって、いつ?」
しかし野口は首をひねるばかりだ。
「覚えてないなあ。それくらい前なんだろうなあ…」
永倉は野口の頭を思いっきり平手で叩いた。
「こいつはな、おれが江戸の百合元道場で内弟子だった頃の後輩なんだよ。ほんとロクでもないおとうと弟子でよう」
「へえ、永倉さんて剣術の世界じゃマジで顔が広いな」
藤堂が関心していると、例の祐が部屋に上がりこんできて押入れの布団を引っ張り出しはじめた。
季節は立夏を目前にひかえ、この日はうっすらと汗ばむくらいの陽気だった。
布団を干すには絶好の日和だ。
祐はもののついでのように口をはさんだ。
「なんや浪士組て妙に雰囲気がギスギスしてるけど、それやったら永倉はんが間を取り持って、みんなを仲良うさせたらええんとちゃうの?」
このところ、彼女は押しかけ女房よろしく毎日八木家へやって来ては家事の手伝いをしている。
屯所への侵入工作もいよいよ仕上げの段階に入ったらしい。
「そりゃいい。そうしなよ、永倉さん」
藤堂は、まだ春画に夢中の様子で、ページをめくりながら気のない調子で話を合わせた。
「…つーかよ、おまえの持ってる二巻もおれが試衛館にいたころ貸したやつだよな…」
「うわ〜コレえげつないわ。藤堂はん、こっちの見てみ?」
いつのまにか手を休めた祐が、藤堂のとなりで頬杖をついて『色自慢江戸紫』第一巻を読みふけっている。
「う、うわあ!おまえは見るな!」
藤堂は、本に覆いかぶさるようにして開かれたページを隠した。
「ええやんか。うち、べつにカマトトぶるつもりないし。ちゅーか、男ってほんましょーもないなあ」
「おれの顔見ながら言うなよ」
永倉は祐の視線を振り払うように将棋に興じる仲間たちのほうへ逃げていった。
「藤堂はんらも、そろそろそこ退いてや。布団干し終わったら、掃除せなあかんねんから。」
祐は、藤堂と野口を追いたて、縁側で将棋をさす隊士たちを軽蔑の眼差しで見やった。
「ほんまに、どいつもこいつも。ぶったるんどるのとちゃうか」




