島田魁、登場 其之弐
さて、ここから視点を変えて続きを語りたい。
料亭の客としてそこに居あわせた永倉新八と原田左之助は、その一部始終をただ呆然と眺めていた。
原田は、飛んでくる阿部慎蔵の落下予想地点に自分の膳があることに気づくと、それをサッと持ち上げて後ずさった。
「す、すげえな」
思わずそうもらすと、阿部を投げ飛ばした六尺(180cm)以上もある大男が振り返って、ぺこりと頭をさげた。
「どうも、おさわがせして申し訳ねえな」
「あ、いや、なに」
圧倒された原田は、そびえ立つ男を見上げながら手を振った。
ところが、気を失った阿部の顔をのぞきこんでいた永倉が、いきなり逆上して、この大男に掴みかかった。
「この野郎!てめえ、どーゆーつもりだ!」
あわてたのは原田だ。
「うわあ!おい、よせ!お前もぶん投げられてえのか!サーセンね、こいつ、酔払ってるもんで!」
永倉を押さえつけて、大男に謝った。
しかし永倉は、その手を振りほどき、わめき散らした。
「バカ野郎、ペコペコすんな!いいんだよ!このデカイのは近藤つって、おれの古い知り合いだ」
近藤と呼ばれた大男は、そのとき初めてこの先客が知人だと気づいた様子で、
「え?な、永倉?あれ?ご、ゴメン。なに?コレ、この食い逃げって、あんたの知り合いか?」
と、気まずそうに大の字にノビている阿部慎蔵を指さした。
「そーだよ!ま、知り合ったのはたった今だが、なんつーか、そう悪い奴には見えなかったぜ?」
食い逃げ犯を追いかけてきた仲居が戸惑った表情で原田に耳打ちした。
「…お連れはんどすか?」
原田はこの急展開についてゆけず、目を見開いたまま首をかしげた。
「い、いや~、なんかもう俺には人間関係が複雑すぎて、誰と誰がどういう知り合いなんだか、さっぱり…」
近藤某という大男はよほど人が良いのか、この騒動の結末に責任を感じたらしい。
「私がこの人の分も立て替えておくから、目が覚めるまでここで寝かせてやってくれ」
そう言って店の者に金を渡すと、自分の膳をこの部屋に持ってくるように頼み、伸びている阿部のとなりに腰をおろした。
「いやあ、まさか食い逃げをとっ捕まえて怒られるとは思わなかったよ。永倉は相変わらず変なとこで人情深いなあ」
永倉もようやく酔いが醒めてきたようだ。
「あんたこそ、助けを求められると、そうやってすぐお節介を焼くとこは変わってねえな」
なぜか二人は急に和やかな雰囲気になって、昔話に花を咲かせはじめた。
「とにかく、久しぶりだなも。けど、なんだって永倉が京なんかにいるんだ?」
「おれは、成行きでこいつらと一緒に浪士組ってやつに加盟しちまってな。大樹公の上洛にあわせてこっちに出てきた」
永倉は原田をあごで指して言った。
「ほう、そりゃ腕の振るい甲斐がある仕事だな」
「あんたこそ、ご活躍のようじゃないか、風の噂には聞いてるぜ」
永倉は冷やかすような口ぶりで返した。
しかし、当の近藤 某はその活躍とやらに思い当たるフシがないらしい。
「え?なんだっけ、きもち悪いな。うわさってなんの噂だ?」
「尾張の御前試合で優勝したんだろ?その後、大垣藩に召抱えられたと聞いたが」
永倉は相手の反応をうかがうような調子で尋ねたが、身を乗り出したのは、むしろ原田左之助だった。
「マジかよ…尾張っていや御三家のひとつだよな。つまり徳川の殿さんの御前で一番になったってことか?」
近藤 某は謙遜するでもなく、いい思い出を懐かしむように微笑んだ。
「ああ、アレね。そういや、そんなこともあったっけなあ。おかげで、見栄っ張りの大垣藩士に気に入られて養子に入ったんだ。で、今は島田魁と名乗ってる」
島田魁 ―シマダカイ―
怪力無双として知られる、後の新選組伍長。
実力主義を標榜する新選組の中でも、この御前試合での優勝はかなり際立った経歴だが、隊内での彼のイメージは、朴訥で心優しき巨漢とでもいった趣である。
島田はこの当時三十代半ばながら、以降、明治への改元を経て新選組が解散するまでのあいだ、粛々と任務を遂行し続けた。
新選組興亡の通史を身をもって知る数少ない歴戦の勇士であり、入れ替わりも含めておよそ500名は在籍したと言われる隊士の中でも代表的な人物である。
「ふうん。なんにしてもうらやましい話だ。んじゃまあ、再会と島田家の家督相続を祝して一献いこうや。で?こっちへは公用か?」
近藤あらため島田魁の盃に酒を注ぎながら、永倉がたずねた。
「いや…あれなあ、あれは辞めたんだ」
酌を受ける島田はきまりが悪そうに頭をかいている。
「あ?やめたってなにを?」
「いやだから、大垣藩は脱藩した」
「だっ…えっ?なんで?」
「…そもそも剣術の大会なんかで勝ったのが良くなかったんだなあ。先生、先生と呼ばれるのは性に合わん」
あまり出世欲のない永倉も、この言い草にはさすがに飽きれてしまった。
「正気かあんた?ちゃっかり長男に収まって、せっかく士官の道も約束されたってのに、いったい何が不満なんだ。え?言ってみろ。何が気にいらねえ?」
島田は永倉新八よりずいぶん年上だが、まるで叱られた子供のように縮こまってボソボソと言い訳をはじめた。
「不満てわけじゃないんだが、どうにもこう、収まりが悪いと言うか…つまり向いてないんだな」
「向いてる向いてないの問題じゃ…イミが分かんねえ…。おれは、昔っからあんたの無私無欲なところを尊敬していたが、素で損得勘定が出来なかったとはな!てか、じゃあ今は何やってんだ?」
「いやまあ、京に出てくれば何とかなるかなと思ったんだが、今んとこ、ただブラブラ…」
「ケッ!それでも朝っぱらからこんな店で飯が食えるんだからいいご身分だぜ」
永倉は膳に叩きつけるように盃をおいた。
タン!という音に、気を失っていた阿部慎蔵がびくっと体を震わせる。
それまで二人の会話を黙って聞いていた原田が、神妙な面持ちで身を乗り出すと、ポツリとつぶやいた。
「んじゃ、ウチくる?」
島田はとたんに背筋を伸ばすと、永倉と原田の顔を交互に見た。
「え?いいの?」
「いいよな?」
原田も永倉の顔を覗き込んだ。
永倉は土方の派閥拡大路線に加担するようで気がすすまなかったが、この大きな子供のような男を放っておくわけにもいかず、渋々同意した。
島田魁が、二人の代金を立て替えさせられたのは言うまでもない。
「しかしあの芹沢鴨といい、お前って無駄に顔だけは広いよな」
屯所への帰路、原田はあらためて永倉をしげしげと眺めた。
「ああ、ありがとよ!」
永倉はまだ機嫌が悪いらしく、無愛想にこたえた。
しかし、原田の言うとおり、永倉新八という男の交友関係には、なかなか興味深いものがあった。
試衛館で食客となる以前の永倉は、神道無念流という大流派で多くの門徒たちと剣を交え、あちこちで道場破りまがいの荒っぽい他流試合をこなして研鑽を積んだのだという。
なりゆき、その修行時代を通じて数多くの猛者たちと交誼を結ぶことになった。
そして今や、かつての同門やライバルたちも、動乱の時代に触発されて次々とこの京へ上ってきている。
水戸派の芹沢鴨や野口健司、この島田魁にしてもそうだ。
新見錦が執拗に彼を自陣に引き込もうとしたのは、永倉自身の腕もさることながら、その幅広い人脈を手に入れたかったからだった。
そしてもう一人、永倉はまだ知らなかったが、彼が出会った中でも最強の剣士が、すでに京の地を踏んでいた。
誰あろう、あの仏生寺弥助である。
※阿部さんの縁者の方がこれ見ませんように。
ごめんなさい。




