疑獄の爪跡
「さっきの男。何者だか知っているのか」
佐伯又三郎と連れ立って三条通りを歩きながら、斎藤一が訊いた。
「ふふ、アレがとち狂ったのには、ちょっとした訳があってな」
どうやら、都の裏事情なら何にでも通じているらしい。
しかし斎藤は小さくかぶりを振った。
「そっちじゃない。派手な羽織を着ていた中村とかいうのがいたろう?」
「…さすが、達人は達人を知るっちゅうやっちゃな」
佐伯は訳知り顔で応えた。
「ありゃ有名な薩摩の『人斬り半次郎』や」
「…そういう裏稼業の人間には見えなかったが。青蓮院宮の衛士なんだろう?」
「ああ。京洛でも五本の指に入る剣士やからな。中川宮(青蓮院宮)の護衛に薩摩が貸し出しとるわけや」
青蓮院門跡は、その中川宮が門主を務める天台宗の寺院である。
二人が騒ぎに巻き込まれた五軒町からもほど近い。
中村半次郎らは、そこから駆けつけたのだろう。
「中川宮といえば、公武合体を標榜する公卿の親玉だろう?なぜそれを薩摩の人斬りが護衛してる」
天皇が国家の意思決定における最高責任者であるとする「尊王攘夷派」に対して、朝廷と幕府が力をあわせて国家体制を強化すべきというのが「公武合体派」の言い分だ。
この二つの方針は、一見矛盾しないようにも見えるが、実際は、武家社会も、朝廷内も、この二派が鋭く対立していた。
幕府が推し進めているのは、もちろん公武合体策の方で、
その最たる例が、この前年に行われた「和宮降嫁」である。
徳川幕府、第十四代将軍の徳川家茂と、先代、仁孝天皇の第八皇女、和宮の婚姻は、前代未聞にして、空前絶後の国家的大イベントだった。
悲劇の皇女として有名な和宮は、公武合体の象徴的な存在というわけである。
そして、件の中川宮こそ、朝廷における公武合体派の実質的トップと目される人物だった。
佐伯又三郎は面白くなさそうに、中村たちが去っていった方角を見やった。
「三月ばかり前に、横浜で島津公(実際は薩摩藩主の父、久光)の大名行列を横切ったイギリス人が無礼討ちされた事件を覚えとるか?
あれから、薩摩はすっかり尊王攘夷派の主役に祭り上げられてもうたが、ここんとこ世間の風評にピリピリしとるねん。
どうやら、そういう目立ち方は、お殿さんの本意やなかったみたいでな。
そやから、人斬り半次郎を差し出したのも、攘夷派に敵対しとる公家に取り入るための一手やないか…てのが、わしの見立てや」
「つまり公武合体の守護者たれというわけか。ならば、やはりただの人斬りではあるまい」
斎藤は、なにごとか考える風に、その薄い唇を人差し指でなぞった。
中村半次郎という男に俄然興味を引かれたらしい。
「かもな。朝廷で幅を利かせとるお公家さんに傍仕えさせるなら、無骨一辺の男は選ばんやろ。なんせ、この四月には身内の不満分子を皆殺しにしてまで、お上への服従を示したくらいや。今さら後に退けん薩摩としちゃ、どんな小ちゃな情報でも知っときたいはずやしな」
「…それは寺田屋の一件のことか」
「さすがにそれくらいはご存じらしいな」
ここで、寺田屋の件に触れておきたい。
この当時、薩摩藩の指導者、島津久光は公武合体政策を支持していた。
しかし、世間はそんなことを望んでいなかったし、勤王色の強い薩摩藩の内部にも、それを不満に思っていた者は少なくなかった。
案の定、藩内で一部の尊王激派が暴走して、密かにテロ計画を立ち上げた。
標的は、関白・九条尚忠と、京都所司代・酒井忠義。
彼らにとって、二人はいずれも、「安静の大獄」で、全国の勤王家を弾圧した黒幕であり、幕府にすりよるため、和宮降嫁に加担した腰抜けだった。
その日、伏見の船宿・寺田屋に集まった同志らは、九条、酒井の邸宅を襲撃する具体案を練っていた。
しかしこの企みを事前に察知した島津久光は、そこへ、彼らの仲間である同じ勤王派の人間を送りこみ、計画を中止するよう説得を試みたのである。
だが、話し合いは不調に終わり、事態は最悪のシナリオを辿る。
同じ薩摩藩士であり、しかも志を同じくする者同士が、斬り合うことになったのだ。
凄惨な戦いの末、過激派は鎮圧された。
敵、味方、あわせて死者7名。
重傷者2名。
こうして、暗殺計画は不発に終わり、この苦い結末によって、事件は陰惨な幕末史の中でもひときわ悲劇的な色合いを帯びて記憶されることとなった。
これが世に名高い寺田屋事件のおおまかな顛末である。
ところが。
この事件にはもう少し複雑な裏事情があった。
そもそも、関白・九条尚忠と、京都所司代・酒井忠義を標的として選んだのは、彼ら薩摩藩士ではなかった。
元はといえば、中川宮(青蓮院宮)の令旨によって、この二人が名指しされていたのである。
「令旨」とは、皇族からの指令文書のようなものだ。
文書によれば、中川宮は、二人を逆賊と断じ、誅せよと指示している。
同志たちはこれを信じて集い、決起しようとしたのだった。
しかし、
さらに不思議なことに、ことの発端となったはずの「青蓮院宮の令旨」なるものは、この世のどこにも存在しなかった。
なぜなら、この事件にはもう一人、最後まで表に顔を出すことのなかった、黒幕がいたからである。
男の名は、清河八郎。
稀代の策士であるこの清河八郎が、中川宮の名前を勝手に使って令旨をでっち上げ、同志を集めたのだ。
しかも清河は、なぜか決起に参加することなく、計画の途中で姿を消している。
こうした成り行きで、 薩摩藩は、知らぬうちに中川宮(青蓮院宮)に大きな借りをつくる形となってしまった。
中村半次郎のような腕ききを護衛につけたのは、
公武合体派の支柱である中川宮の命を護るとともに、清河のように怪しげな連中を周辺に近づけないための警戒も兼ねていたのかもしれない。
いずれにせよ、このときの清河八郎の目論見は外れたわけだが、その手法は、後にある組織の結成に生かされることになった。
それが「浪士組」、あの新選組の前身である。
つまり、寺田屋事件には、浪士組のプロトタイプともいうべき側面があった。
そしてこの浪士組の結成が、この後、斎藤一と佐伯又三郎、二人の運命を大きく変えていくことになる。
しかし、それはもう少し先の話である。
今の佐伯にとって、清河の野望などは他人事である。
彼は、先ほどから喉の奥に引っかかっていた話題を持ち出した。
「ところで、さっきあんたにノされた男やけどな。柴山弥吉いうて、その寺田屋事件を、鎮圧した側の薩摩藩士や」
「あの事件の関係者か」
これには斎藤もすこし驚いて、佐伯はしたりと口元を弛めた。
「あれな?薩摩が同士討ちをやらかしたちゅうて世間は騒いどるが、実はまだその続きがあるねん。
首謀者の真木和泉は、久留米藩の人間でな。
ほんでもう一人、主犯格に田中河内介ちゅう浪人がおった。
これが二人とも、朝廷から官位を貰うとる、一廉の人物ちゅうやっちゃ。
薩摩としちゃあ、捕まえたはええものの、あだやおろそかに扱えん。
そんなこんなで、真木はあの後、久留米藩に引き渡されて、国許で謹慎。
けど、おんなじ官位もちでも、田中は浪人やったから引き取り手があらへん。
持て余した薩摩は、寺田屋の裏からこっそり船に乗せると、沖へ出て斬らせてしまいよった。
亡骸は、そのまま海に捨ててしもたらしい。
田中河内介なんちゅう男は、最初から居らんかったことにしたんや」
「…不憫な」
斎藤は、その話にも、それを面白そうに話す佐伯にも、吐き気を覚えた。
しかし、そうした心情を理解できない佐伯は、ここからが面白いのだという風に、人差し指を立てた。
「その時、手を汚したんが、さっきの柴山や。自責の念にかられて、とうとうおかしなってしまいよった」
「やけに詳しいんだな」
斎藤の返事は、素っ気ない。
「噂や。うわさ」
佐伯はそう言って、またクツクツと嗤った。