狼たちの午前中 其之参
一刻ほどのち。
永倉新八と原田左之助は先斗町にある老舗料亭の座敷に胡坐をかいていた。
原田はやけに立派な店構えに気後れしたのか、凝った造作の欄間や、床の間に掛かるイワクありげな山水画にオドオドした視線を泳がせながら、永倉の肩を揺すった。
「おいおい、朝からヤケ酒もいいが、ここはマズいんじゃねえの?金はあるんだろうな」
「バーロー!あったら、てめえなんか誘うかよ!」
永倉は窓から望む鴨川の景観にご満悦で、すでに四本目の酒に口をつけている。
それを聞いた原田は青ざめた。
「…おまえなあ、だったら誘う相手を選べ!」
「ケッ、ビクビクすんな、みっともねえ!じゃツケで飲みゃいいんだよツケで!」
永倉はすっかり気が大きくなっている。
この状況では自分が最後の砦なのだという現実に直面して、原田は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「てかココ、一見の客がツケなんか利くのかあ?」
「う~るせえ!飲まなきゃやってられっか!ツケがダメなら食い逃げでも何でも…」
原田は泡を食って、永倉の口を押さえつけた。
「こ、こ、こ、声がデケエ!!こいつ、意外とタチが悪いな。こういうのを不逞浪士って言うんじゃねえのか?」
そう原田がボヤいたのと、部屋の外から仲居の叫び声が聞こえたのがほぼ同時だった。
「食い逃げ!食い逃げや!誰か、捕まえて!」
「…おいおいおい、ずいぶんと気の早い店だな!ひゃひゃひゃ!」
永倉が澱んだ目で原田に目配せをしたとき、
勢いよく障子が開いて、見るからに貧乏そうなナリの浪士が座敷に飛び込んできた。
「うわあ!」
二人は身構えたが、
「邪魔して悪いな」
闖入者は二人の膳を跨いで素通りすると、鴨川に面した出窓に飛び乗った。
「…あれ?ひょっとして、食い逃げってのは、あんたか?」
原田は、いぶかしげに目を細めた。
男はすでに窓の手すりへ片足を掛けていたが、二人を振り返るとクドクド言い訳を始めた。
「その呼び方はやめてくれ!俺は皿洗いでも何でもして払う気はあったんだ!だが、あの使用人ときたら思った以上に融通の利かなねえ女でなあ。なんでだか、結果的にこうなっちまっただけだ」
とても他人事とは思えない原田は、同情を浮かべながら窓の外を指さした。
「そりゃまあ、お気の毒さまだが、そんなとこから飛び降りたら、あんた死んじまうぜ?」
原田の言うとおり、その部屋は川べりの二階にあって、土手の高さを加算すれば、直下の川岸まで優に四間(約7.2M)はあった。
「おお、なんてこった!」
浪士は下をのぞきこんで、絶望の声を漏らした。
部屋の外からは、
「俺に任しといてください!」
と、なにやら野太い声が聞こえてくる。
どうやら腕自慢の客が、泥棒退治を買って出たらしい。
貧乏浪士は腹を括ったらしく、もう片方の脚を窓枠にのせて決死のダイブを決行する体勢を整えた。
「あんた方も同類の匂いがするから、田舎者の誼で最期に忠告しといてやるよ。都はおっかないとこだぜ。俺ぁ洛北の賭場で身ぐるみ剥がされてなあ。とうとう刀まで取り上げられちまって、この体たらくだ。ま、せいぜい気をつけな」
永倉と原田はどう応えればよいか分からず、ただ複雑な笑みを浮かべるしかなかった。
金があれば、この気の毒な男を救ってやることも出来るが、このままでは次に飛び降りるのは自分たちだ。
「さっきから気になってたんだが、あんたの顔、どっかで見た気がするんだよなあ」
原田がそう言ってこめかみを指で押さえたとき、入り口の障子を開けて六尺もある大男がノッソリ入ってきた。




