狼たちの午前中 其之壱
京洛に散在する寺院のあちこちでツツジが赤い花をつけるころ。
京都守護職、松平容保との謁見を無事に終えた近藤勇たち壬生浪士組は、市中警護という職務に勤しむ一方で、新しい隊士を募ることになった。
松平容保は、京に残ることを選択した彼らの心意気を称えたのち、こう申し渡した。
「会津藩士たちと力を合せて、王城(京)にはびこる奸賊どもを掃討せよ」
そもそも、京都守護職に就任した当初の容保は、比較的穏健な方法で京の治安回復を図ろうとしていた。
荒れ狂う浪士たちの意見を真摯に聞き、彼らを京の治安維持組織に取り込もうとさえしたほどである。
しかし、近藤たちが京に着いたその日、
例の木造梟首事件が起こり、それと前後して、公然と徳川将軍家を批判するような者も目に付くようになってきた。
ここにきて、その方針も大きな転換を余儀なくされている。
かくして壬生浪士組は、京の町に血の雨を降らせることになった。
彼らが京の人々から「ミブロ」などと呼ばれ出したのも、この話と無関係ではないだろう。
「ミブロ」には、一説に「壬生“狼”」の文字を当てるものもあり、つまり単なる略称ではなく、
多分に嫌悪や侮蔑を含んだ呼び名なのだ。
将軍の警護に身を捧げた浪士たちの側に立てば、割に合わない話である。
しかし、山南敬介と土方歳三にとっては、世間の風評よりも隊内の派閥闘争が目下の悩みだった。
芹沢一派が八木家の母屋に移って以来、離れでは芹沢たちの耳をはばかる必要もなくなり、朝晩の食事で交わされる話題はそればかりになった。
「気に入らねえ」
土方歳三は、今ひとつ馴染めない白っぽい味噌汁に視線を落として不機嫌に言った。
「なにが?」
山南敬介が隣に腰を降ろしながら、土方の椀を覗き込む。
「あの秋月と広沢って奴らさ。ずっと芹沢の方を向いて話しやがる」
土方を不機嫌にさせている秋月悌二郎と広沢富次郎とは、京都守護職・松平容保の側近である。
二人は「会津藩公用方」という役職にあって、容保を補佐し、外部との折衝役を務めている。
このため、藩の窓口として浪士組の面倒をみることになったわけだが、初めて顔を合せたときから、芹沢を浪士組の代表者として扱うことに何の疑いも持っていなかった。
土方には、それが気に食わない。
「言わせてもらえば、容保公だってそうだ」
謁見の様子を思い出して、土方は苦々し気に呟いた。
金戒光明寺での初お目見えは、容保の問いかけに芹沢が応答するというかたちに終始した。
容保としては、単に編成表の冒頭にあった名前を呼んだだけかもしれない。
が、近藤をないがしろにされたようで、土方にはやはり面白くなかった。
もっとも、それは本来口にすべき不満ではない。
「おいおい」
山南は、失言を軽く嗜めたものの、土方が焦る気持ちも理解できた。
容保公のお目見えが叶って以来、芹沢鴨がなし崩しに「筆頭局長」に収まったことで、この組織の対外的な顔と見做されるようになった。
それを 歯がゆく思っているのは山南も同じだ。
「なんと言っても、芹沢さんのご実家は水戸徳川家の家臣だ。会津藩が彼を重んずるのも致し方あるまい。が、あの連中なら、放っておいてもいずれボロを出す。大事なのはわれわれが不祥事に巻き込まれないことだ」
それは、山南がここ数日あれこれ考えた末の結論だった。
この頃、試衛館グループの中には、なんとなく役割分担のようなものが出来つつあった。
山南が知恵を出し、土方が策を練って、近藤が決定を下す。
別にそうした取り決めをした訳ではないが、なぜかそのスタイルがこの三人にはしっくりきた。
しかし今回の消極案には、土方が納得するはずもなかった。
「山南さん、黒谷の本陣(金戒光明寺)を出たときの新見の得意げなツラに気づかなかったとは言わせねえぞ?まったく、クソいまいましい限りさ。あいつらが下手を打つまで悠長に待ってられっかよ!」
もちろん、かと言って、芹沢が浪士組の全権を掌握したわけではない。
依然として芹沢、近藤両派の力は拮抗しており、さらに第三の派閥、殿内義雄らも勢力拡大を狙い隊士を集めている。
幸いなことに、殿内派の活動はあまり上手くいっているとは言えなかった。
頼みの綱である根岸友山が早々に離脱をほのめかしているからだ。
芹沢、近藤の独断専行に腹を立てたのが原因とも言われるが、もともと殿内の下につくこと自体、面白くないのだろう。
根岸友山は、最大の勢力を率いて浪士組に参加していたから、離脱が現実になれば、殿内派は大きく戦力を削がれることになる。
つまり、土方と新見の企みは、ジワジワと功を奏していた。
山南と差し向かいに座る近藤勇は、嫌でも二人の会話が耳に入る。
自分の力不足を責められている気がして、妙に居心地が悪い。
「…それより、昨日飲みにいった店の菊尾ってのが、いい女でなあ」
なんとか話を逸らそうとしたものの、土方には通用しなかった。
「かっちゃんは、いや、近藤さんは悔しくないのかよ?!」
近藤は畳に後ろ手をついて、観念したように大きく息を吐いた。
「…そりゃまあ、こうも扱いが違うもんかと正直堪えはしたがね。だからといって、生まればかりはどうしようもねえだろ?ま、コツコツと信頼を勝ち取っていくさ」
彼はこれまでの人生において、イヤというほど封建社会の理不尽に晒されてきた。
ある種、茫洋とした人物に見える近藤勇も、やはり出自に対する根深いコンプレックスを抱えていた。
土方は、口元を歪めて皮肉った。
「ずいぶん気の長いこって。そんなんじゃ、お殿さんに声をかけてもらえる頃にゃヤギ髭のジジイになってるかもな」
近藤も次第にイライラを募らせて、豆腐にハシを突き立てると応戦した。
「ああ面倒くせえ!じゃあどうしろって言うんだ?!」
「知れたことだ。奴らを引きずり降ろしてやるのさ」
土方は片目をつぶって見せる。
近藤は呆れ顔で肩をすくめると、助けを求めるように一座を見渡した。
が、土方の物騒な思いつきに、あえて異を唱える者もいない。
気不味い沈黙のなか、部屋にはカチャカチャとハシを動かす音だけが響いた。
黙々と飯を食べ終えた永倉新八が、やおら立ち上がった。
「よっこらせっと」
無言で出て行こうとする永倉の背中に土方が声をかけた。
「どこに行くんだよ」
「仕事だよ、しーごーと!おれ達のお役目は部屋にこもってコソコソ謀を巡らすことじゃねえよなあ?市中見回りってやつに行ってくらあ」
仏頂面で振り返った永倉は、そう言い捨て、ピシャリと襖を閉じた。
「フン、ありゃ武士の鏡だね。忠勤ごくろうなこって」
土方は小馬鹿にしたように、襖へ毒づいた。
近藤は、土方の口の悪さにあきれて山南の顔を見やった。
「チェッ、何とか言ってやってくださいよ」
山南敬介は、焼き魚の骨を器用に取り除きながら、近藤の顔を上目遣いに見つめ返していたが、やがて顔を上げ、きっぱりと言い切った。
「悪いが近藤さん、私も芹沢さんや殿内さんの下で働く気はありませんね」
「それみろ」
土方は勝ち誇ったように言って、茶をすすった。
山南は思わず苦笑いを漏らしながらも、しっかり釘を刺すことも忘れなかった。
「だが土方さん、ものごとには順序がある。殿内さんの件をなんとかするまで、少なくとも表面的には芹沢さんたちと友好関係を保っておいた方がよかろう」
「もちろん。分かってまんがな!」
土方はニヤリと笑って、覚えたての関西弁でおどけて見せた。




