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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
抗争之章
73/404

群れの序列 其之壱

八木秀二郎(ひでじろう)は、壬生郷士みぶごうし嫡男ちゃくなんとして剣術をたしなんでいる。

わざわざ、「たしなむ」などともったいぶった表現をしたのは、まさにその通りの意味で、あまり荒っぽいことが好きではない彼は必要最小限の作法さほうさえ覚えれば充分だとたかをくくっていたからだ。


三月のある日、道場から帰った秀二郎は、門柱にかかげられた「壬生浪士組屯所みぶろうしぐみとんしょ」の看板をいまいましげにながめながら、わが家の門をくぐった。

秀二郎は機嫌が悪かった。

その日の稽古けいこは想像を絶するきびしさで、いくらも年の違わない剣術師範けんじゅつしはんは虫の居どころでも悪かったのか、秀二郎を散々にしごいたうえ、

「日々の修練しゅうれんが足らん」と一喝いっかつしたのだ。

師範しはんはもともと無愛想ぶあいそうな男だったが、なぜ今日に限ってことさら厳しくされたのか、秀二郎にはわけがわからなかった。



そんなわけでグッタリしながら玄関口までたどりつくと、しゃくさわることに、ここのところちょくちょく見かけるようになったゆうという町娘まちむすめが庭先で井上源三郎から剣の手ほどきを受けているのが目に入った。

井上は、秀二郎の姿に気づくと、いかにも人の良さそうな笑顔でぺこりとお辞儀じぎをした。

秀二郎は腰の座らないゆう素振すぶりを見てため息をもらすと、近づいていって二人に声をかけた。

「毎日ごくろうさんですなあ。庭に道場でも建てはったらどないですか」

「なるほど、そりゃ思いつかなかったなあ。庭に道場ね、庭に道場か。うん、そいつは妙案みょうあんですなあ」

井上は何度もその言葉を繰り返して、しきりに感心している。

この連中には皮肉ひにくというものがまるで通じないらしい。

ゆう邪魔じゃまをするなという目つきで秀二郎をにらみつけて、井上をかした。

「源さんて!そんなんええから、はよ教えて。次はなにしたらええん?」

この厚かましい闖入者ちんにゅうしゃも、秀二郎の平穏へいおんな生活をおびやかす元凶げんきょうのひとつだ。

しかし、どうしたわけか母のまさはすっかりこの娘を気に入っており、父の源之丞げんのじょうときた日には、若い娘は例外なくいつでも大歓迎だいかんげいだったから、今ではわがもの顔で家に出入りする始末だ。


秀二郎には、この浪士組という組織の性質と、目の前でニコニコしながら下手くそな剣術指南けんじゅつしなんをする井上源三郎という男が、どうしても結びつかなかった。

そもそも京都守護職きょうとしゅごしょくは、こんな怪しげな連中になにをさせようというのか。

京をとりまく状況は、将軍の上洛じょうらく前よりさらに不穏ふおんさを増しているというのに。


このころ、京を去った清河八郎と入れ代わるように、薩摩の前藩主、島津久光が入京した。

島津久光は、将軍後見職しょうぐんこうけんしょくの一橋慶喜や、政事総裁職せいじそうさいしょく松平春嶽まつだいらしゅんがく(越前藩主)、前土佐藩主の山内容堂やまのうちようどうらとともに、幕府の威信回復いしんかいふく、つまり公武合体こうぶがったいの実現にむけて中心的な役割を果たしてきた。

しかし、今回の上洛じょうらくはやや遅きにしっした感がある。

すでに朝廷と幕府の話し合いは、攘夷じょうい決行の期限を五月十日とすることで決着してしまった。

春嶽などは、はやくも見切りをつけて総裁職の辞任じにんを表明している。

政事総裁職は、春嶽を幕府の要職ようしょくにつけるためにわざわざ新設されたポストだったから、公武合体派がいかに行き詰っているかが分かろうというものだ。


対して朝廷側は、三条実美さんじょうさねとみ姉小路公知あやのこうじきんともという二人の若き公卿くぎょう台頭たいとうして、強行に尊皇攘夷そんのうじょうい路線をし進めていた。

将軍徳川家茂(いえもち)に攘夷決行の期限を無理やり飲ませたのも、この二人の力によるところが大きい。

若い二人がなぜそれだけの力を持ちえたかは明白だった。

三条・姉小路のバックには長州藩の影がつねにチラついている。

もちろん長州にとっても、朝廷内に彼らのような代弁者だいべんしゃを得たことは大変なメリットだ。

京における尊攘派のいきおいは、もはやとどまるところを知らない。


しかしいずれが優勢ゆうせいにせよ、京育ちの秀二郎にとっては、入れ代わりたち代りやってくる他所者よそもの土足どそくで家の中をみ荒らされているようで面白くない。

彼の家に居候いそうろうしているムサ苦しい連中は、まさにその象徴しょうちょうだった。


そして、近頃の彼らの浮かれっぷりは、秀二郎をさらに苛立イラだたせていた。

原田左之助の話によると、なんでも正式に会津藩預かりが決まったらしい。

明日にも金戒光明寺こんかいこうみょうじ京都守護職きょうとしゅごしょく挨拶あいさつに出向くのだそうだ。


この日も、会津公のお目見めみえに先立ち、組織内の序列じょれつを決めるとかで、離れでは朝から喧々諤々(けんけんがくがく)の会議が行われている。

井戸で顔を洗っていた秀二郎はれ聴こえる怒声どせいを聞いて、

「ここにいたってなお、権力闘争けんりょくとうそうに明け暮れる幕閣ばっかくを、さらに矮小化わいしょうかしたような連中だ」

陰鬱いんうつな気分にさせられた。


「なんや朝から離れのほうは、えらいさわがしかったけど、もう決着はついたんですか。」

秀二郎は井上にたずねてみた。

井上は、ゆうの竹刀のにぎりを矯正きょうせいしてやりながら、首をひねった。

「さあねえ。まだみんな出てきませんねえ。あたしゃその、どうも役職とかには縁遠えんどおくて」

秀二郎は、「そりゃそうだろう」と言いたいのをぐっとこらえて、

「やはり芹沢さんか近藤さんが頭に立たはるんでしょ?」

と言い方をかえてみた。

「どうかなあ。まあ、そうなんでしょうなあ」

井上はやはり気のないようすで、正眼せいがんに構えさせたゆう剣先けんさきの位置を調整している。

秀二郎は、「ダメだこのオヤジは」と、のどまで出かかった言葉を飲み込んで、

「そやけど、ちょっと気になってることがあるんですけど」

と話題を変えた。

「なんだい?」

ゆうに竹刀を振りかぶるよう、身振みぶりで指示しながら井上がたずねた。

「今日、みなさんの役職をどうするか話し合うたはるんでしょ」

「そうみたいだねえ」

「たしか、中村小藤太なかむらことうたさんのお宅にも、何人かこっちに残らはった浪士の方がおったやないですか。あの人らは来たはらへんみたいやけど、かまへんのですか」

井上はしゃがんでゆう右脚みぎあしの位置をずらしていたが、

そう言われて、初めて殿内とのうちらの存在を思い出したようだ。

「あ」

ふと動きをとめて井上がつぶやいたのと、ゆう竹刀しないがその頭上に勢いよく振り下ろされたのがほとんど同時だった。


「あ!ごめ~ん。つい!」

ゆうは、ふき出しそうになるのを必死にこらえて、井上の頭をさすっている。

頭を抱えてうずくまる井上を見て、秀二郎はこれ以上この人と話しても時間の無駄むだだと見切りをつけた。


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