別離 其之肆
そうこうするうちに、新徳寺には続々と浪士たちが集まってきた。
やがて、近藤勇、芹沢鴨らも、三番組の一行と連れ立って境内に姿をあらわした。
江戸へ引き返す浪士たちの群れをまるで威圧するように見渡す芹沢に、近藤が腑に落ちない顔でたずねた。
「芹沢さんが見送りに来るとは思いませんでしたよ」
「俺はこう見えてけっこう義理堅いんでね」
芹沢はそう応えたものの、すぐに薄笑いを浮かべて前言をひるがえした。
「…てのはウソで、あの野郎を捜しにきたんだ」
「あの野郎?」
「ほら、大津宿で俺たちともめた線のほそい男がいただろ」
芹沢が言っているのは、男装して浪士組に紛れ込んでいた中沢琴のことである。
近藤は、すでにその正体を知らされていたから内心苦笑いしたが、もちろん事実を話す気はなかった。
「あ、ああ。まだ根に持ってたんですか」
「あ?ちがうよ。あいつはなかなか見所があると思ってよう。俺たちの方へ引っぱってこれないかとね」
芹沢はごった返す浪士たちの顔をひとり一人検分しながら、なにやら流行り歌のようなものを口ずさんで、手にした大鉄扇で自分の肩をコツコツと叩いている。
「♪いざさらば、我も波間にこぎ出でて、アメリカ船を打ちや払わん♪」
近藤はなんとなく落ち着かない心持ちになって、隣にいた土方歳三の袖を引いて耳打ちする。
「そういや、お琴さん、見当たらないな」
土方は、煩わしそうに近藤が耳元に添えた手を振り払い、
「んなこたあ、どうでもいいから、お偉いさん方にちっとは愛想を振りまいとけ」
と、本堂の前に立つ佐々木只三郎を指差した。
土方のみるところ、佐々木は近藤勇という男を買っている。
幕臣である佐々木とよしみを通じることは、必ず今後何かの役に立つはずだった。
「なにもそこまで…」
近藤はなにか言い返そうとしたが、土方に睨みつけられて渋々従った。
「…へいへい」
佐々木只三郎に歩み寄ると、近藤はつとめて礼儀正しく声をかけた。
「佐々木様、道中お気をつけて」
佐々木はあい変わらず豪胆な物腰で近藤の手をとり、荒っぽくふり回した。
「お見送り、痛みいる。君らとは色々意見の食いちがいもあったが、尽忠報国の志を同じくする仲間であることに変わりない。あとを頼む」
しかし、近藤がそれに応える間もなく、芹沢鴨が割って入った。
「ふん、任しときなよ」
佐々木は芹沢をひと睨みしたが、すぐに近藤に向き直ると、まるでそこに芹沢がいないかのように話を続けた。
「近藤さん、ひとこと忠告しておく。薩摩には気を許すな。今は幕府に恭順するかのような姿勢を示しているが、島津公は参政への野望を捨てたわけじゃない。奴らの動きには常に目を光らせておくんだ」
「ええ」
近藤は重々しくうなずいた。
体面を汚され、そのやりとりを不機嫌に見つめていた芹沢が、鉄扇を開いて二人の間を遮った。
「おいおい、佐々木さん、まだ分かっちゃいねえようだな。もうあんたは俺たちにあれこれ指図できる立場じゃねえんだよ。命令するのは俺だってことを忘れんな」
三人の不穏な空気を察して駆けよってきた土方が、芹沢に詰め寄った。
「いい気になるなよ。もう俺たちまで従えてる気分になってるんだとしたら、少々気が早いぜ」
芹沢はそれを無視して、大鉄扇をパチンと閉じると近藤の胸先に突きつけた。
「この浪士組をまとめるのに誰が相応しいかは、自ずと周りが決めてくれるさ。会津のお歴々は、あんたと俺、一体どっちを大将と認めるかな」
近藤はそれに応える代わりに、ある疑問を口にした。
「芹沢さん、私は最初から不思議に思ってたんだが、なぜあなたは、清河さんについていかないんですか」
「どういう意味だい」
芹沢はうろんげに問い返した。
「なぜと言って、清河さんがやろうとしてることは、芹沢さんのいた天狗党の言い分とほぼ同じじゃあないですか」
「別に。野郎のわけ知り顔がムカつくから逆らったまでさ。清河みたいにコソコソ策を弄して事を運ぶのは性にあわねえ」
「ふうん」
近藤はそう言ったきり黙り込んでしまった。
「俺はな、この際色んなしがらみを断ち切りてえんだ。これからは好きにやらせてもらうぜ」
芹沢は、値踏みするような近藤の視線を真っ向から睨み返し、言い放った。
それを聞いても、近藤の顔にはなんの感情も表れない。
佐々木只三郎は、傍若無人にふるまう芹沢よりも、むしろこの近藤のほうに恐ろしさを覚えた。
しかし、土方は黙っていなかった。なおも芹沢に食らいつく。
「そうはいくかよ。会津がなんと言おうが関係ねえ。俺は…」
「もういい、歳。やめとけ!佐々木様、お見苦しいところをおみせしました」
近藤は強引に土方の腕をつかむと、引きずるようにして、試衛館の仲間たちの輪へ戻っていった。
芹沢はすっかり拍子抜けして頭をかいた。
「なんだあいつ。あれで納得したのか」
佐々木は、この分では先が思いやられるという風に首を振ってから、芹沢に向きなおり、声を押し殺してささやいた。
「お山の大将気取りも結構だがな、同じ『サムライ仲間』としてひとつ忠告しといてやる。あの近藤勇を怒らせるな。おまえ、死ぬぜ」
近藤は仲間のところに戻ると、土方の両肩をつかんで乱暴に揺さぶった。
「おまえ、最近変だぞ。どうして芹沢さんが相手になると安っぽいチンピラみたいにつっかかるんだ」
「ちぇっ、チンピラみたいで悪かったな」
土方はうとましげに目を逸らした。
井上源三郎が二人の間に入って、近藤の肩を叩いた。
「まあまあ、近藤さん。これも歳の駆け引きってやつだよ。芹沢さんたちにとって『土方歳三』は、気が短くて後先考えずにケンカを仕掛けるような男じゃなきゃならんのさ。ねえ?もうしばらく我々も付き合おうじゃないか」
土方は決まりが悪そうに押し黙っている。
若いころから土方を知る井上にだけは、彼の巧みな遠謀術数も見透かされてしまうようだ。
「なるほど、それなら分かる。俺たちのよく知ってる土方歳三が考えそうなことだ」
近藤はそう言って、旅姿の沖田林太郎と顔を見合わせて笑った。
「どうやら出発の時間が来たようです」
号令がかかり、一番組が隊列を組んで門をでて行くのを見送りながら中沢良之助が言った。
山南は、良之助の手を握ってうなずいた。
「私は試衛館の人たちにも挨拶しなきゃならんので君は行ってくれ」
良之助は、山南の手のひらを包み込むようにもう一方の手を添えて握り返した。
「本当はわたしもみなさんと京に残りたい。清河との一件にケリをつけたら、もう一度戻って来るつもりです」
結果的にこの約束は果たされなかった。
中沢良之助は「新徴組」の一員として江戸の治安を守ることになったのは、前にも述べたとおりだ。
良之助は去り際にもう一度山南をふり返り、最後の気がかりを託した。
「それから…もし万が一、姉を都でみかけたら、山南さんからも利根へ帰るよう説得して欲しいんです」
山南は弟のように思っているこの青年を安心させようと力強くうなずいた。
「心得た。約束しよう」
そしてこれが、二人の今生の別れとなった。
※奥儀うんぬんの話は、実在の利根法神流とは関係ありません。まあ本気にする人もいないだろうけど。




