別離 其之参
と、そのとき、第三の声が沈黙を破った。
「で?結局、親父さんはそのキュウリを食べたんですか?」
良之助が驚いて声のしたほうを振り向くと、沖田総司がいつもの飄々とした佇まいで頭を掻いている。
「お、沖田!」
「いやあ、行き違いになっちゃって探しましたよ」
「聞いてたのか?いつからいた?」
「さあ。お琴さんが『しょうがないわねえ』とか言ったあたりから?」
「つまり、ほとんど大事なところは聞かれたわけだな」
山南も自分の迂闊さを悔やんだが、後の祭りだった。
「大丈夫ですよ。わたしは口が堅いから」
沖田はケロリとして言った。
「なんでここにいる?」
良之助が不思議そうにたずねると、沖田は心外そうに、
「なんでって、中沢さんにお別れの挨拶を言いに来たんじゃないですか」
と口をとがらせた。
「いつからそんな義理堅くなったんだよ。おまえのことだから、今頃は、まだ寝てると思ってたぜ?」
「ひどいなあ。いやまあ実のところ、中沢さんに、道中うちの義兄のことをよろしく頼んどこうと思いましてね。わたしも江戸を出るときに姉から頼まれてたんですよ。アレは世間ズレしてないから面倒を看てやってくれって」
近藤以下、試衛館一門は、総司を含む八名が京に残り、総司の義兄林太郎ほか三名が、本隊と共に江戸へ帰ることを選んだ。
残れば、いつまで京に留まることになるか分からない。
現状を鑑みるに、家督を継ぐ彼らには帰郷が望ましいと近藤も同意した。
実姉のミツから夫をくれぐれも頼むと申しつかっていた総司は、それなりに責任を感じているらしい。
「けど、その様子じゃあ、それどころじゃなさそうですね」
沖田は二人の冴えない顔を見て、肩をおとした。
しかし、良之助は頭を振って、
「いや、試衛館の方々には姉のことで散々迷惑をかけたんだ。私に何がやれるか分からんが、出来るだけのことはしよう」
と約束した。
沖田は微笑んで、
「ちょっと肩の荷が降りましたよ。わたしもこっちでお琴さんを見かけたら、ふんづかまえて利根に送り返しますから」
冗談めかして言ったが、その話になると途端に良之助の表情が曇った。
「いや、もし姉貴に会っても荒っぽい真似はつつしんでくれよ。おまえが相手ということになれば向こうも手加減できないだろう。大惨事になっちまうぞ」
「あはは、わかってますよ。穏便に、でしょ?」
「だがまあ、清河が江戸へ戻る以上、十中八九姉も一緒のはずだ。帰りの道中どこかの宿場で捕まえられるだろう。なんとか言いくるめて先に利根へ帰すよ」
琴が清河と行動を共にしていると信じている良之助は、その点に関してだけは楽観的だった。
山南は二人のやり取りを聞いて、やるせない表情で肩をすくめた。
「心配する家族がいる君たちが羨ましい」
良之助は、何やらあらたまった様子で山南に向きなおり、本音を漏らした。
「なにを他人事みたいに。姉はたぶん、山南さんがまだ好きなんです。本当のことを言うと、わたしも山南さんが姉を貰ってくれればいいと思っていた。そうして、江戸か、利根で所帯を持ってほしかった」
「いきなり何を言い出すんだ」
山南は少し顔を赤らめて笑い飛ばしたが、良之助の眼は大真面目だった。
「小憎らしい女ですが、それでも俺にとっちゃ大切な姉でね。叶うことなら、好きな人と一緒にさせてやりたい」
答えに窮した山南が黙り込んでしまったので、沖田がなにか茶々をいれようとしたが、そこへ(山南にとっては)救世主が現れた。
「沖田はん!」
向こうから大声を上げて走ってきたのは八木源之丞である。
「八木さん。慌ててどうしたんです」
源之丞は。沖田の背後に山南敬介が立っているのを見て、さらに興奮した様子でまくしたてた。
「あ、山南はんも一緒どすか。ちょうどええわ、ちょっと家の方へ来とくれやす」
汗だくで手をジタバタする源之丞をみれば、何か面倒ごとが起こったのを察するのは容易かった。
「山南さんは、いま大事な話の最中なんで、ご用はわたしが聞きましょう」
沖田は良之助に気をきかせて、そのまま坊城通りまで源之丞を引っぱっていった。
「なんや母屋の前に、槍やら具足やら甲冑やら、ワケのわからん荷物が運び込まれてますのやけど」
源之丞はそう言って、今度は逆に八木家の門が見えるところへ沖田の背中をグイグイ押していった。
沖田は「そんなことか」と拍子抜けしたようにヘラヘラ笑いだした。
「引き揚げる人たちから、要らないものを譲り受けたんですよ。これが結構集まりましてね。みんな、荷物になるからとか言って。自分で持ってきたくせに、いい加減なもんですよね」
「ハハ、ほんまどすなあ。いやいや、そやのうて、なんでそれが、うちに運び込まれてますのやろ。ほれ、見なはれ。こうしとる間にも、続々と」
たしかに、普段は家の周りで見かけない浪士たちが、物騒な荷物を担いで、ポツポツと八木家の門へ入っていく。
しかし、それらはすべて土方歳三が事前にあちこちへ声をかけた結果であって、彼らは好意から私財を持ち寄っているに過ぎない。
ゴチャゴチャした道具が山積みされた八木家の庭に足を踏み入れると、
沖田は満足げに腰に手をあてて、何度もうなずいた。
「あと、本隊から提灯とか槍立てなんかを残していってもらった分が少々、会津から借り受けた武器が少々ってとこですか」
「いやいや、そうやのうて!なんや、うちに逗留してる皆さんは、壬生に残らはるとか聞いたんどすけど、ほんまやろか?」
「ええ。近藤さんから聞いてませんか?」
沖田は意外そうに問い返した。
「こっちで公方様(将軍)の警護につかはるゆうのは聞いとります。そやけど金戒光明寺(会津藩が本陣をおいている寺院)の方へ行かはるとばっかり…ちゃいますのか?」
源之丞は、今にも泣き出しそうな有様だ。
「なるほど、それはちょっとした行き違いですね。あ!それはこっち、こっち!ここに立てかけといて」
沖田は目の前を通り過ぎた浪士に指示しながら、源之丞の訴えをかるく受けながした。
「ちょっとしたて…ちょっとしてるかなあ…?」
「あ、それと、あれからまた人数が増えて、離れのほうが少し手狭になったんで、芹沢さんたちだけ、母屋に移るって言ってましたよ」
沖田は悪びれない様子でとどめを刺した。
「え…ええ?!」
「まったく、近藤さんも芹沢さんも、その場の勢いでなんでも決めちゃうから、困ったもんですよ」
「そら…困るなあ…勢いで決めたらあかんなあ…」
源之丞はヘナヘナとその場にへたり込んだ。




