walls come tumbling down! Pt.2
「やれやれ、あなたの目論見が読めてきたわ」
琴は小首をかしげ、清河を睨んだ。
「そう。寺田屋での決起が失敗して、宙に浮いた軍資金がまだこの京のどこかに眠ってるはずだ。それを探ってほしい」
「バカバカしい。そんなものがあれば、とっくに薩摩が回収してる」
「かもしれんがね、決めつけるのは早計だ。たしかにあの日、寺田屋に集まった者の多くは薩摩の人間だった。しかし、考えてみろよ。実際に計画の中心にいたのは、久留米藩の真木や福岡藩の平野国臣、土佐の吉村寅太郎、それに田中河内介あたりなんだぜ」
「もうひとり、大事な人間を忘れてるでしょ」
琴は、清河の顔をあごで指した。
「ふん、まあな。わたしは資金繰りには関わっていなかったが、首謀者の一人として言わせてもらえば、仮にその金が薩摩の手に渡ったとしても、あいつらがそれを指をくわえて見ているとは思えんね」
「どちらにせよ、私の手に負える問題じゃない」
琴は茶碗から桜の花びらを指ですくいあげて、当てつけがましくそれを咥えてみせた。
清河はその様子を面白そうに眺めながら、茶碗をもった手で器用に琴を指さした。
「あんたは調べたことを手紙で知らせてくれりゃいい。あとはこっちでなんとかするさ。それに、あんたにとっても、京に残る口実にはなるだろ?」
「口実?わたしがいつ、こっちに残りたいって言った?誰にそんな言い訳が必要だっていうの」
「自分自身にさ。京に残る目的があれば、もうすこし山南と一緒にいられるだろ?今日から寺田屋に泊まれ。女将には言ってある」
琴は、清河の本意が何処にあるのかを見極めようとするように、その切れ長の目をじっとみつめた。
「…その資金が本当にあったとして、いったいそれで次は何をやらかす気?また何か企んでるんでしょ」
「それが仕事なんでね」
清河はすました顔で、また湯飲みに口をつけた。
「急に江戸へ戻るなんて言い出したのはそのため?」
「革命ってのはな、実践あるのみなのさ。こちらで政治家たちがなにを画策しようが、黒船が浮かんでるのは横浜の海だ」
「革命?」
琴は、その言葉を聞きとがめた。
「いけね、口が滑った。攘夷だったな」
清河は、わざとらしく取りつくろう。
「良之助はどうなるの?せっかく江戸へ戻っても、黒船との戦に駆り出されたんじゃ意味がない」
「そいつあ、本人次第だね。イヤだって言うなら、別に引き止めやしないよ。けどありゃあ、いっぱしの男だ。自分の死に場所くらい自分で決めさせてやりなよ」
「あの子をこれ以上あなたの側に置きたくない。良之助には道場を守るという仕事がある。それにこれは、あなたのためでもあるわ」
「どうして?」
清河は、しらじらしく首を傾げてみせる。
琴は、分かりきったことを聴くなと顔をしかめた。
「…あの子は、あなたを斬るつもりかもしれない」
「あんな若造に殺られるもんか。上手く言いくるめてやるさ」
清河の自信家ぶりに琴はウンザリした。
「そう上手くいくかしら?相手は弟だけじゃない。あなたの攘夷が口実にすぎないことは、聡い人間ならとうに勘づいてる」
清河は敢えてそれを否定しなかった。
「例えば?佐々木只三郎、それとも…山南敬介かい?ふん、気づいたところで奴らに何ができる」
清河は、その傲慢な性格ゆえに、時として他人を見くびりすぎるところがあった。
琴はムッとして、身を乗り出した。
「分かってるの?あなたは山南さんたちを裏切った!本当なら私に斬られたって文句は言えないはずよ!」
「ああ、それが正しいと思うなら、この場で斬ればいい。言ったろ?わたしはあんたを崇拝してる。あんたに斬られるなら本望だね。だが、いいか。幕府はもう死に体だ。そんなこと、あんただって本当は分かってるはずさ。あの(安政の)大獄の時にな」
琴は眉をよせた。
清河の口ぶりからは、いったいどこまでが本気なのか、はっきりしない。
「悪いけど、幕府が御終いだなんて、そんなの想像もできない」
「利口なあんたらしくもない。なんせ幕府のお偉いさん方は、外国の恫喝にビビッて、開国に異論を唱える同胞を殺したんだぜ?そんなもんは、もう国家の体を成してるとは言えねえだろ。浪士組がこのまま、幕府にブラ下がってるつもりなら、遅かれ早かれ山南も死ぬ」
琴は勢いよく立ち上がって、声を荒げた。
「山南さんだって、このままでいいなんて思ってない!だから、こんなところまで来たんじゃない!そうさせたのは、あなたでしょ?」
「だったら、最後までわたしを信じるべきだったんだ。山南は、寺田屋でしくじった真木和泉や田中河内介とおなじ轍を踏もうとしてる。あの時だって、わたしは忠告した。止めておけとな。彼らは手を組むべき相手を見誤ったんだ。蜂起が失敗するのは自明だったのに。だが一つ、はっきりしたのは、薩摩の盟主島津久光って男は、信ずるに値しないってことだ。ヤツと組んで公武合体策に賭けるなど、わたしに言わせりゃ下策の極みだね」
「言ったでしょ。あなたの政論なんて興味ない」
「ああ。でもあんたの山南さんには、大いに関係あるぜ?薩摩が手のひらを返せば、浪士組を預かる会津は一巻の終わりだ。あの男があんなならず者集団に埋れて死んでいくのは、わたしも見たくないね」
琴は冷ややかに清河を睨みつけた。
「他人の心配より、自分の身を案じたらどう?虎のシッポにばかり気をとられて、後ろから狼に噛みつかれないことね。恩着せがましいことは言いたくないけど、京に来てから、もう三度はあなたの命を救ってる」
「ほう、そりゃ知らないうちにずいぶん世話になったもんだ。ま、心配には及ばんよ」
「別に心配する義理もないけど。これ以上、弟を厄介ごとに巻き込まないで」
清河は幻想を打ち砕かれたとでも言うように、大袈裟なため息を漏らした。
「おお、なんてこった!これだけ熱弁を振るって、その感想がそれか?いくら剣の腕が立つといっても、しょせん、これだから女は…」
「悪い?だって…あなたが通りすぎた後には、いつだって死者が累々と横たわっている」
琴の表情が暗く沈んでいくのを見て、清河はふざけるのを止めた。
「ああそうだな。最近じゃもう、怖くて振り返ることもできないね」
その怜悧な眼差しに、ふと暗い影が射す。
米国総領事通訳のヒュースケン暗殺、
寺田屋事件、
そして、浪士組結成。
これまで彼の大いなる野望に巻き込まれて命を落とした者の数は、両手の指では足りなかった。
「それでも、まだ続けるって言うの?」
「他にやることもないんでね」
「あなたの自尊心はもう充分満たされたでしょ?どうして、そうまでする必要があるの?これは、愛する人を奪った相手への復讐?」
琴は自ら口にした言葉にハッとして、恥じいるように押し黙った。




