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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
64/404

二人だけの世界 其之弐

「驚いたな。この綺麗きれいなお嬢さんが用心棒ですか。清河さんは趣味がいい」

仏生寺は笑いながらも、その実、琴の力をはかっている。

側女(そばめ)みたいに言わないで」

琴は脇に構え、うわさに聞く仏生寺の「不敗の上段」にそなえた。

彼が腕を振り上げたとたん、空いたわき腹を横になぎ払うという牽制けんせいだ。

「ほう。なかなかさまになってる。少なくとも素人じゃないらしい。さっきから気になってたんだが、お嬢さん、きみ、どこかで会いましたか」

琴は、無言のまま小首こくびをかしげて見せた。


「剣をかじったご婦人が、うでを試してみたくなるのも分からなくはない。けど、やめておきなさい。わたしはこの通り小柄だが、上段からの面打めんうちが得意でね。ほとんどはずしたことがない。あなたの美しい顔を真っ二つにするなんて考えただけでゾッとする」

琴は返事の代わりに、仏生寺の目を見すえたまま刀を握りなおした。

仏生寺は深いため息をついた。

「やれやれ、あなたがそんなものを構えてる以上、これは遊びじゃなくなる」

仏生寺は、ゆっくりと大上段だいじょうだんの構えに入った。

明らかに琴の胴打どううちをさそっている。

自分が振り下ろす剣のほうが絶対に早いという自信があるのだ。

琴はうかつに飛び込めず、正眼せいがんに構えなおした。


しかし仏生寺はそのまま無造作むぞうさ一足一刀いっそくいっとう間合まあいに入ると、

「では、いきますよ」

と宣言した。


そして―


それはまるで落雷らくらいのような一撃だった。

まず、音もなく稲妻いなづまが走り、

琴が飛び退いてまさに紙一重かみひとえでそれをかわしたとき、

衝撃波しょうげきはにも似た空気のかたまりほおをかすめた。


鋭く風を切る音がその後を追いかけてくる。

風圧だけで肌がけるのではないかというほどの威力いりょくだ。


清河八郎が見込んだとおり、中沢琴というのは一種の天才で、初めてみる太刀筋たちすじにも瞬時に対応できる身体能力をそなえていたが、仏生寺の剣はそれをさらに上回っていた。


なにしろ、ただ真上から振り下ろされる剣が、目で追えないのだ。

もし、彼が予告なしで今の上段を放っていたら、まちがいなく頭をち割られていただろう。

琴は背筋せすじに冷たいものが走るのを感じていた。

しかし、それをすんでのところでかわせたのは、やはりずば抜けた反射神経があればこそだ。

その証拠に、仏生寺弥助の顔色が変わった。


琴はすぐさま反撃の体勢を整えた。

一度見た技ならなんとかしのげる。

仏生寺がふたたび構えに入るまえに踏み込もうとしたとき、

なにか動物的なかんが警告を発して、

とっさに踏みとどまったのと、

仏生寺のつま先が目の前を横切ったのが同時だった。


仏生寺を「最強」と言わしめたもう一つの理由が、この上段蹴じょうだんげりだった。

必殺のりが空を切り、

勢いで無防備な半身をさらしたところに、

今度は琴が横なぎの一撃を放った。

が、これも届かない。


琴の佩刀はいとうは二尺八寸、清河のものが二尺三寸だったから、普段使っているものよりも15cmも短い。

距離感がつかめない上に、踏み込みが甘かった。


「驚いたな。あなたが今まで味わってきたくやしさが手に取るように分かりますよ。それだけの腕を持ちながら、女だという理由で機会をあたえられなかった。われわれは同じ種類の人間だ」

仏生寺の顔は、普段の眠そうな中年男のそれとはまるで別人に変わっていた。

百獣の王にふさわしい獰猛どうもうな眼には、五分に渡り合える相手と初めてめぐり合えた狂喜きょうきの色が満ちている。


清河は呆気あっけにとられて身じろぎも出来ずにいた。


琴はありがた迷惑な賞賛にうんざりした顔で、

「機会なんて、私はもう沢山よ!」

と吐き捨てるや、

仏生寺めがけて鹿のように跳躍ちょうやくし、

身体ごと刀を水平に振り切った。

仏生寺は刀身とうしんを立て、かろうじてそれを受けた。

鋭い金属音とともに火花が散り、

仏生寺の刀ははじかれて、刃こぼれした。

清河から借りた刀は、いわく付きの業物わざものだけあって傷一つ付いていない。


仏生寺はもはや躁状態そうじょうたいにあった。


「そんなはずはない!あんたが抱かれた男とだって、こんなに気持ちは通じ合わなかったはずだ!」


だが、その叫び声が、近くにいたある村人の注意を引きつけてしまった。

石井秩いしいいちは、夫の墓の掃除そうじをすませて、娘の手を引きながら南門を出ようとしたときに、この修羅場しゅらば遭遇そうぐうした。

彼女の目に飛び込んだその光景は、どこかの奉公人ほうこうにんの娘が不逞浪士ふていろうしに襲われているとしか映らなかった。

恐怖にとらわれたいちには、その娘が刀を構えていることを不思議に思う余裕もなかったのだ。

なにかと物騒ぶっそう昨今さっこん、普通なら関わり合いにならないよう急いでその場を離れるところだ。

だが、石井秩いしいいちはそうしなかった。


「誰か!誰か!女の人が襲われています!」

彼女が大声で叫んでいると、たまたま仏光寺通りを歩いていた水戸一派の平間重助が、それを聞きつけて南門から入ってきた。

「なにをやっている!」


仏生寺はひたいに汗をにじませて、憎憎にくにくしげに声のしたほうを振り返った。

邪魔じゃまが入ったな。残念だ。あんたとは仕事ぬきで決着をつけたかったのに」

琴は肩で息をしながら、早くここから立ち去れと目配めくばせを返した。


平間重助が清河と琴のそばにけ寄ったとき、仏生寺はすでに表門から姿を消していた。

「今のは…」

平間にはそのうしろ姿に見覚えがあった。

清河八郎はようやくわれに返って、気に入らない芹沢の一味をにらみつけた。

「さあね。わたしを殺そうとした。あんたらの仲間じゃないのか」

平間はその視線を真正面から受けとめた。

「ふん。あんたを助けたというのは内密ないみつに願おう。芹沢さんや近藤さんに知れたら、なぜ放っておかなかったのだとなじられる」


中沢琴は、二人の言い争う声をぼんやりと聞きながら、自分のあしふるえているのをじっと見つめていた。


口の減らない清河八郎は、本来であれば感謝してしかるべき相手にも、容赦ようしゃしなかった。

「もしあんたが、今際いまわきわに、無為むいな人生を振り返って後悔しそうになったとき、今日のことを思い出すがいい。つまり、あんたも一つは世の中のためになることをしたってことだ。幸せな気分で死ねる」


「ええい、うるさい!」

もともと寡黙かもくな平間は、矢継やつぎ早の罵詈雑言ばりぞうごんを断ち切るタイミングがつかめず、清河をふりきるようにそう怒鳴どなると、立ち去った刺客しかくを追って走りだした。

しかし表門を出たときには、すでに刺客はどこかの角を曲がってしまったあとで、その後ろ姿は見当らなかった。

「ち!」

平間はうらめしげに舌打ちした。


※司馬遼太郎先生の短編に、清河八郎が七星剣を持っていたというのがありまして、それを拝借しました。

すみません。


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