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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
63/404

二人だけの世界 其之壱

同日、昼の九つ(12:00pm)

壬生村にある浪士組本陣ろうしぐみほんじん、新徳寺。


「ちょっと!勝手に出歩かないで!」

小走りに新徳寺の門を出た中沢琴が、大股おおまたに先をゆく清河八郎に声をかけた。


清河は歩調ほちょうゆるめず、振り返りもしない。

「さっきの山岡さんの話、聞いてたろ?バカどもの会津藩おあずかりの件がまとまったとさ。さしずめ今ごろは、シタリ顔の佐々木が、近藤たちのところで恩着おんきせがましく訓示くんじたれれてるはずだ。連中がバカづらを揃えて浮かれてると思うと、乗り込んでいって嫌味イヤミの一つも言ってやらなきゃ納まらんね!」

彼はイライラした様子で一気にまくし立てた。

「まだそんな子供じみたことを言ってるの?仏生寺の話はしたでしょ?」

琴は、頭ひとつ分は背の高い清河と肩をならべ、食らいつくように言い聞かせた。

清河は早足のまま琴を見下ろし、不遜ふそんに笑った。

「ああ、なんだっけ?聞いた気はするがね。“腐敗ふはい冗談じょうだん”だか“夜這よばいの猥談わいだん”だかいう二つ名の話だろ!だがあいにく、そんな男にビクビクして部屋のすみっこでふるえてるなんてことは、わたしのしょうに合わん。知ってるとは思うがね!」


清河は、剣聖けんせいと呼ばれた千葉周作から北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう免許めんきょ皆伝かいでんされ、そこからさらに江戸剣術界の頂点ともいえる玄武館げんぶかん塾頭じゅくとうまで昇りつめた男で、のち、神田に自身の道場を構えたたほどだったから、これは虚勢きょせいでも何でもなかった。


「でも、そうしなきゃ…!」

琴が言い返そうとしたとき、かどを曲がってきた物売りの女たちが、この奇妙な取り合わせの口論を、不思議そうな面持おももちで振り向きながら通り過ぎていった。

人目をはばかった二人は、どちらが言うともなく、坊城ぼうじょう通りに面した壬生寺の表門をくぐり、場所を移した。

昼食時のせいもあってか、さっきまで境内けいだいで遊んでいた子供たちの姿も今は見えない。

琴は清河の前に回りこむと、その胸板むないたを突き飛ばして寺の土塀どべいに押しつけた。

「…でもそうしてもらわなきゃ困るの。浪士組が明日京を立つことを、きっと彼らは知ってる。つまり、あの男がねらってくるとしたら、まちがいなく今日しかない」

清河は目をいて驚くふりをした。

「そうか!そいつは知らなかった!つまり、あのクソいまいましい近藤勇や芹沢鴨に文句を言ってやれる機会も、今日が最後ってこった」

「まったく!あなたは、あの男の恐ろしさを知らないから、そんな顔がしてられる」

「じゃあ、あんたこそ、いつまでも女中みたいな格好かっこうをしてちゃ不味マズいんじゃないのか?」

「私が好きでこんな格好をしてると?あなたが止めるのも聴かずに、血相けっそうを変えて飛び出して行くからじゃない!」

口のらない清河に、琴も釣られて語気ごきが荒くなった。

清河は、まるでさを晴らすように、琴を挑発し続ける。

「なら、戻って例の物干ものほ竿ざお(長刀のこと)を取ってきたらどうだい?」

しかしその時、琴は視界のスミに、撫で肩(なでがた)の小男を捕らえて舌打ちした。


「ちっ…もう遅い」


門のわきに仏生寺弥助が立っている。

清河もその姿に気づいて、刀のに手を掛けた。

「…あんたの言ってたおっかない奴ってのは、あれか?」

「今日、初めて話がみ合ったわね」

白昼はくちゅう、真正面から相手に顔をさらすなど、暗殺者としてあるまじき行為だ。

しかし、それが並々(なみなみ)ならぬ自信に裏打うらうちされていることを中沢琴は知っていた。


仏生寺は、えない中年男の外見そのままに、あごをかきながらトボトボと近づいて頭を下げた。

「清河さん、ですよね?」

清河は片方の眉を吊り上げて、琴に目配めくばせを送った。

丸腰まるごしの琴に下がっていろという合図だ。


仏生寺は二人の沈黙を肯定こうていと受けとった。

「なるほど。ではさっさと用件を済ませてしまいましょう」


清河は琴を脇へ押しやり、抜刀ばっとうの構えをみせた。

「こんなところで?大声を出せば、浪士組の連中がゾロゾロ出てくるぜ?」

仏生寺は無言で首を横に振った。

そんなに時間をかけるつもりはないという意味だろう。


琴は清河の制止を無視して、一歩前に踏み出した。

仏生寺弥助ぶっしょうじやすけ、あなたは長州が雇った刺客しかくなんでしょ?清河このひと攘夷じょうい派に寝返ねがえった。もうあなた方の敵じゃないの」

清河はムッとして、口を挟んだ。

「聞き捨てならんな。寝返ったとは人聞きが悪い」


仏生寺は相手が自分の名前まで知っていたことに少し驚いた様子を見せたが、やがてかぶりを振った。

「残念ですが。わたしにはそういう込み入った経緯いきさつは関係ない。ただ斬れといわれた相手をるだけなんです」

にべもない返事にも、琴はねばり強く説得を続けた。

「浪士組にもぐり込ませた内通者ないつうしゃからは何も聞いてない?今頃はきっと、あなたが先走ってるんじゃないかとヒヤヒヤしてるはず


たしかに、ここで清河が斬られても長州には何の得もない。

しかし仏生寺にとっては違った。

清河の首級しるしを挙げれば、自分を売り込むのに、これ以上ない格好かっこうの材料になる。

仏生寺は、面倒めんどうなしがらみに顔をしかめた。

「あなたは色々事情に通じてるらしい。困ったな、女まで手に掛けなきゃならんとは、やはり仕官しかんなど望むべきじゃない。…寺田屋で仲間をった男も、あるいはこんな心持こころもちだったんですかねえ」


琴は、仏生寺に刀をおさめる気はないらしいとさとった。

清河は当惑とうわくして、二人の顔を交互に見比べた。

「おいおいなんだ?なんの話だ?」

「清河先生があっちに付いたり、こっちに付いたりいそしいから、敵も味方も振り回されて迷惑めいわくしてるってことよ」

琴は仏生寺を睨んだまま、精一杯の皮肉ひにくを込めて言った。


「まあ、あなたとは後で話をつけましょう。その若さじゃ、まだ大人のたのしみも知らないでしょう?死なすのはやはり惜しい」

しかし琴はそんな挑発に乗らなかった。

さらに踏み込んで、仏生寺の目をのぞき込むように顔を近づけた。

「眼が真っ赤よ?彼のこと、昼夜ちゅうやつけ回してたの?」

彼女には仏生寺ほどの剣士が丸腰まるごしの女を斬りつけるはずはないという確信があった。


仏生寺はし目がちに微笑ほほえんだ。

琴の言うとおり、その目は充血し、青黒いクマにふちどられている。

それは、あの辻君つじぎみさばくクスリに依存いぞんする者に、共通する症状だった。

「もうずいぶん前から、清河さんにお会いする機会をうかががっていたんですが、わたしの前に先約せんやくが列を成してましてね。なかなか順番が回って来なかった。清河さん、あなた、ずいぶん嫌われ者らしい」

清河は顔をしかめ、琴にたずねた。

「そうなのか?」

まだふざけるのを止めないつもりらしい。


仏生寺は少し後退して琴と距離をとると、無造作むぞうさに刀を抜いて片手で構えた。

それから手振てぶりの代わりに剣先けんさきをヒョイと動かして、琴に退いていろと指図さしずした。


琴はまゆひそめ、背後の清河に毒づいた。

「言わんこっちゃない。私、いま丸腰まるごしなんだけど」

「いいから下がってな。たまには、わたしの格好かっこいいとこを見せてやろう」

護衛ごえい役の私が、あなたに護られる?そんなのまっぴらね。後でどれだけ高い代償だいしょうを払わされるか知れたもんじゃない」

琴は清河の申し出を突っぱねた。

威勢いせいがいいな。じゃ、わたしのを貸してやろう」

清河は満足げに笑うと、腰にびていた刀を琴に差し出し、自身は脇差わきざしを抜いた。

「いいか?この刀は、さる好事家こうずか応仁おうにんの乱の戦災で折れた由緒ゆいしょ正しき宝剣をだな、わざわざ溶かして打刀うちがたなに作り直させたもので、新進気鋭しんしんきえい刀匠とうしょう高橋長信たかはしながのぶの作だ。人呼んで…」

能書のうがききはいいから、さっさと寄越よこして!」

琴は後ろ手に刀を引っ手繰たくる。

「はいはい」

刀と手が触れた瞬間、バチッと静電気が走った。

!この刀には嫌われてるみたい」

琴は苦笑いして、スラリとさやを払った。


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