押し借りの先客 其之壱
芹沢鴨は、嘆願書を提出した翌日から、さっそく金の工面に力を入れ始めた。
もちろん、彼流のやり方で。
その日、芹沢がとり巻きを引き連れて姿を現したのは、御所の南、公家屋敷が建ち並ぶ一帯にほど近い舟屋町である。
見るからに垢抜けた宮仕えとおぼしき人々が往きかう中、場違いな浪人の集団はいやでも目をひく。
彼らは、その一画にある呉服店「大文字屋」のまえに立っていた。
案内したのは京の事情に明るいと自称する佐伯又三郎である。
「幕府御用達の大店ですわ」
芹沢は大鉄扇を額にかざして満足げにその看板を見上げた。
「ほう、さすが立派な店構えじゃねえか。な?見ろよ。心配しなくても金なんてなあ、あるとこにはあるのさ」
平間重助が気難しい顔で釘を刺す。
「ああ。しかしそれは、俺たちの金じゃないってことを忘れないでくれ」
平間の家系は、代々芹沢家の御用人で、彼自身も幼いころから芹沢鴨と親交があった。
いわば芹沢鴨のお目付け役だが、やんちゃな芹沢家の三男坊は、しばしば平間の手に余る行動をおこした。
逆に芹沢の方は、この旧友を自分の理解者だとみなしているフシがある。
「かたいこと言うなって。俺たちだって徳川様のために働いてんだ。幕府と取り引きしてるってんなら、広い意味じゃ俺たちだって客みたいなもんだ。気前よく貸してくれるさ」
「だといいが」
平間は、まずため息をつき、それからハッとして芹沢を睨んだ。
「まさか、そんな理屈を相手に押し付ける気じゃなかろうな?」
新見錦が二人をなだめるように割って入った。
「『大丸』といえば、主人は義商として知られた男だ。われわれのお役目を話せば、いくらかは出すでしょう」
この頃、「尊皇攘夷」にかこつけて、こういった豪商から強引に金を借り受けるやり方は、浪士たちの常套手段だった。
「世のため人のため」という大義をふりかざした体のいいゆすりである。
ただ、借りている本人も、なかばこの行為の正当性を信じているところがあって、罪悪感がない分、質が悪い。
これは尊皇攘夷派、公武合体派のいずれを問わず同じで、まさにサムライたちのエゴイズムが成せる業と言えよう。
芹沢たちがやろうとしていることも、ほぼこれと大差ない。
「天狗党の芹沢先生や新見先生の名前を出したら、一発ですわ」
佐伯又三郎が抜かりなくお追従を言って、暖簾をくぐろうとしたが、その一歩手前で突然脚を止めた。
「しっ!」
彼は、ふり返って皆に人差し指を立てて見せた。
店の中から怒鳴り声が聞こえる。
『…だあからさあ、じょーいだ、じょーい!わっかんねえヤツだなあ!アメリカだか、イギリスだか、フランスだか知らんが、やつらと一戦交えるってことよ!だからその支度金が要るんだ!』
「ハハ、まいったね。先客がいやがる」
芹沢は眼を剥いて、平間におどけて見せた。
ひとまず中の様子をうかがっていると、さっきとは別の声が金の交渉をはじめた。
『…ねえ、お国のためだと思って、なんとかなりませんか。われわれは下関まで行かなきゃならない。おたくなら三百両くらい安いもんでしょう…』
芹沢は小さく口笛を吹いて、肩をすくめた。
「お~お、ふっかけてやがんな。俺たちの取り分がなくなっちまうんじゃねえか」
怪しげな男たちの相手をしていた店の手代は、自分の手におえないと思ったのか、番頭を呼んだ。
交代した番頭が、なにかクドクドと言い訳をしている。
なるべく彼らを刺激しないように、遠まわしに金は出せないと説明しているようだ。
『…だから返すよ、返しますよ!生きて帰って来りゃさあ!』
最初に怒鳴っていた男が、またスゴみだした。
男たちは「アメとムチ」を使い分ける作戦のようだ。
「押し借りか。典型的な不逞浪士ですね」
芹沢一派ではもっとも若い野口健司が、暖簾の隙間をのぞきながら呟いた。
血気盛んな年頃の彼としては、ひと暴れするには格好の口実を見つけ、ひとまず自分のことは棚に上げるつもりらしい。
新見錦も野口の言葉にうなずき、
「話の内容からして、長州ですよ。どうします?あっちは三人だ」
と芹沢の意見を仰いだ。
「え?…ああ、いや、ちょっと待て」
芹沢は、柄にもなく躊躇している。
めずらしく煮え切らない首領を見かねた平山五郎が背中を押した。
「こっちは六人です!奴らを追っ払って恩を売っときゃあ、金も出させやすくなる」
まだ考え込んでいた芹沢は、平山を睨みつけた。
「うるせえな!ちょっと黙ってろ!もう少しで…あ…そうか!」
芹沢は手を打つと、思い立ったように暖簾をまくり、大股で中に入って行った。
「あ、ちょっと!芹沢さん」
新見たちは、あわてて後を追った。




