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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
57/404

揃いの紋付 其之参

さて、その翌日。

芹沢、近藤以下、総勢(そうぜい)十七名は、八木源之丞から借りたそろいの紋付もんつきで、会津藩が京都守護職の本陣(ほんじん)をかまえる金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に向かっていた。

彼らの住む壬生村からは、鴨川(かもがわ)へだてて都の反対側に当たるため、半刻(はんとき)はかかる道程(どうてい)である。

これからちょうど二年のち、新選組の屯所(とんしょ)が西本願寺に移されるまでの間、近藤たちはこの道を何度も行き来することになった。


一団は京の地理に明るい佐伯又三郎を先頭に、四条大橋を渡っていく。

すれちがう人々は、なにか恐ろしいものでも見るように顔を強張こわばらせて、道をゆずった。

紋付もんつきの羽織くらいでは彼らの物騒(ぶっそう)な雰囲気は隠しおおせないらしい。


「この着物と(はかま)だけでは、如何いかんともしがたいな」

近藤は土方歳三と肩を並べて歩きながら、借り物の羽織のたもとを開いて、大きな口をへの字に曲げた。

役者と見紛みまがうほど外見がいい土方などは、折り目のついた紋付もんつき羽織はおると、中に着ているボロがよけい際立つ。

「ちっ、薩摩の下士かし連中だって、こんな継ぎ当ては着ねえぞ?」

藤堂平助が首をひねった。

「でも妙な話っスよね。薩摩は例の(生麦)事件でイギリスからけっこうな賠償金を吹っかけられてると聴くし、戦になれば金だってもっと掛かる。実際んとこ、台所事情(だいどころじじょう)はそれほど楽じゃないはずでしょ」

山南敬介が、その認識をやんわり正した。

「そうとばかりも言えんさ。彼らが密貿易(みつぼうえき)(もう)けてるのは公然の秘密だ。その財源は馬鹿にできない」


金戒光明寺こんかいこうみょうじの長い石段が一行の視界に入った。

みな世間話に興じる風を装ってはいるが、本当のところ羽織云々うんぬんはただの口実で、何かしゃべっていないと落ち着かないのだ。

猛者揃(もさぞろいの彼らも、この種の緊張には免疫めんえきがなかった。


ただ、そういったプレッシャーには無縁の原田左之助は、まだ羽織にこだわっていた。

彼は沖田総司にそのえり胸元むなもとでピンと張って見せた。

「俺のだけ家紋かもんがみんなのと違うんだよ。な?な?」

「足りない分は、八木さんが他所よそから借りて来てくれたんじゃないですか?」

沖田は、その家紋をチラリと見ると、またそびえ立つ山門さんもんに視線を戻して石段を登ってゆく。

「けどよう、ほら、裏に『嘉永(かえい)七年十一月奉納(ほうのう)』とか書いてあんだろ?なにこれ、どういう意味?」

興味を引かれた藤堂平助が、原田の裏地をのぞき込んだ。

「あ~、こりゃ*の**で**だ**のヤツっスね」

「あ?なんだよ、肝心のとこをゴニョゴニョにごしやがって!気になんだろうが!…つーかお前、ひとりだけ妙に小奇麗こぎれいな格好してねえか?」

「皆さんほど、お金には不自由してないんでね。オホホ」

ところが藤堂の得意げな笑みは、あっという間にき消された。

「わっ」

石段を踏み外して危うく転げ落ちそうになり、すんでのところで踏みとどまった。

振り返ってみれば、足を止めた永倉新八がはかま腰板こしいたに手を架けていた。

「アブねえなあ、もう!」

「ケ、ほざきやがれ!…ハ~、しっかし、金を持ってる連中てのは、どーしてこう高いとこに住みたがるかねえ? さっきからずっとのぼりじゃねえか」

永倉は肩で息をしながら、ひざに手をついた。


「ほら、左を見て」

山南がはげますように、みなの注意をうながした。

一行は石段の中ほどに差し掛かっており、そこからは都の中心部が一望できた。

沖田と藤堂が思わず嘆声たんせいらす。

「あ!禁裏きんりの中まで見えるぞ」

「あっちは二条城か」

永倉は、その眺望ちょうぼうに、会津が本陣を敷いた地の利を察した。

「…なーるほど、そゆこと」

「ええ。つまり、一朝事いっちょうことあらばただちに馬前ばぜんけつけん、というわけです」

「ふん、下々(しもじも)を見下ろすのは、さぞ気分も良かろうて」

永倉は憎まれ口を叩いて、また歩き始めた。

「けど、会津に頭を下げるってのもどうかなあ。このご時勢(じせい)、金回りがいいのは悪いことをしてる奴らだけだって、姉さんがよく言ってたし」

沖田は藤堂の自慢に当てこするとニヤリと笑った

「…洒落シャレになってねえよ」

藤堂が顔をしかめる。


前を歩いていた芹沢鴨が、後続を振り返って発破はっぱをかけた。

「オラオラ!モタモタしてっと、殿内の野郎に先を越されっぞ!永倉、キリキリ歩きやがれ!」

「う~るせえ!てめえのケツを見上げながら、こいつらの貧乏自慢びんぼうじまんを聞かされた日にゃ、誰だって気分くらい悪くならあ! 」

やり返す永倉を見下ろして、芹沢は高らかに宣言した。

「大の男がチマチマ懐具合(ふところぐあい)なんか気にすんじゃねえよ!いいか、てめえら!金のこたぁ、俺が殿とのさんに掛け合ってやっから、大船に乗ったつもりでいやがれ!」


その会津とて、決して楽にやり繰りしている訳ではないことを、後に彼らは思い知らされる。


「…あとが恐いっつーんだよ」

最後尾を歩く土方歳三が顔を伏せて毒づくと、近藤と山南は苦笑くしょうを交わした。



しかし残念ながら、この日、会津公松平容保(まつだいらかたもり)へのお目通りはかなわなかった。

時を同じくして、二条城の老中板倉勝静(ろうじゅういたくらかつきよ)より京都守護職に宛て、京に残留する浪士たちの差配さはいを命じるむねの呼び出しがあったためで、こちらは浪士組本隊の鵜殿鳩翁うどのきゅうおうからのボトムアップによる通達である。

幕臣ばくしん佐々木只三郎の根回しがこうを奏してか、嘆願書たんがんしょはすんなりと受理(じゅり)されたが、

芹沢・近藤が、自分たちの名義で嘆願書を提出したタイミングはまさに間一髪だったことになる。


不在の会津公に代わり本陣で彼らを応対したのは、二人の若い公用方(こうようがた)だった。

秋月悌次郎あきづきていじろうと広沢富次郎、彼らは、珍妙(ちんみょう)な一団の来訪に警戒の色を隠さなかったが、この後、数々の苦難を彼らと共にするとは夢にも思わなかっただろう。



ともあれ、この二日後、浪士組は念願叶ねんがんかなって会津藩おあずかりとなった。

近藤たちは浪士組本隊から離れて、独立した組織としておおやけに認められたのだ。

新選組の前身、いわゆる「壬生浪士組(みぶろうしぐみ)」の誕生である。


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