揃いの紋付 其之弐
同日、暮れの六つ(6:00pm)。
「父上、浪士組の芹沢さんと近藤さんが表に来てはりますよ」
私塾から帰ってきた長男の秀二郎が、家族が夕食をとっている奥座敷に顔をのぞかせた。
「すぐ行くさかい、あがってもらい」
八木源之丞はハシをおいて、襟元をただした。
「お食事中でしたか、こんな時間にすみません」
中に通されて、奥の部屋で夕食をとっている家族の姿を目にした近藤は、恐縮しながらも、仲むつまじい団欒におもわず頬をゆるめたが、その笑顔はすぐに凍りついた。
「…左之助、おまえこんなとこでなにしてる」
並べられた膳の下座に、見慣れた男があぐらをかいて、源之丞の妻、雅に飯の給仕を受けている。
「なにって、これが碁を打ってるように見えるか?紋付なら、ほれ、そっちの部屋に用意出来てるってよ」
原田左之助はそう言って聖護院大根の漬物を口に放りこむと、バリバリ音を立てて噛み砕いた。
「…ほんとうにいろいろ申し訳ありません」
近藤は何ともいえない表情で源之丞に向き直ると、額を床にすりつけるようにしてあやまった。
となりでは芹沢鴨が笑い転げている。
「いやいや、ほんま、家内と二人で箪笥やらツヅラやらひっくり返して大騒ぎしましたで。そやけど、なんとか人数分そろいましたさかい」
源之丞は衣装盆に積み上げられた紋付羽織を見て頭をかいたが、原田のことには一言も触れない。
どうやら、八木家にとってはこの食事風景がもはや当たり前になっているらしい。
「けど、ほんまにそれでよろしいんどすか?」
座敷に腰を落ち着けると、八木源之丞は戸惑った表情をうかべた。
芹沢はあごをさすりながら不思議そうに、
「どうして」
とたずねた。
「紋付ゆうたかて、これ、全部うちの家紋どすえ」
源之丞は羽織の一つを手にとって、染め抜かれた八木家の紋「三ツ木瓜」を指し示した。
芹沢は、今初めて気がついたように目を丸くして、近藤のほうを見た。
「あははは!ほんとだ!そっか。ま、かまわんだろ!なあ近藤さん?」
「ええ、まあ。」
近藤は当たり前だろうという顔でうなずいた。
「ほな、これ」
と言って衣装盆を二人のほうに押しやると、源之丞はあらたまった様子でたずねた。
「そやけど、京都守護職ゆうたら、会津の松平容保公どすやろ。なんでまた、そない偉いお人にいきなり会うことにならはったんどす」
芹沢はニヤリと笑って身をのりだすと、声をひそめた。
「こりゃあ、八木さんだから打ち明けるが、内緒だぜ?われわれ残留組のお預かりを嘆願しに行くのさ」
「ちょ、ちょっと待っとくれやす。残留てなんどすの」
源之丞は顔色を失った。
「残り留まるってことだよ」
満腹した様子の原田左之助が隣の部屋からのっそり現れて、得意げに解説をくわえた。
「そら分かっとりますがな。誰が残り留まりますのや」
「だれって、そりゃ俺たちに決まってるじゃん」
原田は誇らしげに自分の胸板を親指でつついた。
「え?浪士組のみなさんは近々江戸へ帰ることになったて、奉行所の方から聞きましたで」
「そ。俺たちを除いた腰抜け連中は帰るんだよ」
爪楊枝で歯をせせりながら、原田がニッと笑う。
源之丞は信じたくもないようだ。
「中村はんもそないゆうてはったけどなあ」
「中村?」
「あ、いや。青蓮院のお侍さんどすわ。世間話どすけどな」
八木家は代々青蓮院に出仕して、社務(寺院の事務)を任されている。
青蓮院は、公武合体派のリーダー中川宮が門主を勤める門跡寺院(貴族が門主をつとめる寺院)で、そうした縁から八木家は、幕府の公武合体派と太いパイプを持っていた。
源之丞には、この青蓮院の関係者を通じて幕府筋の情報が一足先にもたらされることも多かったのである。
つまり中村というのは、青蓮院宮衛士の中村半次郎のことだ。
例の中沢琴とデートを楽しんだプレイボーイ“人斬り半次郎”である。
「噂はどうあれ、俺たちは帰んないから。安心して」
源之丞の気も知らず、原田がその肩を叩く。
芹沢はなんとなくその心中を察していながら、そらとぼけた。
「言ってなかったっけ?」
「初耳どすなあ」
なにやら話が一向にすすまないので、しびれを切らした近藤が口をはさんだ。
「われわれは、京都守護職の旗下で、大樹公(将軍徳川家茂)をお守りすることにしたんです」
「なるほど、初志貫徹ゆうわけどすな。そりゃあ、立派な心がけや」
源之丞はそれを、彼らが会津藩兵と合流するのだと解釈して、やっと安心した。
もちろん近藤のほうに、そんなつもりはサラサラない。
このままこの家に居座るつもりだった。
「まあ、会津公がわれわれの嘆願を聞き届けてくれればの話だがね」
芹沢は他人事のように言って、耳の穴をほじった。
源之丞にしてみれば、彼らが会津藩に引き取られようが、虚しく江戸へ帰ることになろうが、とにかくここから出て行ってもらえさえすればどちらでもよかった。
もちろん、それを口にはしない。
「そんな志をお持ちとは、知らんかったなあ」
さも感心したように、何度もうなずいて見せた。
「こいつあ、うかつだった。すんませんね。俺は近藤さんがもう言ってるもんだとばっかり思ってて」
芹沢はニヤニヤしながら近藤を横目で見た。
近藤がムッとして言い返す。
「いや、私も芹沢さんがもう話したものだと」
「まあまあ、よろしがな。そうどすか、おきばりやす」
「で、気の早い話ですが、上手くいったら会津藩の接待をお願いしたいんです」
近藤が言い出しにくそうに、もう一つの用件を切り出した。
しかし源之丞は、彼らを送り出すためなら全面的に協力を惜しまないつもりだ。
「ほな、壬生狂言なんかどないどすやろ」
「それはいい」
思いのほか源之丞が乗り気なので、ご機嫌取りも兼ねて、近藤は大げさに喜んだ。
「ええ結果を祈っとりますさかい」
愛想よく笑う源之丞に一礼して、近藤と芹沢は席を立った。
が、
玄関まで行ったところで近藤だけが勢いよく引き返してくると、家族に混じってくつろいだ様子の原田を蹴飛ばして、衣装盆を突きつけた。
「オラ、行くぞ!おまえがこれを持つんだよ!」




