表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
55/404

揃いの紋付 其之壱

文久三年三月九日、夕の七つ(4:00pm)。

壬生村、八木家の母屋おもやにて。


「おまさ!おまさ!」

主人の八木源之丞やぎげんのじょうが屋敷内を大声で呼ばわりながら、ドスドスと歩き回っている。

庭で洗濯物(せんたくもの)を取り込んでいた妻の八木雅やぎまさが、縁側(えんがわ)から顔を出した。

「そない大声出さんでも聞こえますわ。なんどす?」

「えらいこっちゃ!わしの紋付(もんつき)出してくれるか」

紋付(もんつき)やったら、そこの衣紋掛(えもんか)けにおますやろ?そやけど、今時分(いまじぶん)から何処どこぞへお出かけどす?」

「ちゃうがな。全部や、全部」

源之丞はれったそうに小さく足を踏み鳴らす。

まさ眉間(みけん)しわを寄せて、両手に抱えていた洗濯物を縁側にドサッと置いた。

「全部て、なにを?」

「そやから、紋付の羽織(はおり)や!」

虫干(むしぼ)しでもしますのか。もう夕方どすえ?」

「ええから、よ!そや、秀次郎のと、あと死んだ(じい)さんのやつもまだあったやろ」

「あんた、頭おかしなったんとちゃいますやろな」

まさは腰に手をあてて、源之丞をにらんだ。

「あほ、正気(しょうき)や。とにかく、早よ」

「はいはい」

まさはブツブツ言いながら、玄関前の納戸(なんど)から葛籠つづらを引っぱり出した。

「え~、羽織、羽織」

彼女は折りたたんだ着物を一着ずつ取り出して積み上げていく。

「…そおうたら、勇之助が今日(ひざ)いて帰って来ましたんやけどな。おゆうちゃんう近所の娘さんが、わざわざ家まで負ぶって来てくれはったんえ」

「そんなんどうでもええさかい、早よしてえな。十七着も要るんや」

「じゅ、十七着て!うちは呉服(ごふく)屋やおへんえ?!」

まさは目をむいて源之丞をにらんだ。

「そやから、秀次郎のと、死んだじいさんの分もあるやろ。あと、そや!狂言(きょうげん)の衣装も引っ張り出してきたらええがな」

「あんた、あれは、お寺に奉納(ほうのう)されたもんどすさかい、他所よそで亡くなった人の羽織え?」

「わしかて舞台(ぶたい)で着とるんや、かまへんかまへん!」

源之丞は面倒(めんどう)くさそうに手のひらを振った。

「かまへんて、なにがかまへんの。よう言わんわ」


そもそも八木家の騒動(そうどう)発端ほったんは、浪士組の芹沢鴨と近藤勇だった。

つまり、この下らない夫婦喧嘩(ふうふげんか)の原因をずっとさかのぼっていけば、浪士組の内輪揉(うちわも)めに行き着く。



三月に入って以降、京に残る浪士たちの勢力争いは、急にあわただしさを増していた。


鵜殿鳩翁(うどのきゅうおう)の命を受けた殿内義雄は、根岸友山(ねぎしゆうざん)一門(いちもん)である清水五一しみずごいち遠藤丈庵えんどうじょうあんや、神代仁之助かみしろじんのすけ鈴木長蔵すずきちょうぞうといったところを取りまとめ、近藤・芹沢派に対抗する動きを見せている。


この間、芹沢ら水戸派は、残留(ざんりゅう)希望者の中から、同じ水戸出身の粕谷新五郎(かすやしんごろう)を抱きこんだ。

近藤派にも、斎藤一という新戦力が加入し、さらに山南敬介が、玄武館(げんぶかん)時代の同門、阿比留鋭三郎(あびるえいざぶろう)に声をかけている。


また、もう一人の新入隊士、佐伯又三郎は、持ち前の日和見ひよりみな性格を発揮(はっき)して、早々にこれら三つの派閥(はばつ)ハカリにかけ、水戸天狗党(みとてんぐとう)金看板(きんかんばん)がある芹沢鴨におべっかを使いだした。

もっともこの選択は、成功したとは言いがたい。

処世術(しょせいじゅつ)()けた佐伯の嗅覚(きゅうかく)も、この時ばかりは鈍ったものらしく、結果的に自分の寿命(じゅみょう)を縮めることになった。

が、それはもう少し先の話である。


ともかく、芹沢、近藤の両派は、これまでの遺恨(いこん)をひとまず置いて、協力して殿内派を抑え込むことで合意したのである。


機先きせんを制したい芹沢、近藤らは、会津藩お預かりを嘆願(たんがん)するため、急ぎ京都守護職(きょうとしゅごしょく)本陣(ほんじん)おもむく必要に迫られている。

仲介者(ちゅうかいしゃ)である佐々木只三郎からの忠告に従って全員で本陣ほんじんに向かうことになったが、ここで予想外の不都合が発覚(はっかく)した。

場合によっては、会津藩主松平容保のお目見えが叶うかもしれないというのに、着て行くものがないのだ。


芹沢たちはみな、江戸、いや水戸を出てからというもの、着古きふるした羽織(はおり)一着でしのいでいた。

彼らはまだ紋付(もんつき)を持っているだけマシで、近藤ら試衛館(しえいかん)面々(めんめん)にいたっては、本人もいつから持っているか覚えていないような()り切れた木綿(もめん)あわせを着まわしているのだ。

かといって、羽織袴(はおりはかま)新調(しんちょう)するだけの持ちあわせもない。

彼らは、途方とほうに暮れた。



「どうせ一日きりのことだし、八木さんに借りればいいのに」

沖田総司が、いつもの調子で何気なにげなく口にした思いつきが、八木源之丞の災難の始まりだった。

それは提案と呼ぶほどの意図もなかったが、せまはなれに押し込められている一同には、いやでも耳に入る。

部屋にいた者は、それぞれとなりと顔を見合わせて渋面(しぶづら)を作った。

その意見が一同の総意(そうい)黙殺(もくさつ)されかけたとき、部屋の(すみ)で酒を飲んでいた芹沢がひざを打って発した一声ひとこえが、すべてをひっくり返した。


「おう、それでいこう」


芹沢と近藤はさっそく母屋おもやへ向かい、うらららかな陽気(ようき)障子(しょうじ)を開け放って書きものをしていた八木源之丞の平穏へいおんな日常を打ちくだいたというわけである。


当時、八木源之丞は「まもなく浪士組は江戸へ帰る」と聞かされていたので、とにかくそれまでのあいだ無難(ぶなん)にやりすごして、機嫌(きげん)よく帰ってもらうのが一番だと考えていたから、この申し出をふたつ返事で引き受けた。

彼をあわてさせたのは、近藤が後出あとだしで「十七人分の羽織がほしいのですが」などと言い出したからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ