もう一人の食客
八木家を出た永倉新八と原田左之助の二人は、あてもなく御所の方角にブラブラ歩いていた。
「俺たち、これからどうなんのかねえ」
伊予松山の国もとを離れて長年江戸で浪人生活を送ってきた原田には、その日暮らしが身についているから、べつだん緊迫感もない。
永倉にしても根が気楽な性分で、さほど先のことを思い悩んではいなかったが、彼には一つだけ考えていることがあった。
「さあなあ。ま、おれはこのまま江戸へ引き返すのも悪かないと思ってる。だがどうせなら、こっちにいるうちに山口を見つけたいんだ」
永倉のいう山口とは、先に登場した斎藤一のことである。
彼はもとの名を山口一といい、出自は江戸詰めの明石藩士の次男だ。
江戸にいた頃は山口も試衛館に入りびたっていたから、永倉たちにとっては食客仲間にあたる。
一年ほどまえ、山口はある理由で言い争いになった旗本を斬ってしまい、ご公儀から追われる身となった。
若さゆえの過ちといってしまえばそれまでだが、彼自身は相応の理由があって刃傷におよんだという自負があったから、捕縛されることをよしとしなかった。
山口は名を捨て、逃亡の道をえらんだ。
義理がたい彼は、江戸を出奔するまえに試衛館を訪れ、京に逃げるとだけ言い残して、永倉たちの前から姿を消したのである。
そして今、永倉たちは奇しくも同じ京にいる。
「そういや山口のやつもこの町のどこかにいるんだっけか。江戸で別れてからもう一年以上経つんだな。なんか、あの無愛想なツラを久しぶりに見たくなってきたぜ。不思議なもんだな」
原田はなつかしそうに言った。
永倉がうなずく。
「おれはやつを見つけて、仲間に引き入れたいと思ってる」
「どうした?勢力争いには興味ないんだろ。実はおまえも、さっきの新見の一言でカチンときちゃってたのか?」
二人はちょうど清河を仕損じた堀川通りに差し掛かっていた。
苦い失敗を思い出したのか、それとも原田の冷やかしに機嫌を損ねたのか、永倉は顔をしかめた。
「ばあか、そんなんじゃねえよ。あんな別れ方をしたが、浪士組に入れば、例の恩赦(幕府から過去の罪を許されること)があるだろ?晴れて、一緒に江戸へ帰れる」
「なるほど。そりゃあ名案かもな」
原田は感心して手を打ったが、永倉の顔色は冴えない。
「だが、この広い京で人を探す大変さは、お琴ちゃんのときに身に染みて分かったからなあ」
「平助みたいに騒々しい男なら、どこかで噂くらい聞くかもしれんが、なにせ同じ部屋にいても、いるのかいないのか分からないようなやつだったかんな」
同じ頃。
京洛の北西、吉田山で、実はその困難な仕事をやりとげた男がいた。
「捜すのにえっらい苦労したで。そやけど聖徳太子流なんちゅうけったいな名前の流派はそうないから助かったわ」
怪しげな猫背の浪士が、「聖徳太子流吉田道場」と書かれた看板を指差して、一息にまくし立てた。
自称大坂浪人、佐伯又三郎である。
そして、その佐伯をうろんげに睨みながら、玄関先で応対している無愛想な男こそ、くだんの山口一そのひとだった。
今の彼は、斎藤一と名を変えて、この道場で師範の職に就いている。
「あれ?もう忘れたんか?ほれ、三条大橋で会うた佐伯や。そのあと三条通でもばったり会うたやんか」
「ああ。覚えている」
斎藤は無愛想に応じた。
なぜ一、二度顔を合わせた程度の人間が、わざわざ自分を探して訪ねてきたのかいぶかる風だ。
「連れない返事やのう」
「見てのとおり、今、弟子達に稽古をつけている最中だ」
斎藤一という男は、ひどく無口で、そのくせ眼光ばかり鋭く、常にヒリヒリするような緊張感を全身にまとっていた。
つまりとっつきにくい種類の人間だったわけだが、佐伯又三郎は、こうした気難しい人間に取りいる術に長けていて、嫌も応もなく、巻き込んでしまう。
「さっさと本題に入れっちゅう顔やな。ほんなら、回りくどい挨拶は抜きや。あんたも浪士組ちゅうのが京に来たんは知っとるやろ」
「ああ。話だけは」
「幕府肝入りの部隊で、公方様(将軍)の警護がお役目や。わしなあ、アレに入ろう思とるんや」
「さっぱり話が見えないな。好きにすればよかろう。俺とどういう関係がある」
斎藤は玄関先に仁王立ちしたまま、腕を組んだ。
佐伯を招き入れて、茶の一杯も振舞おうという気はサラサラないらしい。
しかし、佐伯のほうも図太いというか、まったく気遅れしていない。
「あんた、試衛館とかいう道場におったて言うてたやろ」
「…ああ」
斎藤は警戒して眉をひそめた。
江戸にいた頃と関係のある話らしい。
「そこの道場主の近藤とかいう人が、浪士組の幹部をやっとるらしいんや。なんとか口利いてもらえへんかなあ」
佐伯の話には若干の誤謬も混じっていたが、このとき初めて斎藤は近藤勇の上洛を知った。
「近藤さんが来ているのか。京に」
その眼もとに、珍しく嬉しそうな表情がうかんだ。
「どうや?あんたも一緒に入らんか?なんせ、ご公儀の後ろ盾ができるんや。手柄を立てたら御家人くらいにはなれるかもしれんで。ま、そこまでいかんでも、島原あたりじゃモテるわ。太夫も抱き放題や」
斎藤は今さらながら、この男の下卑た性根に飽きれていた。
「浪士組までは付き合ってやろう。ただし、島原には一人で行け」
それを冗談だと受け取ったらしく、佐伯はいやらしい笑い声をたてた。
「あの女が忘れられへんのか?ほら、初めて会うたとき、三条大橋の野次馬の中におった。あんた、じーっと見つめとったやろ?」
そう言われて、斉藤は久しぶりにその女を思い出した。
喧騒の中、彼女は妙に冷ややかな雰囲気をたたえて、そこに立っていた。
斎藤自身は、後日、粟田口でも一度その姿を見かけている。
しかし、三条大橋で初めて彼女を見たとき、
斎藤を引きつけたのは、女自身ではなかった。
女に寄り添うように立つ初老の男。
女の肩には、彼の手が添えられていた。
その男から発せられる、悲しみとも、怒りとも、殺気ともつかない奇妙な雰囲気が、斎藤に強い印象を残していたのだ。
そして、二度目に女を見たとき、男の姿はなかった。
たったそれだけのことなのに、斉藤はなぜか、男は死んだのだと直感していた。
「どないしてん。ボーっとして」
佐伯又三郎がニヤニヤわらっている。
また、下種な勘ぐりをしているに違いない。
「仕度をするから待っててくれ」
斎藤は、また下らない話が始まるのを遮るようにサッときびすを返し、道場の奥へ引っ込んでいく。
これには佐伯も慌てて、追いすがるように手をあげた。
「い、今から?えらい話が早いな」




