狙われすぎる男 其之参
四条大橋の方から歩いてくるのは、紛れもなく清河八郎と山岡鉄太郎だ。
二人は少し酔っているのか、どこか足元が頼りない。
誰かが鯉口を切った音を合図に、全員が一斉に刀を抜いた。
やがて、互いの距離が五間(約9M)ほどまで縮まったとき、
藤堂平助は意を決して、
「ちぇ、やってやらあ。行くぜ」
と押し殺した声で囁いた。
「まて!」
飛び出そうとした藤堂の肩をつかんだのは、意外なことに芹沢鴨だった。
藤堂が、怪訝な顔で振り返る。
「なんです?」
「あれは…」
芹沢は、標的の姿を見つめたまま、押し黙った。
少しだけ時間をさかのぼった頃、
隊をさらに割った土方歳三は、永倉新八、沖田総司を従えて、醒ヶ井通りを北に向かって駆けていた。
そして、まもなく四条通に出ようかというとき、前方を横切る清河と山岡らしき人影を視界にとらえた。
「あれだ。ぎりぎり間に合ったぜ」
しかし、あと半町ほどに迫ったところで、
突然、着流しのサムライが彼らの行く手をはばんだ。
三人はすばやく身構えたが、沖田がすぐ何かに気づいて、場違いにも嬉しそうな声をあげた。
「お琴さん!」
そこに立っていたのは、中沢琴だった。
「姿が見えねえと思ってたら、清河にくっついてやがったか」
先頭に立つ土方が毒づいた。
「あなたたちの他にも、清河を付け狙ってる馬鹿が一杯いて、手が離せなかったの」
「そこをどけ。邪魔するなら、女でも容赦しねえ」
土方の声には、それが脅しでないことをうかがわせる酷薄な響きがある。
「あら。永倉さんや沖田さんならともかく、あなたの腕じゃ、まず難しいわね」
琴は、不敵に言い放った。
「てめえ!」
土方に身構える暇すら与えず、琴は抜刀して、その首筋に切っ先を突きつけた。
「ほらね?いいから、聞きなさい。山岡先生が首から下げてるのは、隊士募集の御朱印状よ。刄を向けるのは、不味いんじゃないかしら?」
琴のいう御朱印状とは、『道中、どこで隊士を募ってもよい』という旨が記された幕府の認可状で、徳川将軍の印が入っている。
このシルシに刃を向けることは、そのまま徳川幕府に歯向かうことを意味した。
現代の感覚では、なんともバカバカしく思えるが、そういう時代だった。
芹沢が襲撃を躊躇したのも同じ理由からである。
「ちっ!」
土方は、苦々しい顔で舌打ちした。
永倉が、ニヤニヤしながら琴の顔色をうかがう。
「だがよう、水戸の先生方がバッサリいっちまうかもしんねえぜ?」
しかし、琴は平然として、微笑み返した。
「あっちには山南さんがいるし、芹沢さんや新見さんもいる。あなた方みたいに、オッチョコチョイなことはしないと思うけど」
「このやろう、言わせておけば!」
土方は、突きつけられた切っ先に触れそうなほど、身を乗り出した。
慌てた沖田が、その肩をつかんで引き戻す。
「なに熱くなってるんですか。らしくない」
「土方さん。残念だが、今日のところは退散するとしようぜ」
永倉もそう取りなしたが、土方の怒りは納まらない。
「あんた、いつまでこんなことを続けるつもりだ」
手の甲で刀を払いのけながら、琴に詰め寄った。
「言ったでしょ?他にも清河の命を狙う人間がまだ大勢いる。少なくとも、あの人が京にいる間は、わたしが傍にいるのを忘れないことね」
すばやく立ち去ろうとする琴に、永倉が声をかけた。
「おれたち以外ってのは、誰のことだよ」
琴は振り返って永倉の目をじっと見た。
「さあ?ただ、気の早い攘夷派の連中は、清河を敵だと思ってる。あなた達も、敵と味方を見誤らないことね」
その忠告めいた台詞に、土方は妙なひっかかりを覚えた。
「まてよ。そりゃどういう意味だ?」
しかし、すでに琴の姿はなかった。
「くそ!相変わらず野良猫みてえな女だ。京でいったい何をしてやがる?」
「あ~も~!あいかわらず、可愛いったらありゃしない!」
永倉が身をよじった。
土方たちは近藤勇のもとへ戻って、襲撃が不首尾に終わったことを告げた。
ほどなく、芹沢たちも合流して、一行は虚しく帰路についた。
試衛館の面々は、芹沢たちから少し距離をおいて後ろを歩いている
沖田が、なにか面白い噂話でも聞かせるように、山南の耳元に顔をよせた。
「実は、わたしたちも先回りして清河をみつけたんですがね。やめたんです」
「え?」
山南は突然の告白に眼を丸くしたが、やがて感心した風に沖田を見直した。
「しかし、よく思いとどまったな」
「山岡先生がお持ちの御朱印状のことを思い出させてくれた方がいましてね」
「誰です」
「総司!」
二人の話を聞き咎めた土方が割って入った。
中沢琴の行動を、山南に知らせるのは不味いということらしい。
「鞍馬山の天狗ですよ」
沖田は下手な言い訳でごまかしたが、山南は、土方と沖田のあいだで交わされた目配せを見てなんとなく察したようだ。
土方は、舌打ちして山南に向き直った。
「山南さん。悪いが、私情をはさむのはここまでにしてもらう。もし、あの女がはっきりと敵にまわれば…」
沖田がその先を遮った。
「ま、今日のところは助けてもらったと思いましょ」
山南は、険しい表情でうつむいている。
しかし、土方は追及の手をゆるめるつもりはないらしい。
その矛先は、沖田に向けられた。
「どうする、総司。どうせ永倉に女は斬れねえ。そうなったら、あいつを斬るのは、おまえの仕事になるぜ。おまえにできるか」
青白い月光に照らされた沖田の顔に、妖しい微笑が浮かんだ。
「それはともかく、一度本気を出したお琴さんと立ち会ってみたいもんですよ」
※この清河暗殺計画については、史実では老中板倉勝静からの指示によるものとされているようです。
※間崎切腹の真相が気になる方は、青蓮院宮令旨事件でググってみてくださいね。(投げやり解説)




