宝剣を追う男 其之壱
季節は移ろい、十一月の半ば(新暦の1月初旬)、南天の実が赤く色づくころ。
寒さの厳しい京でも、一年で最も寒い季節だ。
騒ぎのあった三条大橋から、御所を回り込んで北西に一里(約3.9km)ほど行ったところに、さびれた神社があった。
堀川通りに面した鳥居には、まるで象形文字のような印だけが書かれた風変わりな額が架かっている。
朝の五つ(8:00am)、参道はまだ凍てついていた。
境内を中ほどまで行くと二の鳥居があって、さらにその奥、手水舎の傍らに、女がひとり、寒そうに手をすり合わせながら立っていた。
三月ほど前、三条大橋の袂で斎藤一が見かけた例の美女である。
頭に手拭をかぶり、薄藍の内掛けの下には、なんとなく場にそぐわない派手な着物がのぞいている。
まだ若いというのに、その風体はどう見ても客待ちの街娼だった。
女は、先ほどからしきりに辺りを警戒している。
かれこれ半刻も前から、不審な男が拝殿の周りをうろついていたからだ。
さて、ここにまたひとり、後の新選組隊士が登場する。
阿部慎蔵 -アベシンゾウ-
平成の総理大臣と同じ読みだが、もちろん、それほど大それた人物ではない。
しかし、二十六になる今日までお天道様に恥じぬ生き方を信条としてきた、良く言えば一本気、悪く言えば直情径行型のバカである。
とはいえ、誰しもが絶対の正義と信じて疑わなかった幕府も、黒船がやって来てのちは、毀誉褒貶が激しく、ご威光にも少々翳りが差してきた今日この頃のことである。
黒船ごときに揺らぐことのない阿部の忠誠心は、この時代、それだけでも貴重と言えた。
彼は後、高野十郎、阿部十郎と名を変え、新選組の運命に深く関わってゆくことになる。
ところで、
今日の彼は少々難しい選択を迫られていた。
正義を貫くおのれの信条を通すか、義理を果たすために敢えて節を曲げるか。
いくら悩んでも答えは出ない。
寒さに背中を丸めて、拝殿の前を行ったり来たりしながら、たまに思い出したように立ち止まると中の様子を覗い、
白い息を吐きながら腕組みをしている。
そんなことをもう長い時間、繰り返していた。
賽銭箱の前で、何十度目かに腕を組んだとき、突然背後から声がかかった。
「あんた、何やってんの?」
阿部は文字通り飛び上がった。
「うわあっ!」
声の主は例の遊女だった。
「な、なな、なんなの?ビックリするじゃない!」
「び、ビックリしたのはこっちだ!…なんだよ、夜鷹か?」
「いきなり失礼ねえ。あんた、おのぼりさん?こっちじゃあ、辻君って言うの」
「え?なに?なにが?」
阿部は目を細めて、聞き返した。
「夜鷹じゃなくて!辻君」
「へえそうかよ。何かにつけて持ってまわった言い方を好む京ことばにしちゃ、辻君ってのはまた、そのまんまだな」
「言っとくけど、別にあたしがそう呼べって頼んだわけじゃないから」
「で、京では、その辻君がこんなとこで客を引くのか?」
「辻君がお参りに来ちゃ悪い?」
「悪かないさ。そう言うことなら、さっさと済ましちまってくれ」
「あんたが邪魔なんだけど」
阿部が、さも面倒くさそうに場所を譲ると、辻君は拝殿の鈴を鳴らし、形ばかり二礼二拍一礼をやってみせた。
あてつけがましく長々と拝む女に、阿部はついイライラして、憎まれ口を叩いた。
「殊勝な心がけだな。遊女が信仰心を失わないのも都の流儀ってやつかい?江戸じゃあ、あんた方みたいなのを忘八つってな。三網五常の教えにはひとつの引っ掛かりもない人種って意味さ」
辻君は皮肉に動じる気配もない。
「ふうん、陰陽師みたいなこと言うのね?」
阿部はただ会話の糸口を与えただけだった。
「俺は本当に信心深いんだ。こういうとこを巡んのが趣味でね」
「そうは見えないけど。じゃあ、泥棒みたいに本殿のまわりをコソコソ這い回るのもご趣味ってわけ?」
「ひ、人聞きの悪いこと言うな!ちょっと中が気になっただけだ!」
「なら良かった。残念ながら、こんなオンボロ神社に盗むようなものは残ってないしね」
阿部は、とうとう挑発に乗って、賽銭箱のフチにトンと指を突きたてた。
「いいや!俺が大坂で聞いた話じゃ、ここに大層な宝剣があるそうじゃねえか。そいつをちょっと拝ませてもらおうと思ってな。いや、もちろん見るだけ」
ついに本音を引き出すと、辻君は蔑むようにせせら笑った。
「それ、いつの時代の話?そりゃあ大昔なら、宝剣やら、鏡やら、いわれのある神器の類もあったでしょうよ。けど、今は見てのとおり。京の寺社ってのは、以仁王の乱やら、応仁の乱やら散々戦火をくぐってきたうえに、太閤さん(豊臣秀吉)の頃には、地割り(区画の整備)もあってね。そんなのはとっくに煤になってるか、さもなきゃ、気の利いた誰かが売っぱらってる」
「…あんた、やけに詳しいな」
元来、単純な阿部は、腹を立てるどころか、目を丸くしている。
「秘密だけど、ここの神官もお得意のひとりですからね」
辻君が妖艶に笑った。
「じゃあ教えてくれ。ナントカの乱がどうとか、途中は端折っていいから、誰が、いつ、どこで宝剣を失くした?」
「さあ?いずれにせよ、そんなの何百年も前の話。今となっては誰にも…」
女は唐突に言葉を切ると、阿部の口もとに人差し指を押し当てた。
「ちょいまち!客が来た」
「客って、こんな真昼間から?ここで?」
辻君はフンと鼻を鳴らした。
「昼間の売り物は、また別なの」
「何を売ってる?」
「どっちにしろ、泥棒稼業にまで手を出す貧乏浪人に手が届くもんじゃないから、黙ってて」
「ケッ!勝手にしろ」
怒って背を向けた阿部を、辻君の一言が引き留めた。
「あんたさ、金がいるんでしょ?ちょっとここで待ってな」