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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
49/404

狙われすぎる男 其之弐

土方歳三 ―ヒジカタトシゾウ―、

彼をという人間を、とても一言で形容することは出来ない。

多摩の豪農(ごうのう)放蕩(ほうとう)息子、

人のいい薬売り、

女たらしの浪人、

新選組、鬼の副長、

冷酷(れいこく)な策略家、

母のごとく部下から(した)われた指揮官、

負け知らずの軍神(ぐんしん)

そして、義を(つらぬ)き通した武士。

土方は、その生涯において、何度も羽化(うか)を繰り返すように、みごとな変貌(へんぼう)()げていく。

一見、軽薄(けいはく)にすら見えるその変わり身の早さは、それでいてある種の美学が貫かれていた。

彼は奸智(かんち)に長け、ときに残忍ですらあったが、生涯を賭けて、その業をすべて背負うことを自らに課したのだ。


これは、土方歳三にとって長い戦いの幕開けであり、最初の変化を迫られる契機(けいき)ともなった出来事だった。


「退屈な毎日も終わりだ。そろそろ始めようぜ」

彼らには、それだけで全てが伝わることを、土方は知っていた。



一方、まさにその時、

彼らが手はずを申し合わせていた店の前を、男装した中沢琴が駆け抜けていった。


四半刻(しはんとき)もしないうちに智積院ちしゃくいんに着いた琴は、門番の土州兵どしゅうへいに清河のことをたずねた。


「あの(えら)そうな二人組かえ?取り次いちゃったけんど、追い返されよったぜ」

どうやら、山内容堂との面会は(かな)わなかったらしい。

「どっちへ行ったか判りますか」

「う~ん、あっちへ()によったかいのう」

門番は、自信なさげに漠然(ばくぜん)と北の方を指した。

琴は、その指の先にある鞍馬山くらまやまを眺めて途方(とほう)に暮れた。

「明るいうちに、大人しく帰ってくれればいいけど、無理ね。きっとヤケ酒をあおってる」



それでもまた、夜はやってくる。

日暮れどきから、霧のような雨が降り出していた。

(かさ)かぶった月の輝きが、堀川べりの八重桜をうす青く染めている。


近藤たちは、仏光寺通りの北菅大臣きたかんだいじん神社に身をひそめ、

もう二刻ふたときちかく、その場所にとどまっていた。

うっすらとした月明かりにも、すっかり目は慣らされている。

清河は来ない。

その長い長い時間は、彼らに不安な心象(しんしょう)をもたらした。


初めてヒトを殺すという、禁忌(きんき)に触れることへの畏怖(いふ)

だがそれには、かるい眩暈メマイを覚えるような、暗く、甘い歓喜(かんき)(かす)かに溶け込んでいる。


「来ますかね」

沖田総司は、そのほおをわずかに上気(じょうき)させながら、ささやいた。

「たぶんな」

永倉新八が、短く応じる。

「二人ですかね?」

「たぶん」

「は~あ、面白い人なんだけど。攘夷派じょういはってのは、やることがいちいち芝居がかってるっていうかさ、ガキなんだよな」

永倉は、ウンザリして沖田を睨んだ。

「う~るせえなあ、少しは黙ってろよ!」

「だってさ…」


土方歳三は、鳥居(とりい)に寄りかかって、二人の会話を聞くともなしに聞いていたが、ふと顔を上げ、(いまし)めるように言った。

「その青臭(あおくさ)衝動(しょうどう)ってのはな、まんざら(あなど)れねえ。なんたって、あの大獄(たいごく)を経験してなお、お(かみ)にたて突こうって連中だ。それも、若さゆえの妄信(もうしん)が成せるワザさ」

霧雨(きりさめ)しずくが、その睫毛まつげに光っている。


沖田は先ほどから、ほとんど無意識に刀の()に手をかけて、握りを確かめていた。

「つまり、我々は大人なんですよ」

狛犬(こまいぬ)の台座に腰掛けていた原田左之助が、面白くもなさそうに口をはさんだ。

「それとも、ジジイみたく分別(ぶんべつ)くさいだけかもなあ?」

沖田はぬかるんだ足元を見て顔をしかめた。

「ちぇ、気が()がれるよな。どうにも気乗りしませんよ、斬り合いってのは」

永倉は、土方を気にしながら、押し殺した声で沖田をしかった。

「あのなあ、誰だって殺さずに済むならそうしたいんだよ!」

「じゃなくて、返り血を浴びたら、今日は着替えがないんですよ」

沖田は悪戯(いたずら)っぽく笑った。


原田がのっそりと立ち上がって、尻をはたいた。

「ちっ、ここにもガキがいやがったぜ。それで余裕を見せてるつもりかよ」

「別に強がってるわけじゃ…」

沖田の抗議を、近藤勇の言葉がさえぎった。

「にしても、遅い。近道のこっちを通ると踏んでいたが、ひょっとして、芹沢さんたちの待つ四条通を選んだか」

先ほどからじっと腕組みをして、五条大橋の方角をにらんでいた井上源三郎が振り返った。

「あっちでカタをつけたら、平助が知らせに来ることになってる」

土方が井上に肩を並べて、同じ方向に眼をらす。

「だが、この時間だ。(メシ)を食って帰るなら、(にぎ)やかな四条を通る公算が高いぜ」

近藤は、この一件についてはすべて土方の指示に従うと決めていた。

「どうするんだ、歳」

「ここで、水戸組に手柄(てがら)をかっさらわれるのは面白くねえ」

「あっちにも、山南さんと平助がいるだろ?」

「あの二人はダメさ。まだ腹が座ってねえからな」

新見がグループを二つに分ける際、この計画に消極的な二人を芹沢隊に押し付けたのも土方だった。

近藤は不承々々(ふしょうぶしょう)うなずくしかなかった。

「かもな」

「近藤さん、永倉と総司を借りるぜ?俺たちは烏丸通まで出て、芹沢たちをだし抜く」

永倉が目をいてあきれた。

「おいおい、もう()()けかよ!?」

「なんとでも言え。ここで奴らに先を越されちゃ、あとあとやり(づら)くなんだよ」



同時刻、四条堀川。


芹沢たちもまた、同じようにれていた。

彼らは堀川の西側にある久留米藩邸の高いへいに身を隠している。

しかし、にぎやかな四条通も、この時間にはすでに人通りが()えて(ひさ)しい。

「ホントに来んのかね?もう別の道で帰っちまって、今頃本陣(ほんじん)に女でも連れ込んでんじゃねえのか」

世辞(せじ)にも気が長いとは言えない芹沢が、ひまつぶしのつもりか、鉄扇の先で白壁(しらかべ)をガリガリと引っいた。

「いや、来ますよ。それも、こちらの道をね」

彼の参謀(さんぼう)新見錦の言葉には、確信(かくしん)めいたものがある。

藤堂平助が、その根拠(こんきょ)のない自信を鼻で笑った。

「ふん、どうだか」

新見がジロリと藤堂をにらむのを見て、山南敬介がたしなめた。

「よさないか。こちらに来なければ来ないでいい」

「そりゃあ、オレだって…」

藤堂はのどまで出かかった言葉を飲み込んだ。

そもそも、この計画自体が気に入らない彼には、言いたいことが山ほどあったが、今さらそれを口にすることの(おろ)かさもよく分かっている。

だが、山南にとって一番の気がかりは、そうした藤堂の聡明(そうめい)さだった。

「言っておくが平助、相手が相手だ。ここまで来て迷いを振り切れねば、死ぬのはこちらになる」

「山南さんは斬れますか。清河を」

清河と同じ玄武館で剣を学んだ山南は、この中でも最も因縁(いんねん)が深いと言える。

しかし、無言でうなずいた山南の目には、すでに殺気が備わっていた。

藤堂は、気不味きまずさを(まぎ)らわせようと話をらした。

「でも、永倉さんまでスンナリこの話に乗ったのはちょっと意外だったな」

「何が正しくて、何がそうでないかなんて、考えたところで答えが出ないこともある。彼は知ってるのさ。我々に出来るのは、結局、そのどちらかを選ぶことだけだと」

山南は、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「けど、山南さんは…」

「もっとも、私自身、まだそういう風に割り切れていないがね」

山南の自嘲(じちょう)的な口ぶりに、イライラした芹沢が鉄扇を振り回す。

「ちぇ、やめろやめろ。なにを女みたいにウジウジ言ってやがる!悪党(あくとう)を一人ぶっ殺すのに、いちいち言い訳が必要か?」

新見錦がそんな芹沢を横目に見て、口の端をゆがめた。

「ひょっとして、彼の疑問には、あなたにも思い当たることがあるのでは?我々には、骨の(ずい)まで()み込んでいる水戸学の道徳観(どうとくかん)すら、あなたはどこか信じていないふしがある」

「は、買いかぶんなよ。難しすぎて、俺には理解できんだけさ」


その時、一味の平間重助が、鋭い声を発した。

「しっ!来たぞ!」


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