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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
47/404

幕末最強の剣士 其之参

背後では、なで肩の男が物騒ぶっそうな提案を持ちかけていた。

「ねえ、じゃあこうしましょう!誰でもいい。今ここでメシを食ってる者の中から、一番腕が立ちそうだと思う人を指差ゆびさしてください」

「なに?」

斉藤はいぶかしげに眼をすがめた。

「わたしが、すぐにでも真っ二つにしてご覧入れますよ」


背中合わせに座っている中村半次郎の顔が強張こわばった。


斉藤弥九郎が、声を荒げてたしなめた。

「そういう捨て鉢(すてばち)な物言いがいかんというのだ!」

かの剣豪をこれほど(あわ)てさせるのは、なで肩の男が本当に言った通りやりかねないという事だろう。

先ほどまでウダツの上がらぬ中年男にしか見えなかったその背中から、すさまじい殺気が立ち昇るのを琴も感じていた。


「じゃあ、出すものを出してくれませんか?何せ、はるばる江戸から、ここまでやって来るのに、路銀(ろぎん)も使い果たしましてね」

斉藤は、渋々財布から手持ちの金を取り出した。

「とりあえず、これでしのいでくれ。手当ての件は、桂先生と話をしてみる」

「頼みましたよ。下関へ従軍(じゅうぐん)するにも、具足(ぐそく)やらなにやら支度金(したくきん)ってものが要るんだ。まさかこの格好で行けとは桂先生も言わんでしょう」

男はくたびれた(はかま)まんでみせた。


先ほどから話題にのぼる「下関」は、長州軍が来たるべき攘夷決行に備えている土地だ。

こののち、長州は下関の馬関海峡(ばかんかいきょう)封鎖(ふうさ)して列強(れっきょう)諸国と火蓋(ひぶた)を切ることになるが、今やみかどと将軍の謁見(えっけん)り、あとは戦闘開始の号令を待つばかりであった。


「わかった、わかった。で、仕事の話だが」

斎藤弥九郎は男をなだめ、本題を切り出した。

「名前を言ってくれりゃあいいですよ」

「え?」

「誰ぞ斬れって言うんでしょう?」

なで肩の男は、まるで天気の話でもするようにたずねた。

隣の客や、後ろにいる琴たちを気にもしていない。

「あ…ああ」

妙に物分ものわかかりのいい返事に、斉藤も戸惑とまどいを隠せなかった。

彼は周囲を見渡してから少し身を乗り出し、声をひそめた。

「相手は庄内脱藩浪士しょうないだっぱんろうし北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう免許皆伝(めんきょかいでん)で、あの玄武館げんぶかん塾頭(じゅくとう)も務めた男だ。強い」

「清河八郎ですか、有名人だ。わたしにお声が掛かるからには、それなりの人物だろうことは想像してましたよ。今、こっちに来ているんですか?」

琴はその言葉に一瞬身をかたくしたが、中村半次郎にも動揺(どうよう)気取(けど)られたくなかったので、なんとか平静を(よそお)った。


「声が大きい」

斉藤弥九郎が鋭く制した。

彼自身の声も決して小さいとは言えなかったから間の抜けた話だが、彼は警戒するようにチラリと琴たちに眼をやった。

琴は中村半次郎に微笑ほほえみかけながら、素知そしらぬ風を装う。

中村も調子を合せてボソボソと適当な話をデッチ上げた。


斉藤弥九郎に二人を怪しむ気配はない。

と言うより話に熱が入りすぎて、今の彼にはそこまで気が回らないようだ。

「先日、浪士組というのを(ひき)いて京に入った。以前は攘夷の(サキガケ)たらんなどと吹いていたはずが、投獄(とうごく)されて寝返ったらしい」

彼は、清河八郎の変節へんせつ憎々(にくにく)しげに語った。

にしう練兵館の道場主といえど、血気盛んな長州藩士たちと交われば、攘夷思想の洗礼(せんれい)まぬがれないということか。

しかし、なで肩の男にとって、人が死ぬ理由などはどうでもいいようだ。

「政治向きのことは分かりませんが、とにかくそいつを殺せばいいんですね」

そのお座なりな返事が、斉藤の(かん)(さわ)ったらしい。

「前にも言ったが、世間の情勢じょうせいにも眼を向けてみたらどうだね。あなたの放蕩ほうとうぶりは、高杉の悪ふざけとは訳が違う」

「何度も言いますが、わたしという男には刀を振り回すしか能がなくてね。なにぶん、ココの作りが学問には向いてないらしい」

なで肩の男は、頭をコツコツと指の先で叩いて笑った。

「ではせめて、その自堕落(じだらく)な生活を改めたまえ。さもなくば、やがて酒で身を滅ぼすことになるぞ」

「ご心配かたじけないが、その時が来れば、ちゃんと酒は抜きますよ」

男は素っ気なく言って、席を立った。

斉藤はその腕をつかんで、最後にもう一つ言い添えた。

「近々、浪士組に長州の間者かんじゃもぐり込ませる手筈てはずになっている。清河の行動が先読みできれば、ことは容易(たやす)かろう?」

「その辺りはお任せしましょう」


男は出口に向き直り、琴は初めてその顔をの当たりにした。

無精髭(ぶしょうひげ)を生やし、酔っているせいかトロンとした眼をしている。

先ほど発していた殺気がウソのように、威圧感(いあつかん)というものはまるで感じられない。

どこにでもいる、四十がらみの中年男だ。

それどころか、極端(きょくたん)ななで肩のせいもあって、頼りなさそうにさえ見える。


二人の前を横切る瞬間、彼はふと琴に目を留めて、何を思ったか、にっこりと微笑みかけた。

琴は恐怖で眼をらすことも出来ず、

そのまばたきするほどの時間が、まるで永遠のように感じられた。


男が店を出てゆくと、今まで黙っていたもう一人の男が、斉藤の顔を不安げにのぞきこんだ。

「よかったんですか?いくら腕利(うでき)きとはいえ、浪士組にまもられた清河を、ひとりで相手するのは少々()が重いと思いますが…」

「かと言って、あの男が軍隊の一員として役に立つと思うか?結局、ああした使い道しかないんだ。失敗すれば、それもまたよしさ」

「しかし、桂先生がわざわざ呼び寄せたお方です。斉藤先生の一存で勝手に…」

「桂さんは分かっとらん。仏生寺弥助、あれはわが神道無念流が()み落とした鬼子(おにご)だ。一度、白刃(はくじん)を抜かせれば、誰にも止めることなど出来ん」

斉藤弥九郎は、まるで()まわしい言葉のように、その名を口にした。


二人が金を置いて店を出て行ったとき、琴は、あの男こそが清河の言う謎の刺客だと確信していた。


仏生寺弥助 ―ブッショウジヤスケ―、

のちに幕末最強の剣士と言われた男。

彼は長州藩士ではない。

もとは練兵館の風呂焚(ふろた)きとして雇われた百姓(ひゃくしょう)の子で、そもそも武士ですらなかった。

ふとしたきっかけから、道場の食客(しょっかく)岡田十松に、そのズバ抜けた剣才を見出(みいだ)され、その後、わずか17歳で免許皆伝に至ったという、まさに異色の経歴の持ち主である。


しかし彼の名を後世の歴史書に見ることはほとんどない。

なぜなら、彼は強すぎた。

その強さはあまりに苛烈かれつをきわめ、

ついに誰にも制御することはかなわなかった。

そしてそれは、彼自身すら例外ではなかったのである。


長州藩が彼に近づいたのは、桂小五郎の働きかけによるものだった。

仏生寺には、神道無念流の同門(どうもん)である桂と個人的なつながりがあって、清河にもなかなか正体がつかめなかったのはそのためである。



「おかしなことに巻き込んでしまって、すみませんでした」

ようやくやってきた朝粥(あさがゆ)をハシの先でかき混ぜながら、中村半次郎は(わる)びれる様子もない。

琴は、(わん)のふちを指でなぞりながら、顔を上げずにたずねた。

「今のは?」

長州閥ちょうしゅうばつ不穏分子(ふおんぶんし)ですよ。後をつけてみたら、思わぬ陰謀(いんぼう)に行き当たったってとこでしょうか。しかし、どうやら我が薩摩のあずかり知らぬ話のようだ」

「どうされるおつもりですか?」

「どうって、別になにも?浪士組というのは、最近京にやってきた幕府方の実動(じつどう)部隊でしてね。まずは静観(せいかん)して、彼らのお手並みを拝見(はいけん)するつもりです。こりゃあ、見ものですよ。ふふ、どうです、都と言うのは面白いところでしょう?」

愉快(ゆかい)げに笑って、中村は琴に酒を()いだ。

「…」

琴は口をつけず、ただ中村をじっと見つめている。

しかし、たいていの男なら怖気(おじけ)づく、吸い込まれそうな黒い瞳も、中村には通用しなかった。

「察するに、あなたの『いい人』も、今の連中と同じようなことに手を染めているのではないですか」

「だとしたら、わたしが正直に答えると思いますか?」

琴は表情を変えずに問い返した。

「さあね。恋をする女性にこんな忠告など無意味かもしれないが、もしそうなら、別れたほうがいい。ああいう連中は、ロクな死に方をしませんから」

中村は、登勢とせから聞かされた話を念頭(ねんとう)にしゃべっているのだろうが、それは山南敬介に当てはめても、同じことが言えるように思えた。

「どうして、あなたにそんなことが分かるんですか」

琴がキッとした眼でにらむと、中村は例の魅力的な笑顔で応えた。

「私も奴らと同類だから、ですよ」


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