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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
46/404

幕末最強の剣士 其之弐

琴は眉をひそめた。

京にいる諸藩の有名人については、清河からある程度のレクチャーを受けている。

人斬り半次郎といえば、「青蓮院宮衛士(しょうれんいんぐうえじ)」 第一の使い手ではなかったか。

つまり「公武合体派こうぶがったいは」の中心的存在、中川宮(なかがわのみや)を守護する組織の一員ということだ。

それが、なぜ敵方(てきがた)である「尊皇攘夷派の巣窟(そうくつ)」寺田屋にいたのか、理屈に合わない。


ちょうどこの頃、孝明帝こうめいていが、御所ごしょから将軍徳川家茂を引き連れ、上賀茂かみがも下賀茂しもがも神社へ攘夷祈願じょういきがん行幸ぎょうこうされたばかりということもあって、ちまたでは、そのきらびやかな行列の話題で持ちきりだった。

それはまさに“引き連れて”といった表現が相応ふさわしい演出で、たちの悪い長人(長州者)が将軍を揶揄からかうような罵声ばせいを浴びせたという風聞ふうぶんなどもあって、どことなくキナ(くさ)い匂いが漂う、このタイミングも気になる。

琴は知るよしもなかったが、その長人こそ、松下村塾しょうかそんじゅく四天王として久坂玄瑞と並び称される高杉晋作だった。


薩摩藩の方は、今のところ、公武合体策にも協力的で、表立って幕府に敵対する姿勢は見せていないものの、虎視眈々(こしたんたん)と政権への参画(さんかく)を狙っているというのが、もっぱらのうわさである。

中村半次郎の動きを、それと結びつけて考えてしまうのは、なにも突飛(とっぴ)なこととは言えまい。

万が一、彼ら薩摩藩が「尊皇攘夷そんのうじょうい」を公然とかかげるようなことにでもなれば、その中村は、幕府にとって、つまり山南敬介らにとって、恐ろしい敵になるはずだ。


「今の方は、どなたかに会いにいらっしゃったんですか?」

階段を見上げながら聞く琴に釣られて、登勢も同じ方を向きながら、

「そうどっしゃろなあ。まあ、あんまり深入りはせんようにしてますのや。いとはんも安積はんと一緒どしたら、うちが言うてる意味、解りますなあ?」

と、暗に警告を与えた。

琴は口元を引き結んで小さくうなずいた。

「それに、今どきコレに本名書かはるお客さんもらしまへんさかい。あの人がうてはるお方が、どこの何方どなたかやなんて考えるだけ無駄どすわ」

登勢は宿帳やどちょうを振ってみせながら、帳場(ちょうば)に引っ込んでいった。

琴はため息をついて、中村が出て行った玄関をふり返った。

「お部屋まで、ご案内します」

仲居が不思議そうに琴の顔をのぞきこんで声をかけた。



ところが、翌日、琴はまた、その中村半次郎に行き合うことになった。


その朝、「京見物に出かけてくる」と告げて宿を出た琴は、いちど壬生村に戻るため、市中の方角に向かった。

すると四半里(しはんり)ほど行った先の、高瀬川に掛かる橋の上で、中村がこちらを見ながら微笑ほほえんでいる。

「やっぱり。似た人がこっちに歩いてくるのが見えたから待ってたんですよ」

琴はとぼけても無駄だと観念(かんねん)して頭を下げた。

「中村様、ですね?おはようございます」

「いやあ、実はすぐそこに、われわれの藩邸がありましてね。昨日は一晩そこで過ごして、これから出勤なのです」

「出勤?」

「ええ。私の持ち場は青蓮院しょうれんいんといって、都の北です。此処ここからだと一刻いっときはかかる」

「それは毎日通うのも大変ですね!」

琴は大げさに驚いて見せた。

「いやいや、市中にも藩邸はあるんですが、昨日はこちらに野暮用ヤボようがありましてね」

中村の口ぶりは開けっぴろげで、とくに人目をはばかる風もない。

「おとみさんは、京見物ですか」

「ええまあ、そんなところです」

琴は油断のない目つきで応えた。

「いやだな。朝っぱらから口説(くど)いたりしませんから、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。それより歩きませんか。市中の見物なら方角は一緒だ」


二人は連れ立って歩きはじめた。

中村はしきりに他愛(たあい)のない話題を持ち出しては、琴の気を引こうとしているように見える。

しかし、中村が自分の方を向いて話しかけるふりをしながら、ときどき後方に素早く目を走らせるのを琴は見逃さなかった。


やがて、中村は小さな料理屋を通り過ぎた辺りで急に立ち止まると、手を打った。

「そうだ!そこの店で朝粥あさがゆでもどうです?ご馳走(ちそう)しますよ」

「あの、わたし、朝食は宿で済ませてきましたから」

琴は手を振って断ったが、中村はその手をつかんで、もう引き返していた。

「いいから、いいから」

この誘いには、何か事情があるらしい。

そう察した琴は、大人(おとな)しく従うことにした。


店に入ると、こんな時間から酒を飲んでいる浪士がふた組、それに市場いちば帰りの商人たちが遅い朝食をとっていたりして、それなりに混みあっている。

店内は「うなぎの寝床(ねどこ)」と呼ばれる京町家(きょうまちや)独特の造りで、奥行きはあるが、間口(まぐち)三間(さんけん)(約5.5M)程度しかない。


「ここにしましょう」

中村は入口に近い空席を選び、二人は差し向かいに座った。

琴は、中村の背後で仲居(なかい)に食事を注文している三人の浪士たちを見た。

こちらを向いている二人は、ともに三十代くらいのがっしりした浪士で、なかなか身なりもいい。

特に向かって右側に座っている面長(おもなが)の男は、ただ者でない雰囲気を漂わせていた。

もう一人は背中しか見えないが、なで肩のひょろっとした男で、着物もどこか薄汚れている。

風采(ふうさい)の上がらない中年男といった感じだ。


おそらく中村半次郎の目的は、この三人組だろうと琴は踏んでいた。

道を歩きながら、時おり背後を気にしていたのは、この三人が後ろを歩いていたからに違いない。

つまり、自分はカムフラージュに利用されたらしい。

彼らがこの店に入ったので、ここに連れ込まれたのだろう。


琴は小首をかしげて、軽く中村をにらんだ。

もっとも彼の方も、自分の魂胆(こんたん)見透(みす)かされているのは先刻承知(せんこくしょうち)といった風で、申し訳なさそうに少し微笑ほほえむと、くちびるに人差し指を立ててみせた。


店内は雑多(さった)ざわめきに満ちていて、例の三人組は、さほど周りを気にしていないようだ。

どうやら場を仕切っているのは面長おもながの男で、(しゃく)を受けながら一人でしゃべっている。


この男は、名を(二代目)斉藤弥九郎といって、江戸は九段坂下にある剣術道場、練兵館れんぺいかんの当主である。

ただ、おなじ道場主でも、あの近藤勇や中沢良之助などとはわけがちがった。

神道無念流しんとうむねんりゅう練兵館は、当時、江戸の三大道場のひとつに数えられる名門だった。

彼の父、初代しょだい斉藤弥九郎さいとうやくろうは、浪士組の芹沢鴨、永倉新八らの師にあたる。

そして、二代目斎藤弥九郎も、鏡新明智流(きょうめいしんちりゅう)の桃井春蔵、北辰一刀流の千葉栄次郎らと並び称される剣豪(けんごう)だった。


いわく、“位”は桃井、“技”は千葉、“力”は斉藤。


桂小五郎など、長州藩の名だたる剣士たちの多くは、この斉藤弥九郎の門徒(もんと)であり、そして、斉藤自身は逆に、桂たちから思想的な影響を強く受けていた。


その斉藤が、差し向かいに座るなで肩の男に言った。

「あなたが下関に向かう前に一つ仕事を頼みたい。これは桂先生からではなく、私自身の依頼だ」

なで肩の男は、まだ店に入って一杯も飲んでいないのに、すでに酒の匂いをぷんぷん漂わせている。

彼は、いかにも自堕落(じだらく)な浪人を思わせる物腰(ものごし)で、手をにぎり合わせた。

「ええ、ええ。わたしは別に仕事のり好みはしませんよ。ですがその前に、まずお金の話をしませんか?」

斉藤弥九郎は、男の吐く酒臭い息に顔をしかめながら、

「それは、今回の働き次第だ」

とつっぱねた。

「待ってくださいよ。今さらわたしを試そうなんて。わたしのことは、あなたも桂さんもよくご存知じゃないですか」

相手の男は、懇願(こんがん)するような口ぶりで抗議しはじめた。


「腕がなまっていないとも限らん。今のあなたのザマを見れば、とても大事を任せられるとは思えんよ」

そこへ仲居なかいが三人の食事を運んできて、話は一旦途切れた。


中村半次郎がちょうどいいという風に手をあげて、仲居に声をかけた。

「こっちも注文、いいかい?」

仲居は三人分の(ぜん)(きゅう)し終えると、琴たちの方にやってきて、

「おまちどうさん」

と微笑んだ。

「われわれも(かゆ)をもらおう。あと、そうだな。冷酒(ひやざけ)を一つ」

中村は手早く注文を済ませて、ふたたび後方へ意識を集中する。

「これからお仕事なのに、飲むんですか?」

琴の口調には、遠慮(えんりょ)がちながらもとがめるような響きが混じっている。

中村は露骨(ろこつ)に話しかけられるのを嫌って、手を振った。

「飲むのは私じゃない。無理やり誘ったお()びですよ」


琴は無言で小さくかぶりを振りながら、天井をにらんだ。


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