表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
別離之章
45/404

幕末最強の剣士 其之壱

幕末の若いサムライたちというのは、勝手な思い込みでずいぶん簡単に人を(あや)めたものだったが、命を狙われる側も危機管理についてはかなり大雑把(おおざっぱ)というか、無頓着(むとんちゃく)な人間が多かった。

国事(こくじ)周旋(しゅうせん)奔走(ほんそう)しているかぎり、つまり自分に()すべきことがあるかぎり、天は自分を生かしておくはずだという、根拠(こんきょ)のない自信を持つ運命論者(うんめいろんしゃ)のたぐいだ。

勝海舟しかり。


そして、清河八郎しかり。


都のそこかしこに咲き誇っていた桜もすっかり花びらを散らした頃。

清河は、あいも変わらず次なる謀略(ぼうりゃく)の準備に忙しかったが、中沢琴はそろそろ彼に振り回されるのにもあきあきしていた。

清河はさきごろ浪士組結成の真意(しんい)を明かして、公然と幕府方を敵にまわしたばかりだ。

ただ、尊王攘夷派のなかには、幕府におもねって浪士組などというものに関わった彼を、まだ裏切り者とみなしている(やから)も大勢いたのである。

つまり清河のまわりには、どこを向いても敵しかいなかった。

琴は護衛として、つねにこの嫌われ者の周辺に目を光らせていたものの、次第にそれにも限界があると感じはじめていた。


なかでも一番気がかりなのは、長州が雇ったという男だ。

清河が言うには、とにかくバケモノのように強いらしいが、それ以外のことは何もわからない。

虎尾(こび)の会」には、長州、土佐、肥後など過激派の動静(どうせい)に詳しい人間も少なくないというのに、この剣士に関するかぎり、その素性(すじょう)、経歴など一切(いっさい)が不明なのだ。

これでは、今のような少人数で清河を守ることは難しい。

琴は相手の出方をうかがっていては不利だと判断した。

幸いなことに、もっとも警戒すべき「人斬り以蔵」は勝海舟の護衛に転職したというし、「人斬り新兵衛」の方もこのところナリをひそめている。

つまり、攻めに転じるにはいい頃合いだ。


「考えたんだけど」

新徳寺の寺宿(てらやど)田辺家に滞在(たいざい)していた清河は、この日、床机(しょうぎ)で書き物をしていたところへ、お茶を運んできた女中がいきなり声をかけてきたので、びっくりして顔を上げた。

「あ、あんたか。誰かと思ったよ」

それが中沢琴だとようやく気づいて目を丸くする清河に、彼女はお茶をタンと置いて冷たく言った。

「私がずっと天井裏か床下にでも隠れて、あなたを見張ってると思ってたの?」

琴は、この寺宿の主人田辺吉郎に清河警護の用向きを伝えて、使用人にまぎれ込んでいた。

市中を探し回っていた山南敬介らも、灯台下暗(とうだいもとくら)しで、すっかり裏をかかれていたわけだ。

「いや…ずいぶん可愛い奉公人がいるなあとは思ってたんだがね」

「ありがと」

見え透いたお愛想(あいそ)につき合うつもりはないらしく、琴はさっそく本題に入った。

「考えたんだけど、どうもただ待ってるのは(しょう)に合わないから、その長州の腕利(うでき)きというのを捜してみようと思う」

「おいおいそのあいだ、おれの警護はどうなる」

「山岡(鉄太郎)様のそばを離れないことね。だいたい、あなた玄武館の塾頭(じゅくとう)まで務めた腕でしょう。自分の身くらい自分で守って」

「たいした護衛もあったもんだな」

清河は、(ひざ)を打って笑ったあと、こうアドバイスした。

「伏見の寺田屋にしばらく宿をとってみろ。あそこは尊攘派の巣窟(そうくつ)だ」

「…了解」

琴ははじめて小さく笑った。



翌日。


「お客さん、お一人どすか」

寺田屋の女将が、すこし驚いた顔でたずねた。

今日の中沢琴は、小紋(こもん)すがたで髪を丸髷(まるまげ)()っている。

この時代、若い女性客が一人で船宿(ふなやど)に泊まることなど、滅多(めった)にあることではなかったから、女将が不審(ふしん)に思うのも当然だった。


安積(あさか)様とここで落ち合うことになっておりまして」

琴は、清河から教えられたとおりに答えた。

「安積」という名を出したのも清河の指示だ。

女将(おかみ)は斜め上に視線をただよわせて、なにか思い出そうとするように顔をしかめた。

「安積…安積五郎はん?」

「ええ。二人で江戸を()って京まで一緒だったのですけど、あの方は所用(しょよう)でそのまま丹波に足を伸ばされまして、私には、もどるまでここで待つようにと」

そこまで言うと、女将はなにごとか察したようにうなずいた。

「よろしおす。ごゆっくりしとくれやす」


この船宿の女将「お登勢」は名にしおう女傑(じょけつ)で、攘夷活動(のちには討幕(とうばく)運動)にかかわる多くの志士たちを幕府からかくまったり、ときには逃がしたりと、幕末史においても重要な役割を果たした。

だからこそ、当時の寺田屋は尊攘派の拠点として機能していたのである。

一方、安積五郎というのは清河の盟友(めいゆう)で、例の関白・京都所司代襲撃計画にも一枚かんでいたから、寺田屋とも浅からぬ縁のある人物だった。

登勢は、何か事情があって安積がこの娘を京に残したのだろうと気を()かせたのである。


「せやけど、安積はんもスミに置けまへんなあ」

登勢は、少し身をひいて琴を眺めながら、飾り気のない性格そのままの笑顔を見せた。

琴のほうは、少し後ろめたさもあって申し訳なさそうに頭を下げると、差し出された宿帳(やどちょう)に、でたらめな名前を書きはじめた。


そのとき。

「お登勢さん、邪魔したね」

身なりのいい若い客が二階から軽い足取りで降りてきて、琴の背中越しに宿帳をのぞき込んだ。

「ほほう、お富さんか。きれいな字を書く」

「え?」

琴がふり返ると、その青年は妙に魅力的な微笑をうかべて、頭を()いた。

「私は読み書きがダメでね」

「いとはん(お嬢さん)、口きいたらあかんえ。そのお人は手ぇ早いんやさかい」

登勢がぴしゃりと言った。

「なんだよ、それは」

「中村はん、ご用が済んだんやったら早ようお帰りよし」

「怖いなあ」

中村とよばれた青年は、琴におどけた顔をして見せた。

なかなかの二枚目で、薄紫の羽二重(はぶたえ)などを羽織っているあたり、たしかに当世のプレイボーイ風だ。

琴はどうしていいかわからず、あいまいな笑みを浮かべる。

登勢は二人の間に割って入るようにして、中村のものらしき下駄をそろえた。

「このいとはんは、うちのお得意さんのええお人どすのや。うちでお(あず)かりしてる最中に悪い虫がついてしもたら、宿の評判にかかわります」

「じゃあ今日は帰ります。お富さん、あまり女将の話を本気にしないでくださいよ。次は邪魔の入らないところで会えればいいが」

中村はふわりと上り(かまち)を降りると、少しはにかむように軽く手をあげて出て行った。

「ほんまに調子ええんやから!あれで中村半次郎ゆうたら、京で知らんもんがおらんほど強いお人なんどすえ」

お登勢は(あき)れた顔で言った。


中村半次郎。

その名は琴にも聞き覚えがあった。

薩摩の「人斬り半次郎」と言ったほうが通りがいいかもしれない。

在京(ざいきょう)剣客(けんかく)のなかでも、まずは五本の指に入る手練(てだれ)である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ