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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
花見之章
42/404

黒猫が見た夢

不思議な夜だった。

たゆたうように流れる雲が天をおおい、

月も出ていないのに、空はなぜかうっすらと明るい。


黒い影がふたつ、こちらに向かって歩いてくる。

「来たぞ」

仲間の誰かがささやく声に、阿部慎蔵は身体をかたくした。

ひたいに汗がつたう。


彼らは建物の影に身をひそめ、二人が間合まあいに入るのを待った。

一歩、また一歩、その距離が縮まる。

二人に刺客しかく警戒けいかいするそぶりは見えない。

阿部たちは抜き身をかまえた。

もう眼と鼻の先、息づかいが聞こえるほどの近さだ。


どこかで、猫が鳴いた。

その声に背中を押されたように、阿部は標的ひょうてきの背後へ飛び出していた。


紋付のぶっさき羽織を着た総髪そうはつの男、

そして、もう一人は見たこともない奇妙な風体ふうていで、

男のくせに髪にクシ差している。

こっちが、岡田以蔵だ。

阿部はなぜか直感的にそう思った。


気合を込め、大きく振りかぶる。

気配を察したのか、以蔵が振り返り、

そして、わらった。

その顔面には、両端りょうはしの吊り上った大きな口と、そこからのぞく白い歯だけが張り付いている。

「バケモノが!」

気がつけば、阿部は一対一で以蔵と対峙たいじしていた。

土壇場で臆したのか、仲間の姿が見えない。


人斬りと恐れられた怪物かいぶつにただひとり身をさらしているというあせりと、

仲間に裏切られたという怒りが、ないぜになって全身をけめぐる。

阿部は叫び声を上げて斬りかかった。

しかし、

渾身こんしん一太刀ひとたちはあっさりかわされ、阿部は敵に背中をさらした。


「オマエノテキハ、ワシジャナカロウ?」

すれ違いざま、人斬り以蔵がくぐもった声でそう言った。


阿部は、背後に何かをくような音を聞いた。

背中が熱い。

脚をつたって生温かいものがしたたり落ちるのを感じる。

そして足元に、あざやかな血だまりが広がっていくのを見た。


肩口から腰にかけて、ほとんど分断されていると言っていいほどの深手ふかでを負っているのに気づく。

なぜか、痛みは感じない。

が、これは助からない傷だ。


点々と血を滴らせてあとずさりながら、阿部は再び身がまえる。

しかし、すでに以蔵を見失っていた。


と、そのとき、

かすかな物音がして、反射的に後方へ刀を払う。


刀身は、まぐれ当たりで何かをとらえた。

しかし手ごたえが、妙に軽い。

小さなかたまりが転がるのを視界しかいのすみにとらえて、足元を見ると、黒い猫が横たわっている。

その横腹は、阿部がいだ刀でぱっくりとけていた。

「ああ…」

たった今まで人を殺そうとしていた男が、猫の命を奪ってしまったことに、ひどく動揺どうようしている。

まもなく自分の命がきかけようとしているのに。

阿部は足を引きずりながら、猫にけより、おもわず手を伸ばした。


そして、眼を疑った。


猫の切り口からは、血肉ちにくではなく、見たこともないような機械カラクリのぞいている。

小さな歯車はぐるま明滅めいめつする赤や青のランプ

こっけいなことに、阿部はここに至ってなお、この事実につじつまの合う説明を求めていた。

これは舶来はくらいのカラクリ人形で、これがうわさに聞くアメリカの技術力というものなのだろうか?


呆然ぼうぜんと猫のカタチをしたガラクタを見下ろしていると、

今度は首筋に、ガツンという衝撃しょうげきを感じた。


阿部は、天地がくるくると回るのを見た。

空に、円盤えんばん状の物体が、雲のように浮かんでいる。

それがなにか考える間もなく、また空が落ちてきて、

入れ替わりに大地が頭上にせり上がって行く。

地面、いや天井には、勝海舟と、人斬り以蔵、それから…首のない死体が張り付いている。


「あれは…池内大学いけうちだいがく?いや…」


阿部にはその着物に見覚えがあった。

そう、今朝も見たばかりだ。

それは、阿部自身の身体だった。

彼は首だけになって、回転する世界を俯瞰ふかんしていた。

やがて、地面がすごい勢いで迫ってきて、阿部に激突げきとつした。


文字通り手も足も出ない彼は、

慣性かんせいにまかせるまま地面を転がっていく。

こんな長い坂があったかと思うほど、

天地が上へ下へと入れ替わっていくのを見続けたのち、

やがて空は本来あるべき位置に静止した。


首だけになったというのに阿部の意識は妙にはっきりしていて、

そういえばあの空に浮いている円盤はなんだろうと眼をこらした。

よく見ると、円盤には放射線状に血管のような模様もようが浮き出ていて、その中心から下に向かってくだえている。

いや、あれは植物のくきだ。

阿部にはなぜか、それがはすの葉の裏側だと分かった。

そして、自分は池の底にいて、水面を見上げているのだと気がついた。


「なんだ。俺はもう死んでるのか?」

では、ここは黄泉よみ(死者の国)なのだろうか。

あの長い長い坂道は、話に聞く黄泉比良坂よもつひらさかだったのか。


「ようこそ。」

頭上から声がして、

見ると、三条河原で会った着流しの浪人が、阿部を見下ろしている。


しかし、今の彼は、いな、彼女は、

血のようにあかい西洋のドレスを身にまとっていた。

「おまえ、女だったのか」

女はただ、妖艶ようえんな笑みを浮かべるばかりだ。

その腕には、先ほどの黒い猫が抱かれている。


阿部はさらに声をかけようとしたが、

口の中に違和感いわかんを感じて、言葉を発することができなかった。

なにか小さいモノが、無数にうごめいている。

口内ばかりではない。

阿部の顔じゅうを、おぞましい感覚がはいい回っていた。

彼は必死で眼を動かし、それが大量のウジであることを知った。


「ああああああああああああああああああああああああああ!」


しかし、今の阿部にはどうすることも出来ない。

視界がどんどんムシたちに覆いつくされていくなか、

彼が最後に見たものは、

冷たい眼で見下ろす赤いドレスの女だった。


まもなく、彼の世界は暗闇くらやみに閉ざされた。



それから、

どれくらいの時間が経っただろうか。


静寂せいじゃくの中、

阿部はじわじわと五体ごたいの感覚がよみがえっていくのを感じた。

首が、胴体どうたいが、腕が、脚が、そして、指先が、

まるで植物が繁殖はんしょくするように、再生されてゆく。


夢うつつで立ち上がると、すでにあのウジの群れは姿を消していて、

目の前には、赤いドレスの女だけが変わらずたたずんでいる。


ホッとしたのもつかの間、

女がゆっくりとした動作で阿部を指差した。


それを合図に、彼の周囲に幾筋いくすじもの気泡がき上がり、

地の底から八人の甲冑かっちゅうを着た武者むしゃい出してきた。

彼らはみな、死人のように土気つちけ色の顔をして、

ぎこちない動作で阿部に近づいてくる。


阿部はあわてて腰の刀を抜いた。

彼らを追い払うようにそれを一振りすると、

なぜか武者たちは、身の毛もよだつような叫び声をあげ、

拍子抜ひょうしぬけするほどあっさりと、粉々にくだけ散った。


赤いドレスの女が、突然鬼のような形相ぎょうそうになって、

阿部に向かって怒鳴どなり始めた。

しかしそれは聞いたこともない異国いこくの言葉で、意味が分からない。

彼女は阿部の手にした刀を指しながら、しきりになにかくしたてている。


阿部はそのとき初めて、それが自分の佩刀はいとうではないことに気づいた。

刀身に七つの光芒こうぼうが浮き上がっている。

これは、そう、「七星剣しちせいけん」だ。


赤いドレスの女が、両手を広げておそい掛かってくる。

阿部の眼前に、禍々(まがまが)しい美しさをたたえた女の顔が迫る。

間近に見るその瞳には、漆黒しっこくの闇だけがうつされていた。


阿部は、

絶叫した。



「…ぉぃ…おい!おい!」

肩をさぶられる感覚に、阿部は我に返った。

目の前にあったはずの女の顔は、せたサムライのそれに変わっていた。

「…夢か?」

ぼんやりとつぶやいて、あたりを見回す。

そこは、三日ほど前から滞在している船宿ふなやど「寺田屋」の一室だった。

それでも、自分が眠っていたのか、起きたままあの光景を見たのか判然はんぜんとしない。


貴殿きでん、阿部慎蔵だな」

痩せた男が抑揚よくようのない声でたずねる。

「…ああ」

まだ、朦朧もうろうとしながら阿部はこたえた。

むかえに来た。仕事だ」

それが勝海舟の暗殺を意味する言葉だとわかると、阿部はようやく現実とり合いをつけ、男を見た。

その顔には見覚えがある。

「あんた、中書島で俺から薬を買った長州藩士だな」

男はニヤリと笑っただけで、それには応えず、

「さっさと支度しろ」

と告げた。


阿部は、自分がつぶやいた「薬」という言葉に、別の記憶を呼び起こされた。

「そういえば」

不相応ふそうおうな金を手にして気が大きくなった彼は、その夜もまた深酒ふかざけをして、酔った勢いで、例の薬を一服いっぷく飲み下してしまったのだ。


「…ひょっとして今のはあの薬のせいか?」


どこかで、猫が一声鳴いた。


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