続・暗殺指令
この頃、いかに暗殺と言う手段が日常的に行われていたかを物語るように、ここにもう一つの計画が進行していた。
同日、夜の五つ正刻(21:00pm)。
阿部慎蔵は、長州の男から伝えられた言葉に従い、なんとか壬生寺を探し当てた。
都の中心部に近いといってもやはり農村のこと、この時間では辺りも真っ暗闇だ。
表門をくぐると、鐘楼のわきに人魂のような光が浮かんでいる。
それが行灯の明りだと気づいた阿部は、ゆらめく光をたよりに、目的の女に辿りついた。
「おやまあ、しばらく見ないうちにずいぶん痩せたわねえ」
開口一番、辻君に痛いところを突かれた阿部は、精いっぱい冗談めかして応えた。
「おかげさんでな。あれから三月ぽっちで人生の辛酸を舐め尽くしたよ」
「それで、来る気になったわけ?苦労がひとを成長させるって、ほんとね」
「御託は沢山だぜ。だいたい、こんな時間に寺んなかで待ち合わせなんて、どういう趣味だ?」
阿部は薄気味悪そうに辺りを見わたしながら、不平を漏らした。
「この辺りは最近、あたしらの狩り場なの。町外れだから物騒な連中も来ないし、安心して仕事ができる」
「これじゃあ、物騒な連中は来ないかもしれんが、客も通りかからんだろう」
辻君は笑顔で、開いた両手を天に向けてみせた。
「サカリのついたオスなんて、何処にでもいるわ。ここを仕切ってる郷士連中なんて、笑っちゃうわよ。村の寄り合いじゃ商売女がうろついて困るなんて眉をひそめて話し合ってるくせに、夜になれば、人目を忍んで入れ替わり立ち代りやって来るんだから」
「…なるほどね」
「おまけに、最近は阿呆な浪人の集団が長逗留してる。だから、入れ食いなの」
「…浪士組かよ。やつらこの村にいるのか」
阿部は、三条河原で見たおかしな集団を思い出した。
「そ。ほら、聞こえない?どっかのバカが歌ってるのが」
耳をすませば、風に乗って調子っぱずれな長唄が、かすかに聴こえる。
酒に酔った浪士の誰かが歌っているらしい。
「今さらこんなことを聞くのも変だが、だったらなぜ、この村にいるそのバカだかアホだかの一人に殺しを頼まない?人斬り以蔵の首を獲るって言えば、やつらなら喜び勇んで協力するだろ」
「それも考えたんだけど、そうもいかない事情があってね」
「どういうことだよ」
「まあ、待ちなさいよ。順を追って説明するから」
辻君は行灯の覆いをはずして、キセルにつめた煙草に火をつけると、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
「実は、つい最近になって、お得意の土州人から、ようやく『人斬り以蔵』の行方を聞き出したの」
「ああ。俺が呼ばれたってことは、そうなんだろうな」
「でも、あいつが今なにやってるか聞いたら、きっと驚くわ」
「じらすなよ」
「いつの間にか、人斬りを廃業して、どういう経緯だか、軍艦奉行の護衛に納まることになったらしいわ」
「軍艦奉行ったら、あれか?勝安房守(勝海舟)」
阿部は、疑わしげに目を細めて、首を突き出した。
勝海舟については説明の必要もないかもしれないが、江戸城の無血開城など、明治への移行期に多大な功績を残した幕臣である。
勝は使節として一度渡米したのち、この頃は幕府の海軍を統べる軍艦奉行という地位にあった。
「そ。けっこうな大物でしょ?もうすぐ京へ来るらしいの。どこのバカが考えたんだか、その護衛に以蔵をつけようってことになったんだって。あの人殺しが出世したもんよね」
「まてまて。勝海舟つったらバリバリの開国派だ。なんでそれを土佐勤王党の人斬りが護衛する?」
さらに近づく阿部の顔を、鬱陶しそうに指で押し戻しながら、辻君は細く煙を吐いた。
「あたしに聞かないでよ。そういう奴なんでしょ。とにかく、これで浪士組に頼めない訳はわかった?」
「やつらは、今やご同輩ってことか」
「まったく、サムライどもの変わり身の早さときたら。けど、折りよくそれと関係のありそうな面白い話を耳に挟んだわ」
「俺も、面白いと思えりゃいいがな」
辻君は真っ赤な紅をひいた唇を、阿部の耳元によせ、ささやいた。
「近々、長州の過激派が勝を襲う計画があるらしいの」
「え…えええええええっ!!!!」
「しーっ!声が大きい!」
辻君に両手で口をふさがれた阿部は、それを押しのけて捲したてた。
「だ、だ、だって、おまえ、そりゃ大変な…!」
「かもしんないけど!あたしには勝が刺されようが吊るされようが関係ないし。要は、その計画に相乗りさせてもらおうってわけ」
「俺に長州の『志士』とかいう連中と組めってのか?」
「かたちだけよ。もちろん、あんたが仕留めるのは、岡田以蔵のほう。とにかく、助っ人ってことで、それに加わってほしいの」
阿部の頭の中では、疑惑やら打算やら憶測やら、色々なものがグルグル渦を巻いたが、結局まとまらなかった。
「わかんねえな。長州のやつらは、どうしてそんな機密を何でもかんでも、あんたにペラペラしゃべるんだ」
「まあ、いいじゃない。ちょっとしたコツがあるんだけど、それは言えない」
「あんた、ひょっとして尊攘派ってやつか?」
「やめてよ、ヘドが出る。あんな奴ら商売で付き合ってるだけ。以蔵が死ねば、あたしはなんだっていいの」
「あんたは良くても、俺が良くねえよ!つまり、幕臣を襲うってことだろ?人斬り退治とは意味合いがまるで違うじゃねえか」
「いーじゃない。あんたが斬るのはあくまで以蔵のほうなんだから」
「いっしょのことだろ!」
辻君は薬指の爪を噛んで、しばらく考えをめぐらせていたが、ふとなにかに気づいて阿部の帯を指差した。
「それ、持っててくれたんだ」
「え?」
阿部は不意をつかれて戸惑ったが、やがて彼女が言っていることが分かると、根付をつまんでみせた。
「ああ、これ?」
「例のクスリ、試してみた?」
「そう言えばこれ、もう空っぽなんだよ」
「もう使い切ったの?効いたでしょ?」
辻君が妖しい上目遣いで問いかける。
「さあな。あんたの伝言を持ってきた男が売ってくれっつーから、売っちまった」
「なんだ」
詰まらなさそうに肩を落とす辻君に、阿部は根付にぶら下げた印籠を突きつけた。
「だいたいこれ、なんの薬なんだ?あいつ、一両出しやがったぜ。一両だぞ?!」
辻君は無言のままそれをひったくると、懐からまた同じ薬包をとりだして、印籠に補充した。
「はいこれ。仕事が決まったご祝儀よ。とにかく一度、自分で試してみなってば」
阿部の脳裏に、神社でこのクスリを買っていったサムライの蒼ざめた顔や、中書島で出会った長州藩士の血走った眼がよみがえる。
なにか怪しげなクスリであることは疑いようもないが、あいにく阿部にはそういった方面の知識は皆無だった。
その表情に浮かぶ疑念を気取ったのか、辻君はわざとらしく見えるほど明るい調子でつづけた。
「あ、それと、また売るのもいいけど、次からは上がりの一割をもらうから」
それでもしばらくの間、阿部は探るような目で辻君のことを見つめていたが、やがてハッとして、この話題が軌道を大きく外れていることに思い当たった。
「じゃなくて!話をそらすなよ!」
辻君は渋い顔でキセルを吹かす。
「はいはい、わかったわよ。じゃ成功したら、あと十両上乗せする」
「十両とか、そういう問題じゃ…じゅ、十両?あわせて三十両か?」
「さすが、ちょっとは世間に揉まれただけあって、駆け引きが上手くなったわね」
「いや…ちょっとまて。ちょっと考えさせてくれ」
阿部はこめかみを押さえながら、もう一方の手のひらを突き出したが、辻君は即座にそれを撥ねつけた。
「ダメね。もう日がない。三、四日中には勝海舟が京に入るの。はいこれ、前金」
そう言って渡されたのが、小判三枚。
そば代が二十文程度という時代だから、三両といえばとんでもない大金である。(1両=4000文)
「あんた、その金で今日から伏見の寺田屋に泊まんなさい。決行の日がきたら、そこに長州の連中が迎えがいくことになってるから」
一方的に言いたいことだけ言うと、辻君はさっさと表門の方へ歩いて行ってしまう。
「おい!こら!」
阿部は後を追おうとしたが、暗闇の中、石につまずいて転んでしまった。
起き上がったときには、すでに行灯の火は見えない。
「…今日からって、こっから伏見までどんだけあると思ってんだよ。あの女」




