翠紅館会議 其之参
前にも触れた通り、
攘夷派の指導者たちが此処に集ったのは、この年の一月に続いてこれが二度目だった。
主眼が攘夷の実行という点に変わりはないが、
大きく異なるのは、
前回の論点が、「如何にして腰の引けた将軍を攘夷の前線に引っ張り出すか」、
ということだったのに対して、
今回は、「天皇の旗印の下、夷敵と戦うために必要なフェーズを明らかにする」
という方針の大転換があった点である。
「どんな具合や?」
ふたたび合流した小鉄が、琴に謀議の進捗を尋ねた。
「いま始まったとこ。そっちの首尾は?」
「辰さんには申し訳ないが、猿轡を噛まして納屋で休んでもろとる」
「辰さん?」
「あの下男のかみさんが、褌に名前を刺繍しとった」
「出来た奥さんね。あなたも早く身を固めた方がいいんじゃないの」
琴の人差し指が、窓の障子に細い隙間を開けた。
「攘夷を決行するにあたり、やるべきことは五つ」
真木は、開いた手のひらを突き出した。
「まず第一に、攘夷実行の権限を掌握すべし。すなわち、帝御自ら武家諸侯の兵を指揮し、賞罰を行うということである」
茶室に張り詰めた空気が流れる。
「攘夷親征」という言葉の響きに酔いしれていた彼らも、それが改めて真木の口から発せられるに至って、それが如何に大それた事業であるかを思い知り、畏怖を抱いたに違いない。
「次に、幕軍を含めた在京の兵士から選りすぐった、朝廷の正規軍を設立すべし。そうだ!錦の御旗を立て、兵士には揃いの軍服も着せよう! そうすれば、皇軍(朝廷の軍)であることは、誰の眼にも明らかである。君、書き留めておいてくれたまえ」
「え?あ、はい」
真木は気持ちの昂りを抑えきれない様子で、
突然指された長州の佐々木男也は、慌てて文机に這ってゆき、筆を執った。
「第三に、軍の頭領たる提督を決め、併せて、公卿や武家諸侯の中からその補佐役を数名選任すべし。以て、新たな官庁を立ち上げれば、帝が攘夷を断行するという意思を広く世間に知らしめ、人心を安んじよう!」
会津小鉄は鼻を鳴らした。
「ふん、何が人心じゃ。綺麗ごと抜かしよって。胸クソ悪い」
琴は小首を傾げ、小鉄を一瞥した。
「…あの子のことがあってから、なんか変よ?妙にピリピリしてる」
「わしゃ、至って冷静じゃ。顔の周りをヤブ蚊がブンブン飛び回ってイラついとるだけや」
「…ひょっとして、あの子のことを自分に重ねてる?」
小鉄は、妙に勘のいい琴を忌々しく思いつつも、心に溜まった澱を吐き出した。
「うちの親父はな。平気で子供に手ぇ上げるようなクソやった。酒と博打に溺れて、終いには行方知れずや。けどな、わしら母子に手を差し伸べる奴なんか誰もおらん。お上はもちろん、世間はみんな知らん顔や。せやから、ワシは生きていくためなら何でもやってきた…」
「気持ちは分かるけど…」
「ハ、武家のご息女になにが分かる。わしゃ、しがない渡世人かもしれんが、こいつらの戦ごっこのせいで、ガキどもが巻き添えにされるのだけは我慢ならん」
しかし、琴がなにか伝えようと唇を開きかけたとき、真木和泉はついに作戦の核心に言及した。
「第四は、金。つまり軍資金の確保だ。これについては私に妙案がある。帝に勅命を賜り、各藩より全人民の宗門人別改帳(戸籍)を提出させ、我らが税制を定めて、朝廷に財政権の行使を移管する。この策が成れば、永続的に兵馬を養うことも出来よう。…ん?そうだ。人心を掌握するためには、余った金で、通りの辻に、街の者なら誰でも使える厠を建てるのもいいな。うん、きみ、今の、書き留めてくれたか?」
真木はまた、佐々木を顧みた。
「はい。あと一つです」
「ん?」
「全部で五つでしょう?あと一つ」
「ああ、解っとる」
小鉄は鼻で笑った。
「今さら税収をアテにするとは気の長い話やで」
「ずいぶん辛辣ね」
琴は気のない返事をした。
「だってそうやろ?あの夢みたいな計画は、まず武力にモノを言わせて無理を押し通すのが大前提や。ほんなら、その軍隊の元手はどっから捻出する気やねん?連中に、それほど潤沢な銭があるとは、到底思えんがな」
琴は障子の隙間に目を凝らしながら囁いた。
「ねえ、あの顔ぶれを見て何か気づかない?」
「ああ、お前も気づいたか?薩摩がひとりもおらん。まあ、寺田屋事件があった後やからな」
名前は知らなくとも、薩摩人の特徴的なお国言葉はすぐにそれと判る。
「そうね」
「薩摩の財布がないことには、攘夷親征も絵に描いた餅や。これで一安心か?」
まだ、心穏やかという訳にはいかないが、少なくとも、伏見義挙の金が彼らの手元にないのは確かに思える。




