翠紅館会議 其之弐
二人は、額を突き合わせるように鍔迫り合いを続けた。
「まさか…あなたも真木の仲間?」
間近に見るその相貌に、琴は驚きを隠せなかった。
線の細い少年にしか見えない。
少年は、琴に背中を預けるように回転して、拮抗した力を逃がすと、飛びずさって間合いをとった。
次に“あれ”がくる!
琴は直感した。
先ほど小鉄に放たれた逆袈裟斬りは、喰らえば必殺の一撃だった。
とっさに身体を反らせると同時に、目の前を切っ先がかすめ、
上空へと抜けていった。
「速い」
思わず感嘆が漏れる。
「あなたもね」
少年は刀を返し、今度は袈裟懸けに刀を振り下ろそうとしたが、
伸び上がったそのとき、小鉄の投げた小刀が彼を襲った。
「くっ!!」
少年は短く叫び、仰け反りながら、参道脇の竹林へ転がり落ちていった。
小鉄は、不安げに竹林を覗き込む琴の腕を引いて急かした。
「なにしとる。ほら、行くで!」
「追ってこない?」
「ああ、もう起き上がっては来れんやろ」
気不味そうに首を振る小鉄をみて、琴は蒼ざめた。
「殺したの?あんな年端も行かない子供を」
「多分、な。手応えはあった…」
「なにも殺さなくても!」
詰る琴に、小鉄は人差し指を突き付けた。
「あいつの剣捌きは見たやろ?そんな手加減ができたと?」
「…!」
琴には返す言葉が見つからなかった。
「可哀想やが、気に病むことはないで。女子供であれ、人様に刃を向けた瞬間から、自分も死ぬ覚悟を決めなあかん。それが世の習いや」
吐き捨てた小鉄の顔にも後悔が滲むのを見て、琴は項垂れた。
「言い過ぎた。ごめんなさい」
「…けどな、あんな子供に人殺しの真似事をやらせる連中の性根が、わしはどうにも気に食わん」
そう言って坂の上を睨む小鉄の眼には、殺気が宿っていた。
琴たちは翠紅館の土壁を乗り越え、建物の裏手に回った。
薪棚の前に、運悪く琴たちに背を向けた下男が立っていて、
小鉄はその頸に当身をして、手慣れた様子で衣服を剥ぎ取ってしまった。
「女中やのうて残念やな」
気を失っている男を見下ろしながら、小鉄は思わず笑みを漏らす。
「ふん」
琴は、建物の陰でそそくさと下男の服に袖を通した。
「おいおい、目のやり場に困るがな」
「カマトトぶってないで、さっさとその男を目立たないところに隠して」
事務的に言いつけながら帯を締めると、琴はさっさと行ってしまった。
小鉄は下男を荒縄で縛り上げながら毒づいた。
「ほんまに!人使いの荒い!アマやで!可愛げのない!」
一同が集う「送陽亭」は、翠紅館の離れの茶室で、八坂の塔越しに都を見渡す眺望を売りにしていた。
狭い四畳半には、すでに攘夷派の主だった面々が顔をそろえている。
琴は御厨に忍び込むと、手際よく井戸で汲んだ水を盆に載せ、問題の茶室に向かった。
「失礼します」
頭を伏せたまま障子を開け、ゆっくりと顔を上げてみたが、誰も下男などには注意を払わない。
琴は出席者の顔を一人ずつ覚えていった。
長州の桂小五郎と寺島忠三郎は何度か見たことがある。
そして、ーいた。
丸顔の男、あれは土佐の吉村寅太郎だ。
そのほかに見知った顔はなかったが、彼らの話し言葉から、土佐や九州のどこか(おそらく肥後)の者たちであろうことが分かる。
「みなさま、よくぞ、よくぞ、雌伏の時を耐え、再び集結していただけた!」
目に涙を浮かべながら熱弁を振るう、黒の紋付を着た五十絡みの人物。
あれが真木和泉らしい。
言うまでもなく、寺田屋事件の首謀者の一人であり、清河八郎亡き後、攘夷激派の精神的指導者である。
白髪の混じった総髪はやや後退していて、恰幅も良く、押し出しが効いている。
「伏見の一件(伏見義挙)では、腰抜けの清河が役目を投げ出し、島津のバカ殿が裏切ったせいで、我々の大義は一敗地にまみれ、頓挫した。が、尊王攘夷の志は屈せず、時は満ちたり!」
が、彼の口調には、誇大妄想狂的な、どこか常軌を逸した切迫感があった。
琴は、一渡り湯呑を配り終えると、三つ指をついて障子を閉めた。
「おやかまっさんどした(※)」
茶室の廻り縁に出ると、床の間の脇にある瓢箪型の窓辺に身を伏せ、聞き耳を立てる。
皆も、真木が口を開くのをじっと待っているようだ。
彼は、西側に開け放った窓から望む二条城を憎々し気に睨んだ。
「もはや及び腰の大樹公など頼むに足らず!長州は、すでに異国の艦船を砲撃して、攘夷の先鞭を着けたというのに、諸藩がこれに続かなくては意味がない。
かくなる上は、幕府に見切りをつけ、帝御自ら攘夷を指揮していただくことを進言する」
一同から小さなどよめきが起きる。
「いよいよ、攘夷親征の幕開けですな」
合いの手を入れたのは、長州の寺島忠三郎だった。
「…イカれてる」
琴は思わず声に出してつぶやいた。
※おやかまっさんどした=お邪魔しました




