翠紅館会議 其之壱
二条城の東、二条新地大文字町。
妓楼、森田屋。
襖をガラリと開けた途端、会津小鉄は苦虫を嚙み潰したような顔になった。
座敷には、中沢琴がひとり、脚を崩して座っている。
「なんでお前がそこでくつろいどるねん…え?八重勇は?」
聴きながら、目を泳がせてお気に入りの遊女を探す。
琴はチラリと視線をくれただけで、
「残念ね。今日はもう上がっていいって帰しちゃった」
と、素っ気なく返した。
小鉄は大きなため息をついて、柱に手をついた。
「ハア…なに勝手なことを…」
「悪かったと思ってる。でも私たちの話って、大抵、ね?他人に聴かれるとアレだから」
「何がアレやねん!濁したって、もう誰も居らんやろ」
「まあ、お詫びに今日はお相手してあげるから、ほら、座って」
琴は、上座に敷かれた座布団をポンと叩いた。
「いや結構。悪酔いしそうや」
「失礼ね。島原で私にお酌してもらおうと思ったら、いくら掛かると思ってんの?ありがたいと思いなさいよ」
いつもより饒舌な琴に、小鉄は不審の眼を向けた。
頬にうっすら朱が差している。
「お前、もう飲んどるやないか!なんで恩に着せられなあかんのじゃ」
「じゃあ、素面のうちに本題に入らせてもらうけど…」
琴は、徳利に残った酒を飲み干すと、土方にも黙っていた計画を打ち明けた。
「はあ?!翠紅館に潜り込むやて?正気かおまえ?」
豪胆な小鉄も、思わず大声を張り上げた。
「酔ってはいるけど、まじめな話。この機会をみすみす逃す手はないでしょ?」
なにしろ在京の攘夷激派が一堂に会するのだ。
伏見義挙の闇資金を追うには、二度とない好機である。
「そりゃあ、京に舞い戻った真木和泉が、攘夷激派に接触するなんちゅう話は…」
「どう?面白そうじゃない?」
「ちょ、ちょいまて!ひょっとして、わしを誘っとんのか?」
「イヤなら無理にとは言わない」
琴は丸窓の外を覗きながら、気のない風を装う。
小鉄はまるで度胸を試されているような心持ちにさせられた。
たしかに、その会合の議事が入手できれば、京都守護職に計り知れない優位性をもたらすだろう。
「けどな。どうやって忍び込むねん。なんぞ、考えがあるんやろな?」
「『翠紅館会議』は今回が初めてじゃない。奴らは離れの茶室に集まるはず。私は女中にでも化けて、お茶を運んでくわ」
「本物の女中と鉢合わせたらどないするんじゃ?」
「あなたが口説き落とすなり、縛り上げるなりして、適当に足止めしといてよ」
聞くだに、この計画には色々と穴が多過ぎる。
小鉄は唸った。
「いや~、そりゃどうやろ?考えさせてくれ…」
文久三年六月十七日。
京、東山。
清水へと続く二寧坂を登りながら、会津小鉄は息を切らせて自分の決断を呪った。
「暑!けっきょく…付き合うことに…なるとは…わしも人がええわ…」
翠紅館は、丘陵地帯の裾野、緩やかな斜面に建っている。
楠小十郎こと、男装の中沢琴は、涼しい顔で石畳の道を先へ登ってゆく。
やがて竹林に囲まれた正法寺への参道に出たところで、
二人は柳行李を背負った色白の少年とすれ違った。
「お侍さま」
背後から声をかけられ、ふたりは振り返った。
「え?わしらのことかい?」
「この先を行っても、きっと無駄ですよ。なんでも大切な会議があるらしく、私も道の真ん中で通せんぼをしてる大男に追い返されて、降りてきたとこです」
男ものの絣を着ていなければ、少女と見紛うような美少年だ。
小鉄は琴と眼を見合わせ、それから適当に言い訳した。
「ワシらはええねん。その会議に出るんやさけ」
「そうですか。これは失礼しました」
「ええんや。親切に、おおきに」
軽く手刀を切って、前に向き直った刹那、
少年は、片膝が地面に着くほど低い姿勢から片手で抜刀して、
左下から斜め上へ小鉄の背中に斬りかかった。
小鉄は完全に虚を突かれた格好になった。
ガチッと金属音がして、
素早く反応した琴が、ギリギリでその刃を食い止めた。
少年の顔には一瞬驚愕の色が浮かんだものの、
それはすぐ謎めいた微笑に変わっていた。
「…君は『丹前風呂勝山』?」
「え?」
琴は戸惑った。
「勝山」は、江戸初期に実在した男装の遊女、浮世絵では人気の題材で、
当世流行りの浮世絵師、歌川国貞もこの年に同名の作品を残している。
それはある意味、一言で琴の正体を言い当てた比喩だった。




