暗殺指令 其之弐
同日、夕刻。
佐々木只三郎が新徳寺の本陣へ帰り、芹沢ら水戸一派が例によって夜の街へ繰り出してゆくと、
近藤以下、試衛館一門はちょっとした会合を開いた。
佐々木の提案は、京都残留組にとっては渡りに船で、まさに降って湧いたような話だ。
たが、その条件を飲むべきかどうかは、もう一度よく吟味した方が良いと山南敬介が動議を提出したのだ。
「ありゃあ、やめといた方がいい」
面倒臭そうに手を払って、真っ先に反対を表明したのは、藤堂平助 ―トウドウヘイスケ―だ。
のちの新選組八番隊組長、
聡明で学識豊かな青年ながら、ひとたび事が起これば、つねに先頭を切って突っ込んでゆく無鉄砲な性格を併せ持っている。
伊勢津藩(現在の三重県津市)十一代藩主、とうどうたかゆき)の落胤(私生児)という噂があり、そうした高貴な産まれに対する屈折したコンプレックスが、彼を過剰に勇敢な行動に走らせていたのかも知れない。
試衛館の中では、「志士」の芳香を纏う異質な剣士だ。
壁を背に片膝を立てて座る原田左之助が、あくびをかみ殺しながら応えた。
「しかしよう、芹沢はやるって返事しちまったぜ?」
あくまで自らの決断にこだわる山南は、あらためて皆に再考を促した。
「我々がそれに追従する必要はない」
一方、芹沢の結論に同調している土方歳三は、この話し合い自体を無意味なものと捉えている。
「だが平助、おまえがそんなこと言うなんて、意外だな?」
「『天誅』なんて、オレ達の流儀じゃない」
「おまえも清河のやり口は腹に据えかねてるもんだとばかり思ってたが」
「ええ、確かに清河は身勝手で、鼻持ちならない。オレだってあんなヤツ大っ嫌いっスよ。けど、少なくともこの国の行く末を真剣に案じてる。保身を図ることばかり考えている公卿や、将軍の後継問題に乗じて勢力拡大に熱心な幕臣連中より、よほど上等な人間だ」
実直な近藤は、藤堂の反論に少なからず心を動かされた様子だ。
「ううん…」
土方が近藤の肩を荒っぽくつかんだ。
「おいおい、しっかりしてくれ。こんな若造に丸め込まれてどうする?」
「だが一理ある」
「綺麗ごとはよそうや。清河が考えるこの国の行く末なんざクソ食らえだ」
しかし鼻っ柱の強い藤堂も黙ってはいない。
「清河が殺されなければならんほどの、何をしたって言うんスか?外国から逃げ回ってるのはお上の方でしょ」
土方は、そんな彼に噛んで含めるよう言い聴かせた。
「いいか、平助?てめえと違ってな、俺たちのほとんどは百姓や商人の倅か、いいとこ貧乏武家の次男坊か三男坊てとこだ。建前はともかく、つまるところ、この京に一山当てに来たんだよ。なんたってこんな時代でもなけりゃ、百姓出の人間が成り上がれる機会なんて、そうザラにはねえからな」
「オレの生まれがなんだって言うんです!」
自分の血統について複雑な感情を抱く藤堂は、ムキになって突っかかった。
「つまり、俺たちゃツイてるってこった。だが、手柄を立てるためには、斬って斬って斬りまくるしかねえ」
藤堂は話にならないという風に、近藤を振り返った。
「近藤先生。あなたも同じ考えですか?」
「…フン。大っぴらに言うこっちゃねえが、ま、そんなとこかもな。もちろん、尽忠報国の志に嘘はないが、それも今のままじゃ、時勢に指をくわえていることしか出来んだろう?」
渋々認めるしかない近藤に、土方は満足げに頷いた。
「要するに平助、おまえはガキなんだよ」
「なんだと!」
二人の激しいやりとりに、永倉新八と沖田総司は顔を見合わせながら肩をすくめる。
原田左之助などは、退屈な口論に飽きて居眠りを始めた。
普段なら、こういうとき「まあまあ」と間を取り持つのは井上源三郎の役目だったが、
ひと一人の命について論じるのに妥協があってはならないという分別からか、安易に止めるようなことはしなかった。
しかし、とうとう見かねた山南が割って入った。
「土方さん。いささか論点がズレているようだ」
「いいや。あんたたちが建前に逃げてるだけさ。へ理屈をこねてたって活路は開けねえぜ?」
「それはどういう意味です」
「考えてもみろよ。これは千載一遇の機会だ。普段なら、俺たちなんざ会津みたいなデカい藩からは鼻にもかけられないだろう。だが、今に限っては別だ。佐々木たち幕臣は、浪士組を清河から取り返すのに躍起になってるし、会津も遠い京で人手にこと欠いてる」
結局のところ、土方歳三という人間は、徹底したリアリストだった。
彼は常に、現状を正確に認識して、詳細に分析を行い、効率的に対処することができた。
あるべき理想を模索する藤堂平助とは、どこまで行っても平行線をたどるほかない。
リーダーである近藤も、このままではラチが開かないと思ったのか、少し話の目先を変えた。
「佐々木さんは、会津へ浪士組預かりの嘆願書を出せといっている。しかしトシ、この話に乗ればもう後には引けんぞ?」
「望むところだ」
土方に躊躇いはなかった。
いつ目を覚ましたのか、原田左之助が片目を開けた。
「しかし、佐々木は信用できるのかよ?奴が間に立ったとして、会津が俺たちの頼みをすんなり聴いてくれるって保証はあんのか」
山南は話し合いの主旨が意図していたものと変わってしまったことに渋い顔をしながらも、その疑問に答えた。
「佐々木様の兄上、手代木直右衛門殿は会津藩士だ。信用していいだろう」
藤堂が苦々しげに吐き捨てる。
「チッ、そんなエサにまんまと釣られるなんて!」
近藤は、ここまで山南が自分自身の意見を口にしていないことに気がついた。
「山南さんはどうなんだ。清河の粛清には、あまり気乗りしないようだが」
山南は応えるかわりに、部屋の隅に置いてあった本を手に取り、近藤に差し出した。
近藤は手渡された本を一瞥して、山南に視線をもどす。
「これは?」
「『攘夷論』、読んでみてください。池内大学先生の書いた本です。彼は今年の初めに殺された。有為の士を死なせるという事は、その人の頭の中にしかない優れた理想を、誰の目にも触れないうちに、この世から消し去ってしまうことでもある」
土方が鼻で笑った。
「清河もそうだって言うのか。あいつはただのペテン師だ」
山南は土方の眼をじっと見つめ、まるで自分に言い聞かせるように静かに語った。
「確かに彼のものの考え方はあまりに過激で、そして危険だ。正直、わたしにも彼が本物の英雄なのか、ただのペテン師なのか、まだ判らない。しかし少なくとも、あの才気だけは本物だと言っていいでしょう」
しかし、近藤勇の心はすでに決まっていた。
「分からなくもないが、その才気と野心は同じ身体に宿っている。二つを切り離して考えることはできん」




