あぐりの桃 其之伍
さて、そのころ。
八木家の庭先では、ひと仕事終えた永倉新八と原田左之助が地べたに脚を投げ出して、風に当たっていた。
「暑っちい…」
「死にそう…いや、死ぬかもしんない」
最近では、佐々木愛之助や中村金吾、林信太郎といった生きのいい隊士たちも増えて、稽古もようやくサマになってきたが、半面、師範たちの負担も増えている。
原田は、無心に鬼灯笛を吹く勇之助を怒鳴りつけた。
「うおー!暑つ苦しい!うるせえぞ、勇坊!あっち行ってやれ!」
「ヴヴ、ヴヴ!ヴヴ!ヴヴヴーヴ?!」
「…聞いてねーな、てめえ」
原田左之助は、石井雪から手渡された瑞々しい桃にガブリと喰らいついた。
甘い果汁が喉を潤す。
「あー美味え。こりゃ熟れてる」
永倉の方はというと、暑さも忘れ、母屋の縁側で涼む梅の腰の辺りを凝視している。
雪の差し出した桃には、目を呉れようとしない。
「おいおい見ろよ。あっちの桃も熟れてやがるぜ、チクショウ。芹沢のヤツ、羨ましいったらありゃしねえ!」
雪が釣られて永倉の視線を追う。
「え?どこどこ?」
原田は雪の頭頂部を鷲掴みにして、蛇口をひねるように目を逸らさせた。
「こら見るな。バカが伝染る」
しかし、原田が少し目を離している隙に、永倉はフラフラと母屋に吸い寄せられていった。
彼は這いながら縁側までたどり着くと、梅の着物の裾から見上げる景色を堪能したのち、紳士的とは言い難い挨拶を述べた。
「こんちわー。本日はお御足、もとい、お日柄もよく。」
気を抜いていた梅は、不意を突かれて、飛び上がるように着物の裾を抑えた。
「イ、イヤあああぁあ!こ、こ、この、ド助平えええ!!」
「またまたあ、ちょいと風流を愉しんでただけじゃないっすか。『我が衣に伏見の桃の雫せよ』な~んつって…ひひひひ、ゲュフッ‼」
そのキレイなお御足が、永倉の顎を思い切り蹴り飛ばした。
「あイチチ、お~痛え。ツレないなあ、お梅ちゃ…おや?」
仰向けで大の字に伸びた永倉は、ふと縁の下に何かが落ちているのに気づいて、そのまま床下に潜っていった。
梅は床に向かって怒鳴り散らした。
「ちょ、ちょっとあんた!そこで何やってんの!気色悪い!」
「いやあ、ちょっと…」
足元からゴニョゴニョとくぐもった声だけが響いてくる。
梅はこめかみに青筋を浮かべ、押し殺した声で凄んだ。
「悪いけど、今日のうちは最悪の気分どす。芹沢はん、この大きなドブネズミを斬り捨てとくれやす」
すると部屋の奥から、芹沢の眠そうな声が返ってきた。
「ヤダよ、めんどくせえ。そこの刀貸してやっから、自分で羽目板をぶっ刺しな」
永倉は、大慌てで床下から這い出すと、
「待った待った待った!物騒なこと言うなってば。わ~かった!退散しますよ」
と、ゴキブリのごとく原田のところへ逃げ戻ってきた。
原田は、冷やかな目で桃の種をプッと吹き出し、永倉の眉間に命中させた。
「痛って!なんだよ?!」
「…アルマジキ醜態だな、おい?だいたい、趣味が悪いんだよ、おめえは。あんな性悪のどこがいいんだか」
「てめえこそ、選り好みできる立場か?あ?分を弁えやがれ。ああ、それともアレか?お秩ちゃんとか、あぐりちゃんみたいに清楚な感じがお好みってか?…まあ、それも悪くねえがな」
永倉は懐からユニコーンの根付を取り出して、得意げに振ってみせた。
「見ろよ、綺麗なもんだろ?誰も床下で拾ったなんて思うめえ。あぐりちゃんに上げちゃおっと」
「拾い物で女の気を引こうなんざ、いい根性してるぜ」
永倉は、大事そうに根付を仕舞いながら、まだ減らず口をやめようとしない。
「うるせえっての!女の子はこういう贈り物に弱えんだよ!仲良くなっちまや、コッチのもんさ。あとはゆ~っくり時間をかけて、あ~んなコトやこ~んなコトを手解きして、ウヒヒヒ。そうすりゃ、いつしかあぐりちゃんも、おいらの虜ってな寸法よお。グフフフフフ!」
これは江戸時代の会話なので、コンプラ方面の配慮に著しく欠ける点はご容赦願いたい。
ちょうど外周りから帰ってきた中沢琴が、門から一直線に近づいてきて、雪の耳を塞いだ。
「わたしはもう何を聞いても驚かないけど、子供の前で、そういう下品な会話は慎んでちょうだい」
原田は、琴に気づくと軽く手を振って、
「よお。おこ、とじゃない、小十郎じゃねえか。どこ行ってた?」
琴は原田の詮索を黙殺して、辺りを見渡した。
「土方さんは?」
「さあね。なんで?」
原田は興味なさそうに、また桃を頬張った。
「ちょっとね」
一方の永倉は、さきほどの失言を取り繕うべく、琴の袖にすがった。
「もしかして、さっきの聴こえちゃってた?アレよ?もちろん、おれの大本命はお琴ちゃんだから。そこは誤解しないでね、いやホント!」
琴は伸びてきた手をヒラリと交わして、永倉を睨んだ。
「楠!」
「え?」
「楠小十郎!わたしの名前!いい加減覚えて?」
「あっと、そうだっけ?そっか。じゃあ、なんて呼べばいい?クスジュー?クスちゃんとか?あ、ノキコちゃんなんてどう?可愛くない?」
「楠さん、でお願い」
琴は素っ気なくあしらうと、笊に盛られた桃にチラリと目をやった。
「それ、どうしたの?」
雪は顔を覆う琴の手に、小さな両手を重ねて、その守護者を見上げた。
「あぐりちゃんが持ってきてくれたん。お祐ちゃんのお見舞い」
原田は目を丸くして、口から出した種を見せた。
「え!もう食っちゃったんだけど!」
そこへ近藤の部屋から戻ってきた沖田が合流して、雪の頭に手を置いた。
「それ、お裾分けだってさ」
原田はフーと息を吐いて、雪の額を軽く指で弾いた。
「なんだ。ビックリさせんなよ」
琴があきれながら、
「そういうのは、口に入れる前に聞くでしょ、普通」
と、もう一度笊の上に視線を戻したときには、さっきまでそこにあった桃はすでに消えていた。
残った桃は、永倉が目にも止まらぬ速さで、袖の下に仕舞っていたからだ。
「あぐりちゃんがわざわざ持って来てくれたんなら、おれがご馳走にならなきゃ失礼だな」
原田は種を噛みながら、ニタニタと永倉の顔を眺めた。
「いいのか?こりゃ、お裾分けを口実にした心付けってヤツだぜ?愛次郎サマをよろしく頼んますってよ?」
「ムッキ――ッ!なんですってえ?!おめえなんかに、おれとあぐりちゃんのナニが分かるっていうのさ!」
永倉は叫ぶと、飽きずに鬼灯笛を鳴らす勇之助の後ろ襟をつかんで、猫の子のように摘まみ上げた。
「…ヴ?」
「てか、あぐりちゃん来てんなら言えよ!どこよ!あぐりちゃんどこよ?!勝手の方か?え?そうなのか?」
琴が、親指で今来た門の方を指した。
「彼女なら、さっきそこの通りですれ違って、帰ってくのを見たけど?」
永倉はその声で我に返って、琴にひれ伏した。
「ハッ!ごめんなさい!おれとしたことが、つい取り乱しちゃって。でもお琴ちゃんには、この命を捧げてもいいと思ってるから!この愛に嘘はないから!」
琴は腕を組み、片方の手で頬をさすった。
「そうね、どうかな。信じてあげてもいいけど、いくら払う?」
「か、金?金スか?金で愛の深さを測るんスか!?そんな殺生な!」
沖田は、これ以上、すさみ切った大人たちの会話を勇之助や雪に聞かせるのも忍びなく、
「近藤さんの部屋で遊ぼっか?」
とさりげなく二人の背中を押して、地獄の亡者たちから遠ざけた。




