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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
暗雲之章
395/404

あぐりの桃 其之参


「…千里眼せんりがん、て、そう言ったの?」

いきなり突拍子とっぴょうしもない言葉が飛び出したので、沖田は自分の聞きちがえかと耳をうたがった。

「ええ。あの時の眼。なんや、急に暗いかげが差したように見えて、わたし、ちょっとこわくなったんです」

み上がりだし、おゆうちゃんもまだ混乱してるんじゃないかな。気にしすぎない方がいいよ」

とはいえ、彼女が記憶きおくを取り戻さない限り、くすのきとのいさかいの真相しんそうやみの中だ。

口にこそ出さなかったが、沖田もゆうのことがずっと頭の片隅かたすみに引っかかっている。


「そうそう。そうでっせ?」

調子のいい相槌あいづちが聴こえて、ふたりはハッと顔を上げた。

なにやら狡猾こうかつな感じの笑みを浮かべた猫背ねこぜの男が、いつのまにかかたわらに立っている。

「若いんやさかい、養生ようじょうしとれば、じきうなりますわ!」

無責任にけ負ったのは、副長助勤ふくちょうじょきんの佐伯又三郎だった。

「え、ええ。きっとそうですね」

妙な勢いにされてあぐりがうなずくと、佐伯はさらに身を乗り出して、背負しょかごのぞき込んだ。

「あ!美味うまそうな桃やないですか。ハハア、もうそないな季節なんやなあ」

「あの、よければ、おひとつどうぞ」

「いえいえ、私なんか。それより、ちょっとよろしいでっか?実は、うちの芹沢先生が、いとはんにお会いしたい言うたはりまして」

少女に警戒けいかいするいとまも与えず、佐伯はさっそくちょっかいを出してきた。

琴の尾行びこうでは、これといった成果せいかのない彼としては、ここいらで芹沢のご機嫌きげんを取って、点数をかせいでおきたい。


「芹沢先生が…わたしに?ですか?」

芹沢と言えば、見世物小屋みせものごやでの傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりを叔父おじから聴かされていたあぐりは、おびえた目をして問い返した。

佐伯は、安心させるように猫なで声を出した。

「そんなそんな、身構みがまえんといてください。いえね?先生、こないだ蛸薬師たこやくしで、たまたまあぐりさんのお姿をお見かけしたらしゅうて、その可憐かれんさに、えらいむねを打たれたご様子ようすなんですわ」

だまって聞いていた沖田が顔をしかめて、したを出した。

「オエ…マジで?なんか気持ち悪いんだけど?」

「なんでやねん。純粋じゅんすい恋心こいごころゆうやっちゃ」


そのとき、

「それ、ホンマどすか、佐伯はん?いややわ、あの局長はん、うちにも甘い言葉で言い寄ってきはったんえ?そんなん、まるでさかりのついた猫やおへんか」

けんのある声で、背中から水を差したのは、芹沢の愛人、菱屋ひしやの梅だった。

不味マズいところを見られた佐伯は、居心地いごこち悪そうに小さく舌打したうちした。

「イヤイヤ、その~…ま、今のは、ちょっとしたわるふざけでんがな」

「ほんなら、いちびってんとおつとめに戻らはったらどないえ?」

「おお、そうそう。そうでした!ほ、ほんなら、わしは近所でも見廻って来まっさかい」

佐伯は頭をきながら、うのていで八木家の門を出て行った



取り残されたあぐりは、(おそらく)助け舟を出してくれた梅に、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

「別にあんたを助けたわけやない」

梅はピシャリと言って、あぐりの顔を無遠慮ぶえんりょながめた。

「あんたそれ、どないしたん?ひょっとして薄化粧うすげしょうしたはるん?」

「べ、別に、これはなんでもないです!」

あぐりはあわてて顔を伏せた。

やはり、女の眼は誤魔化ごまかせない。

「おやまあ、すっかり色気イロケ付いてしもて。誰がお目当めあてや知らんけど、この人らが、まちでなんて呼ばれてるか、あんた知ったはるなあ?」

梅はそう言って、冷ややかな目で沖田を流し見た。

あぐりはムッとして、それから、決意を示すようにあごを引いた。

「ええ。くちさがない人らは壬生浪みぶろとか言いはるみたいですけど、うちは…」

「そや。オオカミてもんかておる」

「けどみなさん、そない悪いひとや…」

しかし梅は、あぐりに言い訳のすきを与えなかった。

「やめとき。あんたみたいなおぼこい娘が関わったかて、ロクなことになれへん」

それでもあぐりはほおめて食い下がった。

「けど、少なくとも佐々木様は、とてもいい方です」

そのきっぱりとした物言ものいいに一番驚いたのは沖田だった。

思わずポカンと口を開けていると、梅はそんな二人を睥睨へいげいして鼻を鳴らした。

「ふん。なるほど、あの二枚目にまいめにおねつかいな。ハ、アホクサ。こないなめに流れ着く男なんて、みんな大差たいさあれへん」

「なんも知らんくせに…なんも知らんくせに、好きなこと言わんといてください」

梅は落胆らくたんしたように肩を落とした。

「…おやまあ、可愛かいらしいこと。うちもあんたくらいの年頃としごろは、そないにスレてへんかったやろか。昔のことで、もう思い出されへんわ」

いどみかかるあぐりの視線から、梅は目をらさなかった。

「恋は思案しあんほかうけど、まだちょっとでも分別ぶんべつが残ってるんなら、取り返しのつかんことなる前に、さっさと身を引きよし」


さとい梅は、近いうちに内部抗争ないぶこうそう激化げきかするであろうことを気取けどっている。

しかし、彼女という人間は、精一杯せいいっぱい親切心しんせつしんも、こうした形でしか伝えることが出来なかった。

梅はそこで、急に眼を見開いて沖田に向き直った。

「そや、沖田はん。肝心かんじんの用事を忘れてましたわ」

「はい?」

急に話をられた沖田はの抜けた返事をした。

「芹沢筆頭局長(ひっとうきょくちょう)が、土方先生を呼んだはります」

「近藤さん、じゃなくて土方さん、ですか?あ、ええ、はい、伝えときます」

「ほな、よろしゅう」


プイと立ち去る梅の背中に、あぐりは追いすがった。

「あの、これ…」

口ごもりながら、あぐりは桃を差し出した。

「…うちにも?」

あぐりは(はかな)げな笑みで、コクリとうなずいた。

「ええ、よかったら。うちのは甘いですよ」

梅は、めずらしく戸惑とまどいがちに、それを受け取った。

「…おおきに」

そっけなく礼を言って身をひるがえす梅に、あぐりは最後の抵抗ていこうこころみた。

「そういう貴女あなたはどうなんですか」

質問の意図いとは明白だ。

愛次郎とあぐりの関係に不幸な結末しか待っていないのであれば、それはそのまま芹沢と梅にも置き換えられる。

梅は振り返ることはなく、ただうつむいた。

セミの声が、空から降ってくるようだった。

「さっき…取り返しのつかんことになる前に、て言うたはずえ?来るとこまで来てしもたら、後は、そやねえ、せいぜい足をみ外さへんよう、手探てさぐりで進むしかあれへん」

その言葉に込められた悲壮ひそうな覚悟のようなものが、あぐりをたじろがせたが、彼女はなんとか踏みとどまった。

「…でも、それでも好きなんです」

梅は背を向けたまま、ただ軽く肩をすくめて母屋おもやへ戻って行った。


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