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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
暗雲之章
391/404

不倶戴天の敵 其之肆

一方、前川邸。

近藤勇の部屋にはモクモクと白煙はくえんが立ち込めていた。

「なにこれ!?」

沖田は目をすがめ、まとわりつく煙を手で払うと、ズカズカと部屋に踏み入って、素焼すやきの豚の置物をまたいで縁側の簀戸すどを開け放った。

「こら。蚊が入るだろ!」

豚の置物おきものは「蚊遣かやり豚」といって、現代いまも使われている、蚊取かと線香せんこうの容器、豚の形をしたアレと同じものである。

京もそろそろ蚊に悩まされる季節で、当時は松の葉を火にくべた煙で蚊を追い払った。

近藤がとがめると、沖田はふくれっ面で入口を指した。

「だって、こんなんじゃお客さんも入れないだろ?」


自室を訪ねてきためずらしい隊士に、近藤勇は少しだけおどろいた。

「おう、野口君。どうした?」

「え?局長のとこへ行くように言われたんですが?」

沖田の手招てまねきに応じかけた野口健司は、敷居しきいのところで思わずたたらを踏んだ。

「俺が?いや、知らんな。芹沢さんじゃないのか?」

「いやでも…この子を連れて来いと…」

野口が軽く手を引くと、ふすまかげから、祐がよろめきつつ姿を現した。

「…どうも。失礼します」

「あ、お祐ちゃん。どうだい具合は?」

近藤は気さくな調子で気遣きづかいをみせたが、祐に以前のような打ち解けた気安さはなく、

「はあ、おかげさまで。もう痛みはありません」

と、しおらしく頭を下げた。

軽傷とはいえ、刀で斬りつけられて何ともないはずはなかったが、強がっているのか、妙に余所々々(よそよそ)しい。

「…そっか、それは良かった。けど無理は禁物きんもつだから、当分はゆっくり養生ようじょうするといい」

「ありがとうございます」

近藤は、少しさびしげにうなずくと、再び野口に向き直った。

「で?」

「いや、で?って?」

戸惑とまどった様子で目を見合わせる二人に、部屋のすみで背中を丸めて足の爪を切っていた土方歳三が、半身をひねって振り返った。

「俺が呼んだんだ」

土方はまるで自分の部屋のように、座布団ざぶとんすすめると、

「どうだ?なにか思い出したか」

と、祐に声をかけた。

「いえ…」

近藤はまゆをひそめて、土方をたしなめた。

トシ、そうかすな」

「いや、すまん。ちょっとした挨拶代あいさつがわりで、そんなつもりはなかったんだが…」


「いえ、お気遣きづかいなく」

祐が楚々(そそ)とした様子で腰を下ろすと、土方も仕切り直すように胡坐あぐらを組んだ。

「まあいい。実はな、ここに住み込みで働くにあたって、守って欲しいことがある。それを伝えておきたかった」

「はあ」

「なに、難しいことじゃない。我々の間の取り決めはひとつだけだ。必要以上に俺たちの仕事には立ち入るなってこった」


ゆうは、警戒心けいかいしんまゆを寄せた。

「どういう意味です?」

土方は顔の横に人差し指を立てた。

「例えば。ここに幹部かんぶといいなかになった女がいたとしよう。その勘違かんちがい女は、やがて、自分が隊士たちよりえらくなったような気分になって、さらには実際そううようになる。だがそれは、あやうい錯覚さっかくだ」

「それって、あの梅とかいう女の話?」

「いや、そうじゃない。これは隊規たいきには書かなかった決めごとの話だ。あんたをしばる権利は、俺たちにもないからな」

「おおきに。けど、あんなんと一緒にせんといてください」

記憶をなくしても、やはり勝気かちきなところは変わらないようだ。

「あの女が嫌いか?」

「男の前でクネクネ身をよじる尻軽しりがるなんか、好きな女はいません」

土方はまるで心理カウンセラーのような物腰ものごしで身を乗り出した。

「おもしろい。それはなぜだ?弱い自分を見ているようでイヤになるから?」

露骨ろこつな挑発を見かねて、沖田と野口が同時に声を上げた。

「ちょっと待っ…」 「ちょっとちょっと…」

が、ゆうは軽く手を上げて二人の援護えんごを制した。

「うちが、そうやて言いたいんですか」

土方は目を伏せ、うすく微笑ほほえんだ。

「どうかな。ひとつ言えることは、あの女は見た目ほどバカでも好色こうしょくでもないってこった」

「ほんなら、うちも精々(せいぜい)あの淫売いんばい見習みなろうて、かしこう立ち回るようにします」

「このご時勢じせいだ。身寄みよりのない女がどんな手管てくだを使って世間せけんを渡ろうが、誰もめることはできん」

ゆうは、もはや敵意をかくそうともしなかった。

「そうですか。ほんなら…」

反撃に転じようとするも、土方はその先を言わせなかった。

「ただしその女が、俺たちの領分りょうぶんに踏み込んできた場合、話は別だ。そうそう、例の狂言きょうげんも忘れちまったのか?玉藻御前たまもごぜんみかどをたらし込んで、国をかたむけたって話さ。そんなことになる前に、ここから出ていってもらう。その行いが目に余るようなら、隊士ごと斬り捨てることもいとわん」

そのおどし文句は、おそらくこの場にいる全員に対する牽制けんせいを含んでいた。

野口が、生唾なまつばを飲み込む音がした。

沖田総司は、話をぜ返そうと、場違ばちがいに明るい声でたすねた。

「それって、土方さんの恋人も例外れいがいじゃない?」

「もちろん、そのつもりだ」

土方は、眉一まゆひとつ動かさず答える。

それでもゆうは、肩をすくめて軽く受け流した。

「考えすぎや。うちには、そんな気なんてサラサラないもん」

土方の口元に、またかすかな笑みが浮かんだ。

「なら我々の間に問題は何もない。どんなに仲良なかよくなったとしても、お前は隊士じゃないし、俺たちは男芸者おとこげいしゃじゃない。それを忘れるな。都合よく、まもってもらえるなんて期待しないことだ」

これには近藤も、とうとう黙っていられなくなった。

とし、ちょっと脅かしすぎだぞ」

ゆうは、土方をキッと見返して、問いただした。

「何が言いたいんですか。はっきりうたら?」


土方はしばらくゆうの顔をじっと見つめたのち、身を乗り出して、その耳元にくちびるを寄せた。

「…つまり、うちの若い隊士にちょっかいを出すな、ということだ」

せみの声が、煙幕えんまくのように、その警告を他の者からおおかくしてしまった。


ところが。

ゆうはその取引条件とりひきじょうけんにも、これといった感情のれを見せなかった。

「ええ、心得こころえてます。このお屋敷やしきには、グセのある野良犬(のらいぬ)がよう出入でいりしとるから、迂闊うかつに手ぇ出すのは剣呑けんのんやもんね?」

含みのあるささやきに、土方の表情がこおりついた。

「…いまのは、どういう意味だ?」

「そっちの領分りょうぶんおかさんていうのが条件なんでしょ?ほんなら、野犬狩やけんがりは、土方さんの仕事や。そうとちゃう?」


冒頭ぼうとう、近藤の「こら」というセリフがありますが、これって元々は鹿児島弁で「ねえ」とか「ちょっと」というほどの意味だそうです。

明治維新後に政府が警察組織を立ち上げるってなったとき、その成り立ちの経緯(詳しくは省きますが)から、東京の邏卒らそつ(いわゆるお巡りさん)は薩摩人が多数を占めていました。

で、彼らは、けいちゅう、民間人に「こら」と声を掛けたわけです。

それがどうやら人々には威圧的いあつてきに感じたらしく、誤った用法で定着してしまったとか。

なので、近藤勇が「こら」という言葉を使うのは本来おかしいんですが、でも、じゃあこの時代に、いま我々が使ってる「こら」に相当する言葉ってなかったんでしょうかね?


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