好奇心は猫を殺す 其之参
煮え切らない柳太郎に、阿部はつい、声を荒げた。
「いいか?このままじゃ、散々金蔓にされた挙句、最期は、あの芹沢から親父もろとも粛清されかねないぜ?おまえだって、分かってるはずだ」
柳太郎はハッとして顔を上げた。
以前、藤堂平助からも同じ助言をされている。
「け、けど…父を見捨てることなんて出来ません。だって、私が平山さんに怯懦を咎められ、切腹を迫られたとき、父は必死で私を庇ってくれたんですよ?」
「残酷なようだが、それは、貴方の稼ぐ金が惜しかったんじゃないのか」
琴は冷徹に現実を突きつけた。
「ち、違う。父はそんな…」
柳太郎がよろめいたところへ、
勝手の方からやって来た雅が声をかけてきた。
「あの、楠はん、ちょっとよろしおすか?」
「あ、え、ええ」
琴が振り返った隙に、柳太郎はすり抜けるようにして門の外へ走り去ってしまった。
「あ」
雅は柳太郎の背中を目で追いながら不思議そうに尋ねた。
「庭に居はる思たのに、こないな処で何の相談どす?」
「いえ、彼と少し内密の話が…」
琴は門の方を気にしながら、あやふやな返事をした。
ジリジリする琴の気も知らず、雅はなにやら申し訳なさそうに打ち明け始めた。
「そや、楠はん。さっき浜崎先生から、お祐ちゃんが回復した後の、身の振り方を相談されたんどす。勝手に話を進めてしもて堪忍やけど、うちなあ、なんや、居た堪れんようなってもうて、うちで引き取るて言うてしもたんどすわ」
「は、はあ。一応、武田さんには伝えときますが、元々八木家の方で通い仕事のお給金を払っておられたんですから、我々が口を差しはさめる問題ではないかと…」
「そう言うてもろたら、なんやホッとしましたわ」
雅が気の晴れた様子で母屋へ帰っていくと、琴は辺りを見回した。
ドサクサに紛れて逃げたのか、柳太郎の後を追ったのか、阿部の姿がない。
後者であることを願って、琴は洗濯の続きに戻ることにした。
クロも主人の後に続く。
「いま、忙しいの」
着物の裾にじゃれつくクロを、琴は冷たくあしらった。
庭に戻ってくると、縁側に、あの柳太郎の父、馬詰信十郎が腰掛けている。
琴はドキリとしたが、彼は、まるで何事もなかったように、好々爺然とした態度でペコリとお辞儀をした。
「どうもどうも、ご苦労様です」
大した役者である。
琴は、無言で信十郎に背を向け、洗濯を始めた。
「あの、楠さん」
信十郎は琴に声を掛けてきた。
琴は、不機嫌な顔で振り返り、
「なにか?」
と棘のある声で尋ねた。
「あ、いや、この数日、幹部の方々がご不在で、皆さんのんびりと過ごしておられますのに、随分甲斐甲斐しく働かれますなあ」
「ボーっとしてても、洗濯物は減らないんでね」
「少ないお給金で、感心なことですなあ」
琴は、余計なお世話だという風に信十郎を睨むと、また背を向けて黙々と手を動かし始めた。
しかし、信十郎は怯む様子もなく、粘りつくような声音で絡んでくる。
「暑くなってきたというのに、今のままでは衣替えの着物を工面するにも難渋しているのではありませんか?」
「だからなんです?」
「いえ、私にも同じ年頃の息子がいるので、若い人が苦労しているのを見るのは忍びなくてね。私なら、副業を紹介して差し上げることも出来ますよ」
「ほう。それは、どんな?」
―かかった。
と、信十郎は心中舌なめずりをしていた。
「ただし、局長や幹部の人たちには内緒ですよ。いや、バレやしない。ですから、あなたも秘密を守れますかねえ?」
琴は豹のような機敏さで、信十郎に詰め寄ると、洗っていた手拭いで首を締めあげた。
「…なるほど。貴様、そうやって自分の息子以外にも若い男をそそのかして、遣り手婆のように陰間(男娼)の真似事をさせているわけか?」
「な、なんのことです?私はただ…」
琴は手拭いを締めあげる手に力を込めた。
「惚けなくいていい。さっき、あんたが風呂場の裏で話していたのを聴いたよ」
信十郎は、言い逃れ出来ないと見るや、掌を返したように本性を現した。
「あ…貴方だって、生きていくために、後ろ暗い事に手を染めた覚えが、一つくらい、あ、あるでしょう?」
この期に及んで、信十郎は太々しく開き直った。
「生きるため?分かってるのか?こんな事がバレたら切腹ものだぞ」
「…バレませんよ。貴方さえ黙っていれば」
信十郎の細い垂れ目の奥に、狡猾な光が宿る。
琴は激情に駆られた。
「私がいま、何を考えていると思う?できることなら、自分自身でお前の腹を切り裂き、腸を引きずり出してやりたいくらいだ」
信十郎は手拭いと頸の間に指を差し込んで、なんとか呼吸を保った。
「そうなれば…柳太郎も…切腹を…申しつけられて、南部の子守女の…腹の子は、祖父と…父親を、同時に失う」
とぎれとぎれの息で、まだブラフを掛ける。
―南部家の子守が妊娠している?
動揺した琴の手から、手拭いが滑り落ちた。




